説明

特別保存刀剣鑑定書付 薩摩国主水正正清 銘 刀 【解説】 本作は江戸時代中期(18世紀初頭)、薩摩国(現在の鹿児島県)にて正清により制作された一振りです。正清は寛政年間(1789-1801年)頃にもその名が見られますが、鑑定書が示す通り、朝廷より「主水正(もんどのしょう)」という栄えある受領名を授けられた名工として知られています。 主水正正清は江戸時代を代表する薩摩刀工の一人であり、特に享保6年(1721年)正月16日、江戸浜御殿において執り行われた御前鍛錬に召し出されたことでその名を馳せました。時の将軍・徳川吉宗公の台臨を仰ぎ、全国から選りすぐられた名工が集う中、正清は薩摩藩を代表する工としてこの栄誉に浴しました。浜御殿での鍛錬に招かれることは、当時の刀工にとって最高級の格式と実力を認められた証でありました。 同年、正清はその功績により徳川家ゆかりの「葵紋」を茎に刻むことを許され、さらに7月13日には「主水正」の受領名を拝領しました。 薩摩藩は名門・島津家が統治し、尚武の気風が極めて強い土地柄です。将軍吉宗公に認められ、歴史に名を刻む浜御殿の鍛錬に参加した正清の経歴は、日本刀工史上においても特筆すべき足跡であり、彼が遺した作品は今日でも高い歴史的価値を有しています。 本作は公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されており、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作であることが証明されています。 【刀身】 長さ(Nagasa):69.9 cm(2尺3寸1分) 反り(Sori):0.96 cm(3分1厘) 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):鍛錬の折り返しによって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この経年による錆色は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 茎の裏には「菊紋」が刻まれています。これは天皇家の象徴であり、優れた技術を持つ限られた刀工のみが刻銘を許された、極めて名誉ある紋章です。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し、装飾する一対の金具。 柄・目貫(Tsuka / Menuki):刀の持ち手部分と、その中に配された装飾金物。 本装具の縁頭には「鷺(さぎ)」が描かれています。 美しい水鳥である鷺は、泥中にありながら汚れに染まらず清廉な姿を保つことから、高潔な人格や高官の象徴とされてきました。また、古くから吉祥の鳥として親しまれ、蓮や酔芙蓉と共に描かれることで、幸福に満ちた未来を象徴する画題としても知られています。

Antique Japanese Sword Katana Signed by Masakiyo NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Katana Signed by Masakiyo NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

$17,464

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仕様

長さ

69.9 cm

反り

0.96 cm

作者について

Satsuma Masakiyo正清

3 御物1 特別重要刀剣22 重要刀剣

主水正正清は、寛文十年に薩州出水郷に生まれたと伝え、通称を宮原清右衛門といい、また覚太夫とも称したという。薄摩藩工丸田惣左衛門正房に鍍刀の技を学び、初め清盈と銘し、のち正清と改めた。享保六年正月、同郷の一平安代と共に八代将軍吉宗に召されて江戸で鍍刀し、その技を認められて幕府から一葉葵紋を莖に切ることを許され、帰途朝廷より主水正に任ぜられた。享保十五年、六十一歳で没している。説明書は本工を位置づける度に一つの併称に立ち返る。すなわち、「安代と並んで薩摩新刀の双璧」であり、安代が多く焼いた穏やかなのたれ調の直刃に対して、正清は変化のある豪快な乱れを焼いて、それが一派を読む手となった。 本領は、説明書が最も得意としたと記す、古作志津に学んだ相州伝である。よく練れて強く流れる*板目*の上に、*小のたれ*に*互の目*・*小互の目*・尖りごころの刃を交え、匬深く、沸厚く強くついて*荒沸*を交え、これに長く頻りな*金筋*・沸筋と*砂流し*がかかる。*足*・*葉*もよく入る。うねりのたれに設けた尖り刃が、安代の素直な直刃と本工の変化のある乱れとを分かつ、認めの背骨である。説明書はこれを「最も得意とした志津風の作域」と名指し、最上の作ではその出来が古名刀に迫るとする。 下地の地鉄は終始変らぬところである。総じて強く流れて枾がかり、時に*小板目*つみて杢を交えた*板目*に、*地沸*厚くつき、荒めの地沸を交え、変り金風の*地景*がさかんに入る。地鉄が枾を帯びるのは、やはり志津を手本とするがゆえであり、長い金筋がその流れる肌を帝子へと乗る。帽子は乱れ込みあるいはのたれて先尖り、長い沸筋を伴ってさかんに掃きかけ、深く返る。匬口は明るく冴え、処々やや叢となるにとどまる。体配は薩摩の堂々たる姿で、身幅極めて広く、重ね厚く、平肉豊かにつき、中鋒延びて踏張りごころがあり、説明書はかかる刀を一際豪壮で頑健とし、打ちおろしを見る感があると評する。 もう一つ、判者が鑑定点として引き出し、古色と読む見どころがある。殊に上半、焼頭に*湯走り*がさかんに集まって、古作の*二重刃*状を呈し、長い金筋・沸筋が貫いて砂流しを伴う。説明書はこれを直に名指し、「焼頭に湯走り風がさかんにかかって二重刃状を呈している様には、古色の風が感ぜられる」と記す。これは別の作風ではなく、同じ流れる板目の上で沸の働きを極限まで押し進めた本領の上限である。莖にも一つの恒常があり、殺んど生ぶで、入山形あるいは剣形の先へ細り、鈑目浅い勝手下がりとなり、大振りの長銘を切り、将軍の前に鍍えた作には一葉葵紋と年紀を添える。説明書はまた、晚年には子の正近・弟子の正盛の代銘による作が多く残ると注意し、晚年の正清銘はその工房に照らして読まれる。 同国の中で本工を位置づけるのは、まさに極めの言う併称と説明書の立ち返る手である。まず年長の同郷の工安代に対して読まれ、両者は薩摩新刀の双璧として並べられる。その分かちは明確である。安代は穏やかなのたれ調の直刃、正清は尖り刃を交えて荒沸を帯び長い金筋の走る変化のある志津風の乱れである。本工自身の明るく匬深い互の目、集まる湯走り、そして古色の風の二重刃こそが他と分かつ描かれた見どころであり、借りものの比較ではない。説明書はその最上の作を、「往々古刀上位の作に見まがう」程とまで評する。本工は薩摩新刀の名工の筆頭に立ち、この世代の変化のある相州風の薩摩の刀を読む手である。 収集の観点では、本工は薩摩新刀の屈指の名であり、その作は殺んど生ぶ・在銘で残る。国宝はなく、重要文化財もない。現代の指定は特別重要刀剣・重要刀剣の級を通じ、二十三口がこの級にあり、年紀を切るものや、将軍の前で賜った葵紋を切るものが多い。その伝来は当代最高の家に及ぶ。債作の刀・脇指は、安代の作と共に薩摩藩主島津継豊より近衛左大臣家久に献上され、家久が殊のほか賞玩して正清・安代の両名に白銀と堂上方寄せ書の六歌仙の歌を贈り、その文書も現存する。また徳川将軍家や皇室の伝来を持つ作も伝わる。指定を受けた作の多くは、私蔵のものを含めて取引されず保たれており、本工得意の志津風の相州伝の在銘の良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてである。本工の作は、古伝の固く保たれた遗産に比べては、一流の新刀の名工の中では比較的見出しやすいが、年紀と葵紋を切った覆われのある相州伝の刀はなお節目の収集であり、薩摩の学が初期の頂に至った証である。

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