鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
時代 : 鎌倉末期 国 : 備前国 証書 : 重要刀剣 外装 : 白鞘入 刃長 : 2尺2寸6分 / 68.7cm(27.0inches) 反り : 8分9厘 目釘穴 : 3個 元幅・元重 : 31.0mm(棟を含)・6.8mm 先幅・先重 :11.3 mm(棟を含)・3.1mm Period : Late Kamakura 14c Country : Bizen Paper : Juyo Token Fittings : Shirasaya Length : 2尺2寸6分 / 68.7cm(27.0inches) Curve : 2.7cm Hole : 3 Bottom Width,Thickness : 31.0mm(Mune is included)・6.8mm Top Width,Thickness : 11.3mm(Mune is included)・3.1mm 重要刀剣図譜説明転記 備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同行について古剣書に福岡一文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を元徳(1329~1331)頃としているが、両社共作品は少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現れ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足、葉盛んに入り、沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿には初伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出来が優れている。
備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同工について古剣書に福岡一 文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、 重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を 元徳頃としているが、両者共作品は極めて少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現われ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足・ 葉盛んに入り、 沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿に は所伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出 来が優れている。





備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同工について古剣書に福岡一 文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、 重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を 元徳頃としているが、両者共作品は極めて少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現われ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足・ 葉盛んに入り、 沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿に は所伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出 来が優れている。
備前伝 · 備前 · 1312-1317頃
刀剣大鑑 上位14%
備前伝 · 備前
時期区分: 古長船· 1238–1335
現在235点販売中
片落ち互の目という一様式を完成させた景光をひとつの到達点として、古長船は鎌倉時代中後期(おおむね一二三八年から一三三五年)の長船派草創の核を成す。光忠を初代とし、その子長光、そして真長を加えた三作の世代がまず作風の幅を定め、続いて長光の子で嫡流三代目の景光がこれを受け継いだ。景光の年紀は嘉元から建武までの三十余年に及び、説示にも元応・元亨・正中・元徳・元弘・建武といった在銘紀年作が並ぶ。武家社会の中枢で太刀が需められた鎌倉末期にあって、この草創世代は長船の鍛法と銘の様式を確立し、のちの南北朝期相伝備前や室町応永備前が分岐していく母体を準備した。逆鏨を多用する近景の代銘が景光在銘作に交じる事実も、すでに一門が複数の手で量産しうる工房へ育っていたことを示している。 作風は地鉄に古長船の眼目がある。板目に杢を交えて総じてよく錬れて緩みなく詰み、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。映りは乱れ映りまたは棒映りが鮮明に立ち、景光の太刀では暗帯部が逆がかって青江の段映りに通じる筋映りを表裏下半に現すものまで見える。刃文は華やかな丁子乱れを基調とした世代の作と、直刃調に小互の目・小丁子・角ばる刃を交えて逆がかり、片落ち互の目を主調とする景光の穏やかな出来とが併存し、足・逆足・葉がよく入り、匂勝ちに小沸がつき、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで先尖りごころに返る三作帽子を見せる。古備前が地斑映りと厚い沸を残す素朴な源流であったのに対し、古長船は映りを意識的に立て、鍛えを精緻に詰めた点で一線を画する。さらに後続の南北朝期相伝備前が相州伝の強い沸や飛焼を取り込んで大模様に乱れ込むのに対し、また応永備前が腰開きの互の目と尖り帽子へ向かうのに対し、古長船は匂本位の締まった作域にとどまり、映りの鮮明さと地鉄の精良さで識別される。 収集家が古長船をひとつの章として区別するのは、後続の相伝備前や応永備前とは別の鑑定上の指標が立つからである。要点は三つある。第一に、暗帯部の逆がかる地斑映りや筋映りといった、後代には薄れる映りの強さ。第二に、片落ち互の目と直刃調に小乱れを交えた匂勝ちの穏やかな焼刃で、これは長光の華やかさと相州色の濃い南北朝期の双方から本区分を分かつ。第三に、景光に多く現存する短刀の存在で、細直刃から片落ち互の目まで小振りの姿に一門の特質が凝縮される。説示には元応元年紀の生ぶ茎太刀、正中・元徳・元弘・建武紀の短刀、筑前黒田家伝来の一口など、紀年と伝来の確かな作例が並び、古長船を年代の定点として捉える基盤を与えている。 詳しく見る →
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。
時代 : 鎌倉末期 国 : 備前国 証書 : 重要刀剣 外装 : 白鞘入 刃長 : 2尺2寸6分 / 68.7cm(27.0inches) 反り : 8分9厘 目釘穴 : 3個 元幅・元重 : 31.0mm(棟を含)・6.8mm 先幅・先重 :11.3 mm(棟を含)・3.1mm Period : Late Kamakura 14c Country : Bizen Paper : Juyo Token Fittings : Shirasaya Length : 2尺2寸6分 / 68.7cm(27.0inches) Curve : 2.7cm Hole : 3 Bottom Width,Thickness : 31.0mm(Mune is included)・6.8mm Top Width,Thickness : 11.3mm(Mune is included)・3.1mm 重要刀剣図譜説明転記 備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同行について古剣書に福岡一文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を元徳(1329~1331)頃としているが、両社共作品は少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現れ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足、葉盛んに入り、沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿には初伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出来が優れている。
備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同工について古剣書に福岡一 文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、 重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を 元徳頃としているが、両者共作品は極めて少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現われ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足・ 葉盛んに入り、 沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿に は所伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出 来が優れている。





備前唐河派の刀工為遠には重美に「備前国□河住□兵衛尉藤原為遠 文保元年丁巳三月日」銘の太刀があり、同工について古剣書に福岡一 文字為国の流れを汲むものと述べた例があるが、実際には明白でない。為長は為遠の子と伝え、 重美に二字銘の太刀があり、銘鑑はその年代を 元徳頃としているが、両者共作品は極めて少なく、直刃調に小丁子小乱れを交えた刃文の出来がまま経眼される。 この太刀は地鉄は板目に流れ肌が交じり、肌立ちごころとなり、乱れ映りが現われ、刃文は直刃仕立ての小丁子乱れに小乱れが交じり、足・ 葉盛んに入り、 沸厚くつくなどの出来口を見せている。為長は上記のように鎌倉末期の作者と伝え、腰反り高く先へも反りの加わった太刀姿に は所伝の時代が窺われるが、刃文は一見藤末鎌初の古備前あたりを思わせる古色ある作域であり、沸厚くつき明るく冴え、地刃共に健全で、出 来が優れている。
備前伝 · 備前 · 1312-1317頃
刀剣大鑑 上位14%
備前伝 · 備前
時期区分: 古長船· 1238–1335
現在235点販売中
片落ち互の目という一様式を完成させた景光をひとつの到達点として、古長船は鎌倉時代中後期(おおむね一二三八年から一三三五年)の長船派草創の核を成す。光忠を初代とし、その子長光、そして真長を加えた三作の世代がまず作風の幅を定め、続いて長光の子で嫡流三代目の景光がこれを受け継いだ。景光の年紀は嘉元から建武までの三十余年に及び、説示にも元応・元亨・正中・元徳・元弘・建武といった在銘紀年作が並ぶ。武家社会の中枢で太刀が需められた鎌倉末期にあって、この草創世代は長船の鍛法と銘の様式を確立し、のちの南北朝期相伝備前や室町応永備前が分岐していく母体を準備した。逆鏨を多用する近景の代銘が景光在銘作に交じる事実も、すでに一門が複数の手で量産しうる工房へ育っていたことを示している。 作風は地鉄に古長船の眼目がある。板目に杢を交えて総じてよく錬れて緩みなく詰み、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。映りは乱れ映りまたは棒映りが鮮明に立ち、景光の太刀では暗帯部が逆がかって青江の段映りに通じる筋映りを表裏下半に現すものまで見える。刃文は華やかな丁子乱れを基調とした世代の作と、直刃調に小互の目・小丁子・角ばる刃を交えて逆がかり、片落ち互の目を主調とする景光の穏やかな出来とが併存し、足・逆足・葉がよく入り、匂勝ちに小沸がつき、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで先尖りごころに返る三作帽子を見せる。古備前が地斑映りと厚い沸を残す素朴な源流であったのに対し、古長船は映りを意識的に立て、鍛えを精緻に詰めた点で一線を画する。さらに後続の南北朝期相伝備前が相州伝の強い沸や飛焼を取り込んで大模様に乱れ込むのに対し、また応永備前が腰開きの互の目と尖り帽子へ向かうのに対し、古長船は匂本位の締まった作域にとどまり、映りの鮮明さと地鉄の精良さで識別される。 収集家が古長船をひとつの章として区別するのは、後続の相伝備前や応永備前とは別の鑑定上の指標が立つからである。要点は三つある。第一に、暗帯部の逆がかる地斑映りや筋映りといった、後代には薄れる映りの強さ。第二に、片落ち互の目と直刃調に小乱れを交えた匂勝ちの穏やかな焼刃で、これは長光の華やかさと相州色の濃い南北朝期の双方から本区分を分かつ。第三に、景光に多く現存する短刀の存在で、細直刃から片落ち互の目まで小振りの姿に一門の特質が凝縮される。説示には元応元年紀の生ぶ茎太刀、正中・元徳・元弘・建武紀の短刀、筑前黒田家伝来の一口など、紀年と伝来の確かな作例が並び、古長船を年代の定点として捉える基盤を与えている。 詳しく見る →
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。