赤銅地 鐔 銘:松盛斎富久 戸張富久(後の松盛斎富久)に関する知見の多くは、彼が没してわずか14年後の天保10年(1839年)に刊行された『金工鐔寄』の記述に基づいています。 富久は後藤家、とりわけ後藤家十三代当主である後藤延乗(光孝)の門下で学びました。延乗は享保6年(1721年)に十代寿乗の長男として生まれ、天明4年(1784年)9月18日に没した名工です。富久は京都で延乗に師事して修行を積みましたが、師が没した天明4年、京都を離れて故郷である雑司ヶ谷へと戻りました。当時の雑司ヶ谷は江戸の北西約5.6キロメートルに位置する小さな村落でした。しかし後年、彼は再び京都の後藤京橋家へと戻り、後藤家の仕事として龍や獅子の下絵や下地製作に従事する傍ら、自らの作品も手掛けています。 富久の没年は文政8年(1825年)と伝わっており、これは師である延乗の没後からかなりの年月が経過しています。生年は定かではありませんが、現存する年紀作には文化6年(1809年)、文化8年(1811年)、文政4年(1821年)など極めて限られた数の作例が知られています。仮に享年を70歳前後と推測すれば、生年は宝暦5年(1755年)頃となり、師の延乗が没した際には30歳前後であったと考えられます。 この後藤家仕込みの技量を持つ名工には、もう一つの興味深い側面があります。後藤家の仕事や自身の作刀具製作の傍ら、富久は「木曽路」という非常に繁盛した蕎麦屋を営んでいました。彼は単に店を手伝っていたわけではなく、雑司ヶ谷で代々続くこの蕎麦屋の四代目当主でもあったのです。修行後に彼が一度江戸の雑司ヶ谷へ戻ったのは、この家業を継ぐためであったと考えられます。かつては江戸郊外の静かな村であった雑司ヶ谷も、今日では都心の住宅街の一部となっています。
Certificate reading — 銘 松盛斎 富久(花押)







戸張富久
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 1670頃
現在5点販売中
戸張富久の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
現在314点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree-day inspection period and seven-day return period; buyer notifies by email within three days of receipt, no reason needed; full refund once item returned undamaged and unaltered.
赤銅地 鐔 銘:松盛斎富久 戸張富久(後の松盛斎富久)に関する知見の多くは、彼が没してわずか14年後の天保10年(1839年)に刊行された『金工鐔寄』の記述に基づいています。 富久は後藤家、とりわけ後藤家十三代当主である後藤延乗(光孝)の門下で学びました。延乗は享保6年(1721年)に十代寿乗の長男として生まれ、天明4年(1784年)9月18日に没した名工です。富久は京都で延乗に師事して修行を積みましたが、師が没した天明4年、京都を離れて故郷である雑司ヶ谷へと戻りました。当時の雑司ヶ谷は江戸の北西約5.6キロメートルに位置する小さな村落でした。しかし後年、彼は再び京都の後藤京橋家へと戻り、後藤家の仕事として龍や獅子の下絵や下地製作に従事する傍ら、自らの作品も手掛けています。 富久の没年は文政8年(1825年)と伝わっており、これは師である延乗の没後からかなりの年月が経過しています。生年は定かではありませんが、現存する年紀作には文化6年(1809年)、文化8年(1811年)、文政4年(1821年)など極めて限られた数の作例が知られています。仮に享年を70歳前後と推測すれば、生年は宝暦5年(1755年)頃となり、師の延乗が没した際には30歳前後であったと考えられます。 この後藤家仕込みの技量を持つ名工には、もう一つの興味深い側面があります。後藤家の仕事や自身の作刀具製作の傍ら、富久は「木曽路」という非常に繁盛した蕎麦屋を営んでいました。彼は単に店を手伝っていたわけではなく、雑司ヶ谷で代々続くこの蕎麦屋の四代目当主でもあったのです。修行後に彼が一度江戸の雑司ヶ谷へ戻ったのは、この家業を継ぐためであったと考えられます。かつては江戸郊外の静かな村であった雑司ヶ谷も、今日では都心の住宅街の一部となっています。
Certificate reading — 銘 松盛斎 富久(花押)







戸張富久
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 1670頃
現在5点販売中
戸張富久の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
現在314点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree-day inspection period and seven-day return period; buyer notifies by email within three days of receipt, no reason needed; full refund once item returned undamaged and unaltered.