戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
日本刀 刀 無銘 冬廣(天正頃) NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付 【解説】 本作は、室町時代末期の天正年間(1573-1592年)頃の「冬廣」と極められた一振りです。 冬廣の家系は、相州広次(二代)の子が初代と伝えられています。相州広次は相模国(現在の神奈川県)を代表する名工の一人です。初代冬廣は、師より相州伝の技術を学んだ後、寛正頃(1460年頃:室町時代中期)に若狭国(現在の福井県)へ移住しました。 当初は五ヶ伝の一つである「相州伝」を主としていましたが、次第に「備前伝」の作風を織り交ぜるようになります。古文献によれば、冬廣の名は室町時代から江戸時代末期まで十七代にわたって受け継がれました。本作の極めは、その技量を高く評価された初期の冬廣に帰せられるものと考えられます。 戦国時代、冬廣の一派はその実用性と人気の高さから、上級武士や戦国大名のために数多くの作刀を行いました。江戸時代には、若狭のみならず備前、備後、出雲、伯耆など各地で作刀した記録が残されています。 (相州伝について) 相州伝は、鎌倉時代中期に相模国(現在の神奈川県)で確立された作刀様式です。 当時、大和伝や山城伝は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。1185年に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、政治的安定のための体制づくりを優先したため、当初は地元の鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は大和や山城の鍛冶に依存していました。 しかし、幕府の基盤が固まるにつれ、御家人たちからの武器需要が爆発的に増加します。これに応えるべく、五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招きました。さらに七代将軍・惟康親王も備前より福岡一文字助真を招聘します。 これら名工たちが相州伝の基礎を築き、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光によってその技術は昇華されました。国光の弟子である行光、そして日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗へと技術は継承されます。正宗によって完成された相州伝は全国的な名声を博し、後の古刀・新刀期の多くの鍛冶に多大な影響を与えました。大阪の井上真改や江戸の水心子正秀なども、その影響を受けた代表的な工として知られています。 ※刀身には一部、薄い錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):73.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬による折り返しから生じる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分



















相州伝 · 若狭 · 1444-1449頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
冬廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 若狭
現在8点販売中
若狭冬広は、相州広次三代目の子と伝え、室町時代の康正頃に若州小浜へ移住したとされる一系である。説示によれば、その名跡は新々刀時代にまで続き、五代を数えたとも言われる。年紀のうえでは永正十二年紀に「冬広伍七三才」と銘した作が知られ、ほかに永正・天文・元亀・天正の年紀があって、室町後期から戦国期を通じての制作が確かめられる。源流は相州にあり、後には相州綱広の門に学んだと伝えるものの、相州住と銘した作は見ないとも記される。同じ頃に若州・伯州・雲州・備前・備中などと住所を切り替えた作があり、これらが同人によるものか否かは検討の余地が残るとして、説示はいずれも断を避けている。 作風として説示が繰り返し挙げるのは末相州風と末備前風の二様であり、同一の系のうちにこの両者が併存する点が判別の鍵となる。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が頻りに入る。刃文は焼幅広く、のたれに小互の目・小丁子や尖り刃を交え、足・葉が盛んに入り、荒めの沸を交えて砂流し・金筋がかかり、匂口の明るいものが多い。中には中直刃を基調に互の目・尖り刃を交え、飛焼が頻りに加わって棟焼も総体にかかり、皆焼となる作がある。一方で太直刃調に小互の目を交える穏やかな直刃出来もみられ、直刃と乱れの両様を焼き分ける。帽子は乱れ込んで尖りごころとなり、あるいは小丸に掃きかけて返る。彫物を得意とし、草の倶利迦羅・梵字・棒樋・添樋などを施した作が伝わる。造込みは庵棟の鎬造を主とし、先反りつき大鋒に延びた豪壮なものから、反り浅い中鋒の尋常な姿まで幅がある。代の判別にあたっては、二字銘を初代の作とみるなど、銘のかたちと地刃の冴えとを併せて見るのが説示の示すところである。 鑑定の要点は、肌立つ板目鍛えに地沸・地景の加わる地鉄と、のたれ・互の目に沸を伴って砂流しのかかる刃取り、さらに皆焼を交える作のあることに置かれる。住所銘や年紀を切った作が多く、作刀地を明記した刀工銘や天正八年紀のごとく、資料としての価値の高い在銘作が伝わる点も本系の特色である。代表作には、若州小浜での所伝を裏づける在銘の刀のほか、備後国西条や備中松山など他国で鍛えた作があり、宮興盛のもとで天正五年に作刀した一口など、他国における活動を示す好資料も含まれる。彫物に長じた一面は、相州風よりむしろ平安城長吉などに近いと評され、両者の関係が問われることもある。末相州の流れを受けつつ末備前風をも併せ、若狭の地にあって戦国期から江戸期へと長く続いた一系として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の相州
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀 無銘 冬廣(天正頃) NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付 【解説】 本作は、室町時代末期の天正年間(1573-1592年)頃の「冬廣」と極められた一振りです。 冬廣の家系は、相州広次(二代)の子が初代と伝えられています。相州広次は相模国(現在の神奈川県)を代表する名工の一人です。初代冬廣は、師より相州伝の技術を学んだ後、寛正頃(1460年頃:室町時代中期)に若狭国(現在の福井県)へ移住しました。 当初は五ヶ伝の一つである「相州伝」を主としていましたが、次第に「備前伝」の作風を織り交ぜるようになります。古文献によれば、冬廣の名は室町時代から江戸時代末期まで十七代にわたって受け継がれました。本作の極めは、その技量を高く評価された初期の冬廣に帰せられるものと考えられます。 戦国時代、冬廣の一派はその実用性と人気の高さから、上級武士や戦国大名のために数多くの作刀を行いました。江戸時代には、若狭のみならず備前、備後、出雲、伯耆など各地で作刀した記録が残されています。 (相州伝について) 相州伝は、鎌倉時代中期に相模国(現在の神奈川県)で確立された作刀様式です。 当時、大和伝や山城伝は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。1185年に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、政治的安定のための体制づくりを優先したため、当初は地元の鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は大和や山城の鍛冶に依存していました。 しかし、幕府の基盤が固まるにつれ、御家人たちからの武器需要が爆発的に増加します。これに応えるべく、五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招きました。さらに七代将軍・惟康親王も備前より福岡一文字助真を招聘します。 これら名工たちが相州伝の基礎を築き、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光によってその技術は昇華されました。国光の弟子である行光、そして日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗へと技術は継承されます。正宗によって完成された相州伝は全国的な名声を博し、後の古刀・新刀期の多くの鍛冶に多大な影響を与えました。大阪の井上真改や江戸の水心子正秀なども、その影響を受けた代表的な工として知られています。 ※刀身には一部、薄い錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):73.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬による折り返しから生じる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分



















相州伝 · 若狭 · 1444-1449頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
冬廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 若狭
現在8点販売中
若狭冬広は、相州広次三代目の子と伝え、室町時代の康正頃に若州小浜へ移住したとされる一系である。説示によれば、その名跡は新々刀時代にまで続き、五代を数えたとも言われる。年紀のうえでは永正十二年紀に「冬広伍七三才」と銘した作が知られ、ほかに永正・天文・元亀・天正の年紀があって、室町後期から戦国期を通じての制作が確かめられる。源流は相州にあり、後には相州綱広の門に学んだと伝えるものの、相州住と銘した作は見ないとも記される。同じ頃に若州・伯州・雲州・備前・備中などと住所を切り替えた作があり、これらが同人によるものか否かは検討の余地が残るとして、説示はいずれも断を避けている。 作風として説示が繰り返し挙げるのは末相州風と末備前風の二様であり、同一の系のうちにこの両者が併存する点が判別の鍵となる。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が頻りに入る。刃文は焼幅広く、のたれに小互の目・小丁子や尖り刃を交え、足・葉が盛んに入り、荒めの沸を交えて砂流し・金筋がかかり、匂口の明るいものが多い。中には中直刃を基調に互の目・尖り刃を交え、飛焼が頻りに加わって棟焼も総体にかかり、皆焼となる作がある。一方で太直刃調に小互の目を交える穏やかな直刃出来もみられ、直刃と乱れの両様を焼き分ける。帽子は乱れ込んで尖りごころとなり、あるいは小丸に掃きかけて返る。彫物を得意とし、草の倶利迦羅・梵字・棒樋・添樋などを施した作が伝わる。造込みは庵棟の鎬造を主とし、先反りつき大鋒に延びた豪壮なものから、反り浅い中鋒の尋常な姿まで幅がある。代の判別にあたっては、二字銘を初代の作とみるなど、銘のかたちと地刃の冴えとを併せて見るのが説示の示すところである。 鑑定の要点は、肌立つ板目鍛えに地沸・地景の加わる地鉄と、のたれ・互の目に沸を伴って砂流しのかかる刃取り、さらに皆焼を交える作のあることに置かれる。住所銘や年紀を切った作が多く、作刀地を明記した刀工銘や天正八年紀のごとく、資料としての価値の高い在銘作が伝わる点も本系の特色である。代表作には、若州小浜での所伝を裏づける在銘の刀のほか、備後国西条や備中松山など他国で鍛えた作があり、宮興盛のもとで天正五年に作刀した一口など、他国における活動を示す好資料も含まれる。彫物に長じた一面は、相州風よりむしろ平安城長吉などに近いと評され、両者の関係が問われることもある。末相州の流れを受けつつ末備前風をも併せ、若狭の地にあって戦国期から江戸期へと長く続いた一系として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の相州
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.