室町期の長船は二層の商いを営んだ。兵卒のための数打ち物と、注文主の俗名を銘に負う注文打ちである。末備前であっても、祐定の最上作は一派のいかなる時代の作にも劣らない。
骨董日本刀 脇指 伝雲州吉井清則 NTHK鑑定書付 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存会)により室町時代中期、文明頃(1469-1487年)の「伝雲州吉井清則」と鑑定された脇指です。 吉井派は、鎌倉時代末期に為則が備前国吉井の地で興したと伝えられています。清則は吉井則真の子とされ、室町時代初期の応永から永享(1394-1441年)にかけて活躍しました。当初は日本最大の刀剣生産地である備前国(現在の岡山県)で打っていましたが、晩年には雲州(出雲国、現在の島根県)へ移住したとされています。 吉井派は鎌倉末期から室町時代にかけて繁栄し、則綱、清則、景則、吉則など、名に「則」の字を冠する名工を多く輩出しました。南北朝の動乱を経て、戦国へと向かう混迷の時代に打たれた吉井の刀は、実戦に即した堅牢な造り込みが特徴であり、当時の武士たちから厚い信頼を寄せられていました。 ※刀身には経年による鍛え傷や黒錆が数箇所見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):31.8 cm 反り(Sori):0.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分 茎の黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐためにあえて残されるものです。この茎の朽ち込みや錆色は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具 本品の縁頭には、ハバキに見られる「片喰紋」に加え、三枚の柏の葉を描いた「三つ柏紋」が施されています。古来、日本では柏の葉は食物を盛る器として日常的に用いられてきました。この食と自然との密接な関わりは信仰の場にも広がり、太陽や山川草木を神体とする原始信仰において、神への供物を捧げる器として柏の葉が重用されました。 こうした伝統は神道へと受け継がれ、今日でも神事において柏の葉が用いられています。この背景から、柏は神聖、吉祥、そして継承の象徴となりました。また、柏の葉は新芽が育つまで古い葉が落ちないという特性を持つことから、「子孫繁栄」や「家督譲渡」の象徴として尊ばれました。 もともと柏紋は神社や神職に深く関わる紋章でしたが、時代とともに神社との繋がりを持つ武家へと広まりました。江戸時代には庶民の間でも家紋が普及し、柏紋は日本を代表する紋章の一つとして広く親しまれるようになりました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki)


























備前伝 · 備前
現在10点販売中
備前国吉井川をへだてて長船村と相対する吉井の地に、室町期に至って他の備前諸派が長船本流に統合される中、ただ一派その流れに与せず独自の作風を保って続いた一門がある。これが吉井派である。鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有で、現存して年代の知れる作は鎌倉末期から南北朝期に始まる。NBTHKは南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井として区別する。一門は「次」ならぬ「則」の字を通字とし、清次の伝えとともに景則・盛則・清則・永則と「則」字の名跡が連なる。中でも景則は名跡が最も長く続き、一説に吉井の嫡流とも伝えて、鎌倉末から室町中期まで一派の縦糸をなす。清則の子永則はのち出雲へ移住したとの伝えがあり、同国には後代の永則が数工あって伝えに符合する。 この一門を決するのは、規則的に連れて焼かれる小互の目である。やや肌立つ板目の上にこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、しばしば逆がかって小丁子を交える。整然と反復するこの「吉井刃」を背骨として、清則・盛則らはこれを匂本位に控えめな小沸で締め、景則は刃中の強い沸を立てて、伊達家旧蔵の太刀が古備前と極められるほど最も古い備前へと結びつく。地鉄は杢を交えてつんだ板目で、処々綾杉風を呈し、地沸つき地景入る。その上に一門は備前物中独特の映りを立てる。これは焼刃の形がそのまま地に影となって映じたようなもので、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りのように漂うのではなく、上の刃文の輪郭を地に呼応させて繰り返す。連れた互の目の華やかな半面に対し、僅かに小互の目を交えた細直刃という静かな半面があり、同じ工が両様を打ち分ける。永則の細直刃に交じる小互の目のように、最も静かな刃にも畳み込まれた互の目が窺え、これが則光風の尋常な直刃と紛れるところを吉井へと引き戻す。銘は逆鏨を多用して切られ、銘字までもが一門の標を帯びる。 鑑定の勘所は、何よりこの整然たる連れにある。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなく、刀身の全長を一定の調子で走る小互の目の反復であり、これによって長船嫡流と分かたれる。背後に立つ影のごとき映りと、逆鏨の銘とが、これを補強する。逆にその作風の強さゆえ、後代のものが往々美濃物と誤鑑され易い点も心得るべきである。主要工の格は名高い鎌倉の名工というよりは記録の明確な上手で、藤代は清則を中作、盛則・永則を中上作とし、一門の手の平均を上回る位置に置く。その作はことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会い、これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。連れた互の目と映りに惹かれる収集家にとって、年紀作はこの一派の作風を最も明快に手にする道であり、伝来の知れるものでは景則の太刀が佐野美術館に、清則の太刀が靖國神社に、永則の大太刀が徳川美術館に納まる。古吉井の精緻な基準に最も近づくのは清則文安の脇指のような頂点の作で、室町期の吉井物にしてはよく沸づき、説示はこれを古吉井の作域にせまる出来と評する。 詳しく見る →
室町期の長船は二層の商いを営んだ。兵卒のための数打ち物と、注文主の俗名を銘に負う注文打ちである。末備前であっても、祐定の最上作は一派のいかなる時代の作にも劣らない。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
骨董日本刀 脇指 伝雲州吉井清則 NTHK鑑定書付 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存会)により室町時代中期、文明頃(1469-1487年)の「伝雲州吉井清則」と鑑定された脇指です。 吉井派は、鎌倉時代末期に為則が備前国吉井の地で興したと伝えられています。清則は吉井則真の子とされ、室町時代初期の応永から永享(1394-1441年)にかけて活躍しました。当初は日本最大の刀剣生産地である備前国(現在の岡山県)で打っていましたが、晩年には雲州(出雲国、現在の島根県)へ移住したとされています。 吉井派は鎌倉末期から室町時代にかけて繁栄し、則綱、清則、景則、吉則など、名に「則」の字を冠する名工を多く輩出しました。南北朝の動乱を経て、戦国へと向かう混迷の時代に打たれた吉井の刀は、実戦に即した堅牢な造り込みが特徴であり、当時の武士たちから厚い信頼を寄せられていました。 ※刀身には経年による鍛え傷や黒錆が数箇所見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):31.8 cm 反り(Sori):0.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分 茎の黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐためにあえて残されるものです。この茎の朽ち込みや錆色は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具 本品の縁頭には、ハバキに見られる「片喰紋」に加え、三枚の柏の葉を描いた「三つ柏紋」が施されています。古来、日本では柏の葉は食物を盛る器として日常的に用いられてきました。この食と自然との密接な関わりは信仰の場にも広がり、太陽や山川草木を神体とする原始信仰において、神への供物を捧げる器として柏の葉が重用されました。 こうした伝統は神道へと受け継がれ、今日でも神事において柏の葉が用いられています。この背景から、柏は神聖、吉祥、そして継承の象徴となりました。また、柏の葉は新芽が育つまで古い葉が落ちないという特性を持つことから、「子孫繁栄」や「家督譲渡」の象徴として尊ばれました。 もともと柏紋は神社や神職に深く関わる紋章でしたが、時代とともに神社との繋がりを持つ武家へと広まりました。江戸時代には庶民の間でも家紋が普及し、柏紋は日本を代表する紋章の一つとして広く親しまれるようになりました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki)


























備前伝 · 備前
現在10点販売中
備前国吉井川をへだてて長船村と相対する吉井の地に、室町期に至って他の備前諸派が長船本流に統合される中、ただ一派その流れに与せず独自の作風を保って続いた一門がある。これが吉井派である。鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有で、現存して年代の知れる作は鎌倉末期から南北朝期に始まる。NBTHKは南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井として区別する。一門は「次」ならぬ「則」の字を通字とし、清次の伝えとともに景則・盛則・清則・永則と「則」字の名跡が連なる。中でも景則は名跡が最も長く続き、一説に吉井の嫡流とも伝えて、鎌倉末から室町中期まで一派の縦糸をなす。清則の子永則はのち出雲へ移住したとの伝えがあり、同国には後代の永則が数工あって伝えに符合する。 この一門を決するのは、規則的に連れて焼かれる小互の目である。やや肌立つ板目の上にこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、しばしば逆がかって小丁子を交える。整然と反復するこの「吉井刃」を背骨として、清則・盛則らはこれを匂本位に控えめな小沸で締め、景則は刃中の強い沸を立てて、伊達家旧蔵の太刀が古備前と極められるほど最も古い備前へと結びつく。地鉄は杢を交えてつんだ板目で、処々綾杉風を呈し、地沸つき地景入る。その上に一門は備前物中独特の映りを立てる。これは焼刃の形がそのまま地に影となって映じたようなもので、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りのように漂うのではなく、上の刃文の輪郭を地に呼応させて繰り返す。連れた互の目の華やかな半面に対し、僅かに小互の目を交えた細直刃という静かな半面があり、同じ工が両様を打ち分ける。永則の細直刃に交じる小互の目のように、最も静かな刃にも畳み込まれた互の目が窺え、これが則光風の尋常な直刃と紛れるところを吉井へと引き戻す。銘は逆鏨を多用して切られ、銘字までもが一門の標を帯びる。 鑑定の勘所は、何よりこの整然たる連れにある。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなく、刀身の全長を一定の調子で走る小互の目の反復であり、これによって長船嫡流と分かたれる。背後に立つ影のごとき映りと、逆鏨の銘とが、これを補強する。逆にその作風の強さゆえ、後代のものが往々美濃物と誤鑑され易い点も心得るべきである。主要工の格は名高い鎌倉の名工というよりは記録の明確な上手で、藤代は清則を中作、盛則・永則を中上作とし、一門の手の平均を上回る位置に置く。その作はことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会い、これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。連れた互の目と映りに惹かれる収集家にとって、年紀作はこの一派の作風を最も明快に手にする道であり、伝来の知れるものでは景則の太刀が佐野美術館に、清則の太刀が靖國神社に、永則の大太刀が徳川美術館に納まる。古吉井の精緻な基準に最も近づくのは清則文安の脇指のような頂点の作で、室町期の吉井物にしてはよく沸づき、説示はこれを古吉井の作域にせまる出来と評する。 詳しく見る →
室町期の長船は二層の商いを営んだ。兵卒のための数打ち物と、注文主の俗名を銘に負う注文打ちである。末備前であっても、祐定の最上作は一派のいかなる時代の作にも劣らない。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.