時代 : 江戸中期 国 : 薩摩国 証書 : 財団法人日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 鑑定書 外装 : 白鞘入 刃長 : 1尺3寸1分 反り : 1分 目釘穴 : 1個 元幅・元重 : 30.7mm・6.3mm Period : Mid Edo Country : Satsuma Paper : NBTHK Tokubetsu Hozon Paper Fittings : Shirasaya Length : 39.7cm Curve : 0.3cm Hole : 1 Bottom Width,Thickness : 30.7mm・6.3mm 主水正藤原正清は一平安代と並び、薩摩を代表する刀工です。享保六年(1721)正月八代将軍吉宗公の佩刀を鍛え、その功績が認められ「一葉葵紋」を切ることが許されました。荒沸に特徴があり、切れ味に優れ、大業物とされています。 本作は平造り、寸伸びの脇指で、地鉄は小板目肌に地沸つき、細かい地景が入り、僅かに沸写りがあります。刃文は直ぐ調に小互の目、小のたれ交じり、沸厚く付き、腰元二重刃風になり表裏湯走り入り、総体的に刃から地にかけて荒沸こぼれる出来です。一葉葵紋が刻まれたうぶ茎が貴重な一品です。



Ichinohira (Satsuma), shinto · 薩摩 · 1714-1736頃
現在1点販売中
主水正正清は、寛文十年に薩州出水郷に生まれたと伝え、通称を宮原清右衛門といい、また覚太夫とも称したという。薄摩藩工丸田惣左衛門正房に鍍刀の技を学び、初め清盈と銘し、のち正清と改めた。享保六年正月、同郷の一平安代と共に八代将軍吉宗に召されて江戸で鍍刀し、その技を認められて幕府から一葉葵紋を莖に切ることを許され、帰途朝廷より主水正に任ぜられた。享保十五年、六十一歳で没している。説明書は本工を位置づける度に一つの併称に立ち返る。すなわち、「安代と並んで薩摩新刀の双璧」[[c:1]]であり、安代が多く焼いた穏やかなのたれ調の直刃に対して、正清は変化のある豪快な乱れを焼いて、それが一派を読む手となった。
本領は、説明書が最も得意としたと記す、古作志津に学んだ相州伝である。よく練れて強く流れる板目の上に、小のたれに互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、匬深く、沸厚く強くついて荒沸を交え、これに長く頻りな金筋・沸筋と砂流しがかかる。足・葉もよく入る。うねりのたれに設けた尖り刃が、安代の素直な直刃と本工の変化のある乱れとを分かつ、認めの背骨である。説明書はこれを「最も得意とした志津風の作域」[[c:2]]と名指し、最上の作ではその出来が古名刀に迫るとする。
下地の地鉄は終始変らぬところである。総じて強く流れて枾がかり、時に小板目つみて杢を交えた板目に、地沸厚くつき、荒めの地沸を交え、変り金風の地景がさかんに入る。地鉄が枾を帯びるのは、やはり志津を手本とするがゆえであり、長い金筋がその流れる肌を帝子へと乗る。帽子は乱れ込みあるいはのたれて先尖り、長い沸筋を伴ってさかんに掃きかけ、深く返る。匬口は明るく冴え、処々やや叢となるにとどまる。体配は薩摩の堂々たる姿で、身幅極めて広く、重ね厚く、平肉豊かにつき、中鋒延びて踏張りごころがあり、説明書はかかる刀を一際豪壮で頑健とし、打ちおろしを見る感があると評する。
もう一つ、判者が鑑定点として引き出し、古色と読む見どころがある。殊に上半、焼頭に湯走りがさかんに集まって、古作の二重刃状を呈し、長い金筋・沸筋が貫いて砂流しを伴う。説明書はこれを直に名指し、「焼頭に湯走り風がさかんにかかって二重刃状を呈している様には、古色の風が感ぜられる」[[c:3]]と記す。これは別の作風ではなく、同じ流れる板目の上で沸の働きを極限まで押し進めた本領の上限である。莖にも一つの恒常があり、殺んど生ぶで、入山形あるいは剣形の先へ細り、鈑目浅い勝手下がりとなり、大振りの長銘を切り、将軍の前に鍍えた作には一葉葵紋と年紀を添える。説明書はまた、晚年には子の正近・弟子の正盛の代銘による作が多く残ると注意し、晚年の正清銘はその工房に照らして読まれる。
同国の中で本工を位置づけるのは、まさに極めの言う併称と説明書の立ち返る手である。まず年長の同郷の工安代に対して読まれ、両者は薩摩新刀の双璧として並べられる。その分かちは明確である。安代は穏やかなのたれ調の直刃、正清は尖り刃を交えて荒沸を帯び長い金筋の走る変化のある志津風の乱れである。本工自身の明るく匬深い互の目、集まる湯走り、そして古色の風の二重刃こそが他と分かつ描かれた見どころであり、借りものの比較ではない。説明書はその最上の作を、「往々古刀上位の作に見まがう」[[c:4]]程とまで評する。本工は薩摩新刀の名工の筆頭に立ち、この世代の変化のある相州風の薩摩の刀を読む手である。
収集の観点では、本工は薩摩新刀の屈指の名であり、その作は殺んど生ぶ・在銘で残る。国宝はなく、重要文化財もない。現代の指定は特別重要刀剣・重要刀剣の級を通じ、二十三口がこの級にあり、年紀を切るものや、将軍の前で賜った葵紋を切るものが多い。その伝来は当代最高の家に及ぶ。債作の刀・脇指は、安代の作と共に薩摩藩主島津継豊より近衛左大臣家久に献上され、家久が殊のほか賞玩して正清・安代の両名に白銀と堂上方寄せ書の六歌仙の歌を贈り、その文書も現存する。また徳川将軍家や皇室の伝来を持つ作も伝わる。指定を受けた作の多くは、私蔵のものを含めて取引されず保たれており、本工得意の志津風の相州伝の在銘の良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてである。本工の作は、古伝の固く保たれた遗産に比べては、一流の新刀の名工の中では比較的見出しやすいが、年紀と葵紋を切った覆われのある相州伝の刀はなお節目の収集であり、薩摩の学が初期の頂に至った証である。
正清の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · 薩摩
現在29点販売中
薩摩国の刀工群は、南九州の地に拠り、島津家の庇護のもとに鍛刀した一団である。その源は古く、構成各工の説明書は大和に発する波平の系をその背後に置く。新刀の一平安代は、初め父一平安貞に法を習い、のちに波平本家の大和守安国の門に学んだと記され、薩摩の鉄が大和・波平の修業を地下に伏せていることを示す。記録に明らかな手としては、美濃氏房の子に出た伊豆守正房が元和・寛永の頃に薩州鹿児島に住し、薩摩鍛冶の渕源を成したとされる。これに続いて享保の頃、宮原清右衛門こと主水正正清と、玉置小市こと一平安代とが八代将軍徳川吉宗に召されて江戸で鍛え、その技を認められて茎に一葉葵紋を切ることを許された。この二工が薩摩新刀の双璧を成し、安代の養子安在が二代の一平として家を継いだ。時を下って新々刀の頃には、奥家の奥元平と伊地知家の伯耆守正幸とが同じく双璧として並び立ち、正良が伊地知家の名を襲い、正景が正幸の門から出て加治木島津家に抱えられた。皇室・徳川・島津・近衛の名がその伝来を貫き、この一国の工が藩の最上の家に直結していたことを語る。 作風は、構成各工が実際に記す共通の語法によって読まれる。背骨をなすのは志津に倣った相州伝であり、正清・元平・正幸・正良のいずれもがこれを最も得意とした手として説明書に名指される。よく練れて流れる板目に小のたれ・互の目を焼き、尖りごころの刃を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒沸を顕著に交える。この静と動の二筋がこの群を貫く。安代と安在は穏やかなのたれ調の直刃、あるいは広直刃を多く焼き、正清と新々刀の双璧は尖り刃を交えた変化のある乱れを焼くが、いずれも沸を本領とする点で一つである。その刃の内を走るものこそ薩摩の名高い見どころで、説明書はこれを薩摩の芋蔓と称し、盛んな砂流しと長く太い金筋・沸筋が相絡んで連なる様を指す。地鉄はよくつんだ小板目あるいは流れごころの板目で、地沸厚く地景入り、正清・正良の地は枾がかって肌立ち、安代の地はことに黒みをおびる。帽子は乱れ込んで先尖り、あるいは直ぐに小丸・大丸へ返り、最も覇気ある作では掃きかけて火焰風となる。体配は身幅広く重ね厚く平肉豊かに中鋒延び、手持ち重く豪壮で、殆どが生ぶ茎に大振りの長銘を切る、薩摩の堂々たる構えである。 鑑定の勘所は、まずこの芋蔓の沸筋と黒める地鉄、そして頑健な造込みにあり、これらが当代の備前復古や大坂物の締まった沸と薩摩の手を分かつ。工の格は二対の双璧に集まる。新刀では正清と安代が並び、正清が古名刀に迫る志津風の乱れと焼頭に集まる湯走りの古色を見せ、安代が静かな直刃の内に長い芋蔓を走らせる。新々刀では元平と正幸が並び、ともに身幅広く堂々たる相州伝を本領とし、正幸は志津に倣う手を、元平は尖り刃を交えた華やかな互の目を得意とした。正良は師に優る出藍の誉を負い、安在は養父安代に頗る近似する手を継ぎ、正景は師正幸の志津風をよく伝え、正房は群の渕源として古来資料に貴ばれる。藤代の極めは安代を上々作、正清・元平・正良を上々作ないし上作、正幸を上作に置く。伝来は藩に固有のものが多く、正清・安代の刀は島津継豊より将軍吉宗や近衛家久に献ぜられ、家久は両工に白銀と六歌仙の歌を贈ってその文書も現存する。正幸の刀は鶴丸城の御用意刀として島津家に襲蔵され、分家樺山家には正幸自身の手になる薩摩拵を伴う一口が伝わる。これらの多くは旧家・機関に固く保たれて世に出ず、在銘の薩摩物が収集家のもとに現れるのは稀であり、現れたときには南九州の鍛刀が藩の庇護のもとに到達した頂を示す。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。
時代 : 江戸中期 国 : 薩摩国 証書 : 財団法人日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 鑑定書 外装 : 白鞘入 刃長 : 1尺3寸1分 反り : 1分 目釘穴 : 1個 元幅・元重 : 30.7mm・6.3mm Period : Mid Edo Country : Satsuma Paper : NBTHK Tokubetsu Hozon Paper Fittings : Shirasaya Length : 39.7cm Curve : 0.3cm Hole : 1 Bottom Width,Thickness : 30.7mm・6.3mm 主水正藤原正清は一平安代と並び、薩摩を代表する刀工です。享保六年(1721)正月八代将軍吉宗公の佩刀を鍛え、その功績が認められ「一葉葵紋」を切ることが許されました。荒沸に特徴があり、切れ味に優れ、大業物とされています。 本作は平造り、寸伸びの脇指で、地鉄は小板目肌に地沸つき、細かい地景が入り、僅かに沸写りがあります。刃文は直ぐ調に小互の目、小のたれ交じり、沸厚く付き、腰元二重刃風になり表裏湯走り入り、総体的に刃から地にかけて荒沸こぼれる出来です。一葉葵紋が刻まれたうぶ茎が貴重な一品です。



Ichinohira (Satsuma), shinto · 薩摩 · 1714-1736頃
現在1点販売中
主水正正清は、寛文十年に薩州出水郷に生まれたと伝え、通称を宮原清右衛門といい、また覚太夫とも称したという。薄摩藩工丸田惣左衛門正房に鍍刀の技を学び、初め清盈と銘し、のち正清と改めた。享保六年正月、同郷の一平安代と共に八代将軍吉宗に召されて江戸で鍍刀し、その技を認められて幕府から一葉葵紋を莖に切ることを許され、帰途朝廷より主水正に任ぜられた。享保十五年、六十一歳で没している。説明書は本工を位置づける度に一つの併称に立ち返る。すなわち、「安代と並んで薩摩新刀の双璧」[[c:1]]であり、安代が多く焼いた穏やかなのたれ調の直刃に対して、正清は変化のある豪快な乱れを焼いて、それが一派を読む手となった。
本領は、説明書が最も得意としたと記す、古作志津に学んだ相州伝である。よく練れて強く流れる板目の上に、小のたれに互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、匬深く、沸厚く強くついて荒沸を交え、これに長く頻りな金筋・沸筋と砂流しがかかる。足・葉もよく入る。うねりのたれに設けた尖り刃が、安代の素直な直刃と本工の変化のある乱れとを分かつ、認めの背骨である。説明書はこれを「最も得意とした志津風の作域」[[c:2]]と名指し、最上の作ではその出来が古名刀に迫るとする。
下地の地鉄は終始変らぬところである。総じて強く流れて枾がかり、時に小板目つみて杢を交えた板目に、地沸厚くつき、荒めの地沸を交え、変り金風の地景がさかんに入る。地鉄が枾を帯びるのは、やはり志津を手本とするがゆえであり、長い金筋がその流れる肌を帝子へと乗る。帽子は乱れ込みあるいはのたれて先尖り、長い沸筋を伴ってさかんに掃きかけ、深く返る。匬口は明るく冴え、処々やや叢となるにとどまる。体配は薩摩の堂々たる姿で、身幅極めて広く、重ね厚く、平肉豊かにつき、中鋒延びて踏張りごころがあり、説明書はかかる刀を一際豪壮で頑健とし、打ちおろしを見る感があると評する。
もう一つ、判者が鑑定点として引き出し、古色と読む見どころがある。殊に上半、焼頭に湯走りがさかんに集まって、古作の二重刃状を呈し、長い金筋・沸筋が貫いて砂流しを伴う。説明書はこれを直に名指し、「焼頭に湯走り風がさかんにかかって二重刃状を呈している様には、古色の風が感ぜられる」[[c:3]]と記す。これは別の作風ではなく、同じ流れる板目の上で沸の働きを極限まで押し進めた本領の上限である。莖にも一つの恒常があり、殺んど生ぶで、入山形あるいは剣形の先へ細り、鈑目浅い勝手下がりとなり、大振りの長銘を切り、将軍の前に鍍えた作には一葉葵紋と年紀を添える。説明書はまた、晚年には子の正近・弟子の正盛の代銘による作が多く残ると注意し、晚年の正清銘はその工房に照らして読まれる。
同国の中で本工を位置づけるのは、まさに極めの言う併称と説明書の立ち返る手である。まず年長の同郷の工安代に対して読まれ、両者は薩摩新刀の双璧として並べられる。その分かちは明確である。安代は穏やかなのたれ調の直刃、正清は尖り刃を交えて荒沸を帯び長い金筋の走る変化のある志津風の乱れである。本工自身の明るく匬深い互の目、集まる湯走り、そして古色の風の二重刃こそが他と分かつ描かれた見どころであり、借りものの比較ではない。説明書はその最上の作を、「往々古刀上位の作に見まがう」[[c:4]]程とまで評する。本工は薩摩新刀の名工の筆頭に立ち、この世代の変化のある相州風の薩摩の刀を読む手である。
収集の観点では、本工は薩摩新刀の屈指の名であり、その作は殺んど生ぶ・在銘で残る。国宝はなく、重要文化財もない。現代の指定は特別重要刀剣・重要刀剣の級を通じ、二十三口がこの級にあり、年紀を切るものや、将軍の前で賜った葵紋を切るものが多い。その伝来は当代最高の家に及ぶ。債作の刀・脇指は、安代の作と共に薩摩藩主島津継豊より近衛左大臣家久に献上され、家久が殊のほか賞玩して正清・安代の両名に白銀と堂上方寄せ書の六歌仙の歌を贈り、その文書も現存する。また徳川将軍家や皇室の伝来を持つ作も伝わる。指定を受けた作の多くは、私蔵のものを含めて取引されず保たれており、本工得意の志津風の相州伝の在銘の良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてである。本工の作は、古伝の固く保たれた遗産に比べては、一流の新刀の名工の中では比較的見出しやすいが、年紀と葵紋を切った覆われのある相州伝の刀はなお節目の収集であり、薩摩の学が初期の頂に至った証である。
正清の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · 薩摩
現在29点販売中
薩摩国の刀工群は、南九州の地に拠り、島津家の庇護のもとに鍛刀した一団である。その源は古く、構成各工の説明書は大和に発する波平の系をその背後に置く。新刀の一平安代は、初め父一平安貞に法を習い、のちに波平本家の大和守安国の門に学んだと記され、薩摩の鉄が大和・波平の修業を地下に伏せていることを示す。記録に明らかな手としては、美濃氏房の子に出た伊豆守正房が元和・寛永の頃に薩州鹿児島に住し、薩摩鍛冶の渕源を成したとされる。これに続いて享保の頃、宮原清右衛門こと主水正正清と、玉置小市こと一平安代とが八代将軍徳川吉宗に召されて江戸で鍛え、その技を認められて茎に一葉葵紋を切ることを許された。この二工が薩摩新刀の双璧を成し、安代の養子安在が二代の一平として家を継いだ。時を下って新々刀の頃には、奥家の奥元平と伊地知家の伯耆守正幸とが同じく双璧として並び立ち、正良が伊地知家の名を襲い、正景が正幸の門から出て加治木島津家に抱えられた。皇室・徳川・島津・近衛の名がその伝来を貫き、この一国の工が藩の最上の家に直結していたことを語る。 作風は、構成各工が実際に記す共通の語法によって読まれる。背骨をなすのは志津に倣った相州伝であり、正清・元平・正幸・正良のいずれもがこれを最も得意とした手として説明書に名指される。よく練れて流れる板目に小のたれ・互の目を焼き、尖りごころの刃を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒沸を顕著に交える。この静と動の二筋がこの群を貫く。安代と安在は穏やかなのたれ調の直刃、あるいは広直刃を多く焼き、正清と新々刀の双璧は尖り刃を交えた変化のある乱れを焼くが、いずれも沸を本領とする点で一つである。その刃の内を走るものこそ薩摩の名高い見どころで、説明書はこれを薩摩の芋蔓と称し、盛んな砂流しと長く太い金筋・沸筋が相絡んで連なる様を指す。地鉄はよくつんだ小板目あるいは流れごころの板目で、地沸厚く地景入り、正清・正良の地は枾がかって肌立ち、安代の地はことに黒みをおびる。帽子は乱れ込んで先尖り、あるいは直ぐに小丸・大丸へ返り、最も覇気ある作では掃きかけて火焰風となる。体配は身幅広く重ね厚く平肉豊かに中鋒延び、手持ち重く豪壮で、殆どが生ぶ茎に大振りの長銘を切る、薩摩の堂々たる構えである。 鑑定の勘所は、まずこの芋蔓の沸筋と黒める地鉄、そして頑健な造込みにあり、これらが当代の備前復古や大坂物の締まった沸と薩摩の手を分かつ。工の格は二対の双璧に集まる。新刀では正清と安代が並び、正清が古名刀に迫る志津風の乱れと焼頭に集まる湯走りの古色を見せ、安代が静かな直刃の内に長い芋蔓を走らせる。新々刀では元平と正幸が並び、ともに身幅広く堂々たる相州伝を本領とし、正幸は志津に倣う手を、元平は尖り刃を交えた華やかな互の目を得意とした。正良は師に優る出藍の誉を負い、安在は養父安代に頗る近似する手を継ぎ、正景は師正幸の志津風をよく伝え、正房は群の渕源として古来資料に貴ばれる。藤代の極めは安代を上々作、正清・元平・正良を上々作ないし上作、正幸を上作に置く。伝来は藩に固有のものが多く、正清・安代の刀は島津継豊より将軍吉宗や近衛家久に献ぜられ、家久は両工に白銀と六歌仙の歌を贈ってその文書も現存する。正幸の刀は鶴丸城の御用意刀として島津家に襲蔵され、分家樺山家には正幸自身の手になる薩摩拵を伴う一口が伝わる。これらの多くは旧家・機関に固く保たれて世に出ず、在銘の薩摩物が収集家のもとに現れるのは稀であり、現れたときには南九州の鍛刀が藩の庇護のもとに到達した頂を示す。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。