重要刀剣 来国行 大磨上無銘 販売状況:販売中 鑑定書:第61回重要刀剣指定(平成27年10月20日指定) 種別:刀 銘文:無銘(来国行) 【寸法】 長さ:68.7 cm(二尺二寸六分強) 反り:1.7 cm 元幅:2.75 cm 先幅:1.9 cm 切先長:3.2 cm 茎長:18.4 cm 茎反:僅か 【形状】 鎬造、庵棟。身幅標準的で、元先の幅差が少ない。磨上げながら腰反り深く、先にも反りが加わり、中切先となる。 【鍛え】 板目肌よく詰み、地沸厚く細かに付く。 【刃文】 直刃調に小丁子、小互の目交じり、ほつれ、細かな地景入る。地には淡く沸映り立つ。所々丁子足目立ち、小沸よく付く。一部に一段と明るく荒めの沸が叢(むら)立ち、金筋、砂流しかかる。掃き掛け頻りにしきりにかかる。 【帽子】 ごく浅くのたれ心、小丸に返る。 【茎】 大磨上、先切。鑢目勝手下がり。目釘孔四個。無銘。 【働】 二重刃、口外刃(くちがいば)見られ、刃中に足、葉入る。 【解説】 国行は来派の実質的な開祖と仰がれる名工です。短刀の在銘作は極めて稀ですが、太刀の在銘作は比較的現存しています。国行の作刀には年紀銘のあるものは皆無ですが、その子である二字国俊に弘安元年(1278年)銘の作があることから、国行の活躍年代は康元(1256〜1257年)頃と推定されています。 国行の太刀姿には、細身で優美なものから標準的なもの、さらには広身で豪壮なものまで多様な作風が見られます。本作は、精良に詰んだ板目肌に鮮やかな沸映りが立ち、刃文は直刃を基調として小丁子や小互の目が交じります。帽子が素直に小丸へと返る様は、まさに来派の典型的な特色を示しています。 特に、刃中に古色を帯びた丁子の足が顕著に現れる点は、国行の極めを裏付ける見どころと言えます。また、刃文の一部には一段と輝きの強い沸が煌めき、地刃ともに明るく冴え渡っています。保存状態も極めて健全であり、名品と呼ぶに相応しい一振りです。
国行は、来派の事実上の祖であり、短刀の確実な遺例は僅かに一口のみであるが、太刀の在銘作は比較的多い。国行の作刀には制作年紀を 添えたものは皆無で、その子と伝える二字国俊に弘安元年紀があることから、通説の康元頃という年代は妥当とみられる。 彼の太刀姿は、細身、 尋常なもの、身幅がたっぷりとして豪壮なものなど種々見られる。 この刀は、地鉄は板目のつんだ精美な鍛えに沸映りが立ち、刃文は直刃調に小丁子・小互の目が交じり、帽子は直ぐに小丸ごころとなるなど、 地刃に来派の特色が著しく、中でも刃文の処々に目立つ古色ある丁子乱れに国行の極めが首肯される。刃縁には一際光美しい沸がきらめき、地 刃共に明るく冴え渡り、総じて頗る健全である。








































国行は、来派の事実上の祖であり、短刀の確実な遺例は僅かに一口のみであるが、太刀の在銘作は比較的多い。国行の作刀には制作年紀を 添えたものは皆無で、その子と伝える二字国俊に弘安元年紀があることから、通説の康元頃という年代は妥当とみられる。 彼の太刀姿は、細身、 尋常なもの、身幅がたっぷりとして豪壮なものなど種々見られる。 この刀は、地鉄は板目のつんだ精美な鍛えに沸映りが立ち、刃文は直刃調に小丁子・小互の目が交じり、帽子は直ぐに小丸ごころとなるなど、 地刃に来派の特色が著しく、中でも刃文の処々に目立つ古色ある丁子乱れに国行の極めが首肯される。刃縁には一際光美しい沸がきらめき、地 刃共に明るく冴え渡り、総じて頗る健全である。
Rai (Yamashiro), Rai Kuniyuki · 山城 · 1259-1260頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
現在2点販売中
来国行は、諸書がくり返し記すとおり「国行は、来派の事実上の祖であり」[[c:5]]、鎌倉時代中期に活躍した山城の工である。自身の作には年紀を有するものが皆無であるが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って通説の正元・文応頃という活躍年代が首肯される。在銘の太刀は比較的多く現存し、確実な短刀は二字国俊同様に僅か一口を数えるのみで、来一門の祖として山城来派の出発点に位置する。
姿は一様でない。「彼の太刀姿は、細身」[[c:6]]・尋常なもの・身幅たっぷりとして豪壮なものなど種々見られ、鋒は猪首風に結ぶのが通例である。生ぶ茎在銘の作は輪反り高く小鋒で優美であり、現存作の多くは大磨上無銘で、幅広・重ね厚く、磨上げながらも深い輪反りを保って堂々たる気品を示す。
地鉄は終始一貫している。精美な小板目を主体に、板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が入り、沸映りが立って処々乱れ映り風を呈する。かねは強く冴え、いわゆる来肌の明るく精到な鍛えがまず目に映る見どころである。
この地に、国行は備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調の刃を焼く。小丁子・小互の目・小乱れ・角ばる刃を交えて複雑に変化し、足・葉が繁く入って京逆足となるところも多く、匂深く明るく、小沸が厚くつき、刃中に金筋・砂流しがかかる。焼頭には小さな飛焼・湯走りが点じて雁股風をなし、棟焼を交えることもある。働きは刃の高さではなく沸に宿る。
帽子こそ見誤られやすい。単なる小丸ではない。返りは小丸が最も多いが、多くは掃きかけを伴い、地の働きが鋒へ続く。諸書はこれを「盛んに掃きかける」[[c:1]]と記し、また「先小丸やや尖りごころに返る」[[c:2]]とする。さらに「帽子は小さく乱れ込み、先尖りごころ」[[c:3]]となるものも多く、時に尖り、時に焼詰め風となる。小丸と乱れ込みだけを挙げる見方は、実は支配的な掃きかけを取りこぼしており、鑑別では掃きかけを小丸と並ぶ第一の特色に据えるべきである。
来派の祖たるにふさわしく、伝来も重い。在銘の特別重要刀剣の太刀は筑前黒田家に伝わり、元禄十四年(一七〇一)「本阿弥光忠」の代金子千貫の折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を附帯する。ほかに大磨上の一口は薩摩島津家に伝来し、銘振りは小笠原家旧蔵の作に比して理解され、徳川家にも及ぶ。国宝一口・重要文化財多数を遺し、特別重要刀剣と重要刀剣を合わせれば凡そ百口に達して、古刀山城の最上位に列し、自在に取引し得る作は稀有である。
國行の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在47点販売中
来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト重要刀剣 来国行 大磨上無銘 販売状況:販売中 鑑定書:第61回重要刀剣指定(平成27年10月20日指定) 種別:刀 銘文:無銘(来国行) 【寸法】 長さ:68.7 cm(二尺二寸六分強) 反り:1.7 cm 元幅:2.75 cm 先幅:1.9 cm 切先長:3.2 cm 茎長:18.4 cm 茎反:僅か 【形状】 鎬造、庵棟。身幅標準的で、元先の幅差が少ない。磨上げながら腰反り深く、先にも反りが加わり、中切先となる。 【鍛え】 板目肌よく詰み、地沸厚く細かに付く。 【刃文】 直刃調に小丁子、小互の目交じり、ほつれ、細かな地景入る。地には淡く沸映り立つ。所々丁子足目立ち、小沸よく付く。一部に一段と明るく荒めの沸が叢(むら)立ち、金筋、砂流しかかる。掃き掛け頻りにしきりにかかる。 【帽子】 ごく浅くのたれ心、小丸に返る。 【茎】 大磨上、先切。鑢目勝手下がり。目釘孔四個。無銘。 【働】 二重刃、口外刃(くちがいば)見られ、刃中に足、葉入る。 【解説】 国行は来派の実質的な開祖と仰がれる名工です。短刀の在銘作は極めて稀ですが、太刀の在銘作は比較的現存しています。国行の作刀には年紀銘のあるものは皆無ですが、その子である二字国俊に弘安元年(1278年)銘の作があることから、国行の活躍年代は康元(1256〜1257年)頃と推定されています。 国行の太刀姿には、細身で優美なものから標準的なもの、さらには広身で豪壮なものまで多様な作風が見られます。本作は、精良に詰んだ板目肌に鮮やかな沸映りが立ち、刃文は直刃を基調として小丁子や小互の目が交じります。帽子が素直に小丸へと返る様は、まさに来派の典型的な特色を示しています。 特に、刃中に古色を帯びた丁子の足が顕著に現れる点は、国行の極めを裏付ける見どころと言えます。また、刃文の一部には一段と輝きの強い沸が煌めき、地刃ともに明るく冴え渡っています。保存状態も極めて健全であり、名品と呼ぶに相応しい一振りです。
国行は、来派の事実上の祖であり、短刀の確実な遺例は僅かに一口のみであるが、太刀の在銘作は比較的多い。国行の作刀には制作年紀を 添えたものは皆無で、その子と伝える二字国俊に弘安元年紀があることから、通説の康元頃という年代は妥当とみられる。 彼の太刀姿は、細身、 尋常なもの、身幅がたっぷりとして豪壮なものなど種々見られる。 この刀は、地鉄は板目のつんだ精美な鍛えに沸映りが立ち、刃文は直刃調に小丁子・小互の目が交じり、帽子は直ぐに小丸ごころとなるなど、 地刃に来派の特色が著しく、中でも刃文の処々に目立つ古色ある丁子乱れに国行の極めが首肯される。刃縁には一際光美しい沸がきらめき、地 刃共に明るく冴え渡り、総じて頗る健全である。








































国行は、来派の事実上の祖であり、短刀の確実な遺例は僅かに一口のみであるが、太刀の在銘作は比較的多い。国行の作刀には制作年紀を 添えたものは皆無で、その子と伝える二字国俊に弘安元年紀があることから、通説の康元頃という年代は妥当とみられる。 彼の太刀姿は、細身、 尋常なもの、身幅がたっぷりとして豪壮なものなど種々見られる。 この刀は、地鉄は板目のつんだ精美な鍛えに沸映りが立ち、刃文は直刃調に小丁子・小互の目が交じり、帽子は直ぐに小丸ごころとなるなど、 地刃に来派の特色が著しく、中でも刃文の処々に目立つ古色ある丁子乱れに国行の極めが首肯される。刃縁には一際光美しい沸がきらめき、地 刃共に明るく冴え渡り、総じて頗る健全である。
Rai (Yamashiro), Rai Kuniyuki · 山城 · 1259-1260頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
現在2点販売中
来国行は、諸書がくり返し記すとおり「国行は、来派の事実上の祖であり」[[c:5]]、鎌倉時代中期に活躍した山城の工である。自身の作には年紀を有するものが皆無であるが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って通説の正元・文応頃という活躍年代が首肯される。在銘の太刀は比較的多く現存し、確実な短刀は二字国俊同様に僅か一口を数えるのみで、来一門の祖として山城来派の出発点に位置する。
姿は一様でない。「彼の太刀姿は、細身」[[c:6]]・尋常なもの・身幅たっぷりとして豪壮なものなど種々見られ、鋒は猪首風に結ぶのが通例である。生ぶ茎在銘の作は輪反り高く小鋒で優美であり、現存作の多くは大磨上無銘で、幅広・重ね厚く、磨上げながらも深い輪反りを保って堂々たる気品を示す。
地鉄は終始一貫している。精美な小板目を主体に、板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が入り、沸映りが立って処々乱れ映り風を呈する。かねは強く冴え、いわゆる来肌の明るく精到な鍛えがまず目に映る見どころである。
この地に、国行は備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調の刃を焼く。小丁子・小互の目・小乱れ・角ばる刃を交えて複雑に変化し、足・葉が繁く入って京逆足となるところも多く、匂深く明るく、小沸が厚くつき、刃中に金筋・砂流しがかかる。焼頭には小さな飛焼・湯走りが点じて雁股風をなし、棟焼を交えることもある。働きは刃の高さではなく沸に宿る。
帽子こそ見誤られやすい。単なる小丸ではない。返りは小丸が最も多いが、多くは掃きかけを伴い、地の働きが鋒へ続く。諸書はこれを「盛んに掃きかける」[[c:1]]と記し、また「先小丸やや尖りごころに返る」[[c:2]]とする。さらに「帽子は小さく乱れ込み、先尖りごころ」[[c:3]]となるものも多く、時に尖り、時に焼詰め風となる。小丸と乱れ込みだけを挙げる見方は、実は支配的な掃きかけを取りこぼしており、鑑別では掃きかけを小丸と並ぶ第一の特色に据えるべきである。
来派の祖たるにふさわしく、伝来も重い。在銘の特別重要刀剣の太刀は筑前黒田家に伝わり、元禄十四年(一七〇一)「本阿弥光忠」の代金子千貫の折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を附帯する。ほかに大磨上の一口は薩摩島津家に伝来し、銘振りは小笠原家旧蔵の作に比して理解され、徳川家にも及ぶ。国宝一口・重要文化財多数を遺し、特別重要刀剣と重要刀剣を合わせれば凡そ百口に達して、古刀山城の最上位に列し、自在に取引し得る作は稀有である。
國行の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在47点販売中
来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト