Iwamoto Konkan was born in Edo in the first year of Enkyo (1744) with the surname Asai. Following the early death of the fifth master Ryokan, Konkan subsequently ascended to the sixth head of the school. Despite the Iwamoto roots in the Yokoya School, Konkan embraced the carving techniques of Yasuchika from the Nara School, creating a unique aesthetic marrying the best of both traditions. This piece is a magnificent depiction of an egret and boat, done in Takabori Iroe on a polished Shakudo base. The use of space and overall composition attest to Konkan's mastery of the Edo stylistic taste.






江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
町彫 · 武蔵
現在2点販売中
岩本昆寛(いわもとこんかん)は、延享元年(1744年)に江戸で生まれた金工家である。本姓は浅井氏、初めは良云(よしという)、後に昆寛と改めた。岩本家は元来、横谷派に属するが、昆寛は特に奈良派の彫法、中でも土屋安親の作風を深く研究した。五代目良寛が早世したため、弟弟子であった昆寛が岩本家の六代目を継承した。横谷派の基盤に奈良派の写実性と意匠を取り入れ、独自の作風を確立し、「江戸前のいかにも粋な昆寛の芸術」[[c:1]]と評される。
昆寛の作風は、赤銅、四分一、真鍮などの素材を巧みに用いる点に特徴がある。地金には魚子地、石目地、縮緬石目地などが見られ、高彫、鋤出高彫、容彫といった多様な彫技を駆使する。金、銀、赤銅、四分一、素銅などの色金を据紋象嵌、色絵として効果的に配し、作品に豊かな色彩と立体感を与えている。魚、獅子、蘭、雉子、人物など、題材は多岐にわたり、写実的な表現の中に独自の意匠とユーモアを込めている。また、青貝や金砂子象嵌といった素材も用い、装飾性を高めている。特に魚の表現においては、鱗一枚一枚、背骨一本一本まで精緻に彫り込まれ、その写実性と技術力の高さが窺える。鐔においては、地透、肉彫地透などの技法も見られ、空間を活かした構図も得意とする。作風は横谷派の繊細さと奈良派の力強さを兼ね備え、江戸趣味の洒脱さを加味した独自の境地を開いている。銘は「岩本昆寛」の他に、「浅井昆寛」、「春曙堂昆寛」、「白峯亭岩本昆寛」などがある。
岩本昆寛は、江戸金工界において独自の地位を築き、その作品は現代においても高く評価されている。「端的な意匠ながら、構図の均衡」[[c:2]]や「計算された繊細な彫り」[[c:3]]、「滞りのない鏨使い」[[c:4]]といった点が、その高い技術力を示すものとして特筆される。また、「江戸前の粋」という言葉で表現されるように、洗練された意匠と遊び心のある表現は、他の追随を許さない。昆寛の作品は、刀装具としての機能美に加え、美術品としての価値も高く、後世に多大な影響を与えた。
昆寛の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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町彫 · Edo
現在12点販売中
岩本派は、江戸に本拠を置いた町彫金工の一家であり、十八世紀初頭、横谷派に学んだ岩本忠兵衛を祖として興り、以後八代にわたって家系を継承した。審査説明に繰り返し記される如く、「岩本家は元来、横谷派である」[[c:2]]が、同家の歴史を画するのは六代目の継承である。五代目良寛が早世したため、弟弟子である昆寛が岩本家の六代目を継いだ。昆寛は延享元年に江戸で生まれ、本姓は浅井氏で、はじめ良(良云)といい、のち昆寛と改めた。横谷派の家系を継ぎながら、昆寛は安親を主とした奈良派の彫法を研究し、横谷・奈良派の長所を取り入れて完成したものが、江戸前のいかにも粋な昆寛の芸術である。銘には「春曙堂昆寛」「白峯亭岩本昆寛」の号銘も見られる。その後、通称を喜十郎という寛利が、はじめ昆寛の弟子で、後にその養子となって岩本家七代目を継ぎ、また江戸麹町に住した昆寿も名工昆寛の門人として活躍しており、一門の広がりを伝えている。 一門の作風は、横谷派の彫技と奈良派の彫法との融合の上に成り立つ。基調をなすのは赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅の据紋象嵌色絵を加える手法であるが、現存する重要刀装具には、四分一磨地、鉄磨地、赤銅・四分一の縮緬石目地、真鍮石目地、金地など多彩な地金・地肌が認められ、鋤出高彫・鋤下彫・肉彫地透・毛彫、さらに青貝嵌入(魚の目に青貝を嵌め込む例もある)を自在に併用している。独特の三角鏨は一門の見所として説明中に度々指摘され、余白を巧妙に使用した絶妙な構図と配置、表裏の対照を計算した画面構成も特色である。画題は写生に根ざした自然物を得意とし、鱗の一枚一枚まで表現した彫りの精緻性をもって「魚があたかも一匹一匹種類が特定出来るほどの精緻さ」[[c:3]]と評される魚尽をはじめ、芦に白鷺、月下の雉子、藻鯉、鵜飼や調布玉川の風景、獅子、蘭、菊花、雲龍、さらに大日如来や仁王といった仏教的画題にまで及ぶ。昆寛は「写生派としても一流であった」[[c:4]]と評される一方、葵紋を手がけて揃いとした一作金具の打刀拵の如く、注文による正統派の仕事においても、赤銅魚子地、高彫、金色絵という伝統の技法のうちに存分に高い技術を顕示している。 岩本派の名声は、何よりも六代昆寛によって確立された。昆寛は岩本家を継いだ江戸金工の大家であり、常に「江戸前の粋」という言葉で賞される工人であって、その作は津軽家伝来、酒井伯爵家伝来の品が知られるなど、大名家においても珍重された。多彩にして多作なその芸術は後代に範を示し、七代寛利は師風をよく踏襲して昆寛に次いで力作を遺し、門人昆寿も作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、色絵の手法も象嵌方式が多いと評されるなど、師の技法を確実に受け継いだ。横谷・奈良両派の長所を取り入れて江戸前のいかにも粋な作風を確立した岩本派は、江戸時代中期から後期の町彫金工を代表する一門として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 昆寛 | — | 50 |
| 寛利 | 1776-1815 | 3 |
| 政克 (Masamoto | — | 0 |
| 宗栄 | — | 0 |
| 良寛 | — | 0 |
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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