説明

来国行(無銘)の重要刀剣、猪首切っ先で京反り付いた鎌倉中期の典雅なる姿に、京丁子を交えた焼き刃、沸映り等々、随所に国行の見所が示された名品です。 山城国では、鎌倉初期より鎌倉後期に掛けて粟田口派が栄えましたが、鎌倉中期頃より、それに入れ替わる形で登場したのが来派であり、以降南北朝期に掛けて大いに活躍しました。 古伝書等では、その開祖として国吉の名を挙げていますが、在銘正真確実な現存作が皆無であるため、国吉の子と伝わる国行を事実上の祖とするのが、現在の通説となっています。 国行は同派の棟梁として、国宝一口、重要文化財十五口、重要美術品十一口を数える名工で、年紀作は皆無ですが、その子とされる国俊に弘安元年(一二七八)の作があることから、通説鎌倉中期の康元(一二五六~五七)頃とされる同工の活躍期は妥当と考えられます。 作風は、身幅尋常か、やや広め、元先身幅の差が少ない太刀姿が大半で、反りは、京(輪)反りを基本としています。帽子は、中切っ先か小切っ先で、詰まって猪首風となるのが大半、地鉄は、小板目詰んだものに加えて、板目が大模様に現れる場合もあり、肌立ち気味で、地沸厚く付いて、沸映りが立ちます。端正な直刃はまずなく、焼き幅広めの直湾れ調で、小丁子、京逆足、小互の目、角張る刃、小乱れを交えます。初期には、丁子が密に詰まった華やかな作も見られます。 本作は平成二十六年(二〇一四)、第六十回重要刀剣指定品、『来国行』と極められた鎌倉中期の典雅なる京太刀です。 本作は寸法二尺四寸三分弱、切っ先猪首風に詰まり、京反り付いた鎌倉中期に於ける来派の太刀姿を良く示しています。 小板目良く詰んだ精良な地鉄は、所々流れ心に肌立ち、淡く沸映り立ち、小丁子風の刃を主体に、小互の目、小乱れを交えた焼き刃は、刃縁小沸付いて匂い深く、下半は雁股(先が二股に分かれた形状)風の湯走り交じり、刃中京逆足、小足、葉頻りに入り、繊細な金筋、砂流しが掛かっています。 図譜には、『この刀は、姿、地刃の出来からして、来国行の極めは正に至当、刃中の働きは豊富で変化と景色に富んで見所多く、総じて京物としての品格が備わる優れた一口である。』とあり、探山先生鞘書きにも、『地刃に来気質を明示し、その中でも古様さと高い風格から、一派の頭領なる同工と鑑すべき優品也。取り分け裏上半の刃中、足、葉が繁く働く様は見事であり、本刀の見せ場也。』とあります。 これだけ寸法があって、随所に国行の見所が示された鎌倉中期の京太刀、京物を好まれる方には堪らない逸品、これは見逃せません。

刀 来国行(無銘) Katana:Rai Kuniyuki(Mumei)
売切れ
Jūyō売切れ

刀 来国行(無銘) Katana:Rai Kuniyuki(Mumei)

売却済

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仕様

長さ

73.5 cm

反り

1.8 cm

元幅

2.7 cm

先幅

1.87 cm

作者について

Rai Kuniyuki國行

1 国宝16 重要文化財11 重要美術品20 特別重要刀剣77 重要刀剣

来国行は、諸書がくり返し記すとおり「国行は、来派の事実上の祖であり」、鎌倉時代中期に活躍した山城の工である。自身の作には年紀を有するものが皆無であるが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って通説の正元・文応頃という活躍年代が首肯される。在銘の太刀は比較的多く現存し、確実な短刀は二字国俊同様に僅か一口を数えるのみで、来一門の祖として山城来派の出発点に位置する。 姿は一様でない。「彼の太刀姿は、細身」・尋常なもの・身幅たっぷりとして豪壮なものなど種々見られ、鋒は猪首風に結ぶのが通例である。生ぶ茎在銘の作は輪反り高く小鋒で優美であり、現存作の多くは大磨上無銘で、幅広・重ね厚く、磨上げながらも深い輪反りを保って堂々たる気品を示す。 地鉄は終始一貫している。精美な小板目を主体に、板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が入り、沸映りが立って処々乱れ映り風を呈する。かねは強く冴え、いわゆる来肌の明るく精到な鍛えがまず目に映る見どころである。 この地に、国行は備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調の刃を焼く。小丁子・小互の目・小乱れ・角ばる刃を交えて複雑に変化し、足・葉が繁く入って京逆足となるところも多く、匂深く明るく、小沸が厚くつき、刃中に金筋・砂流しがかかる。焼頭には小さな飛焼・湯走りが点じて雁股風をなし、棟焼を交えることもある。働きは刃の高さではなく沸に宿る。 帽子こそ見誤られやすい。単なる小丸ではない。返りは小丸が最も多いが、多くは掃きかけを伴い、地の働きが鋒へ続く。諸書はこれを「盛んに掃きかける」と記し、また「先小丸やや尖りごころに返る」とする。さらに「帽子は小さく乱れ込み、先尖りごころ」となるものも多く、時に尖り、時に焼詰め風となる。小丸と乱れ込みだけを挙げる見方は、実は支配的な掃きかけを取りこぼしており、鑑別では掃きかけを小丸と並ぶ第一の特色に据えるべきである。 来派の祖たるにふさわしく、伝来も重い。在銘の特別重要刀剣の太刀は筑前黒田家に伝わり、元禄十四年(一七〇一)「本阿弥光忠」の代金子千貫の折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を附帯する。ほかに大磨上の一口は薩摩島津家に伝来し、銘振りは小笠原家旧蔵の作に比して理解され、徳川家にも及ぶ。国宝一口・重要文化財多数を遺し、特別重要刀剣と重要刀剣を合わせれば凡そ百口に達して、古刀山城の最上位に列し、自在に取引し得る作は稀有である。

刀剣商

コレクション情報

samurai-nippon.net

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