後藤光晃(花押) 後藤廉乗極め 後藤家十代目当主である廉乗は、寛永五(1628)年に生まれました。幼名を亀一、後に源四郎と称し、四郎兵衛本家を継いで光倫と名乗ります。承応元(1652)年、25歳の若さで十代目当主となりました。 後藤家は代々京都を拠点としていましたが、廉乗は寛文二(1662)年に拠点を江戸へと移しました。これ以降、十七代典乗に至るまで江戸後藤家としての歴史が続きます。天和三(1683)年、56歳で落飾して廉乗と号し、元禄十(1697)年に養子の光信(程乗)に家督を譲って京都で隠居するまで、精力的に制作を続けました。 本作は後藤本家の作品としては珍しい縁頭であり、毘沙門天の姿を見事に描き出しています。十代目廉乗の卓越した技量を存分に示した名品といえます。 後藤光晃(花押) 廉乗極め 毘沙門天図縁頭





光明
江戸
伝
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 山城
現在2点販売中
後藤光晃(ごとうみつあき)は、後藤家十六代目を務めた刀装金工である。十五代目光美(みつよし)の四男として文化十三年(1816年)に生まれ、幼名を光年、俗名を新二郎のち源之丞と称した。天保六年(1835年)に父の隠居に伴い家督を相続し、四郎兵衛光晃と改名した。後藤家は代々京都に居住していたが、寛文二年(1662年)に十代廉乗(やすのり)が江戸に移住して以降、光晃に至るまで江戸に居住した。光晃は幕末期に活躍し、家彫の伝統を守りながらも、時代に即した作風を展開した。
光晃の作風は、後藤家の伝統的な彫技を基盤としつつ、写実的な表現や多様な意匠を取り入れている点が特徴である。赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)に金紋(きんもん)を配した作例が多く、その彫技は「流石に光晃ならではの技量の高さが窺える」と評される。霊獣や動植物、人物などを題材とし、高彫(たかぼり)、色絵(いろえ)、象嵌(ぞうがん)などの技法を駆使して、緻密で立体感のある表現を追求した。特に、大小拵(こしらえ)の総金具を手がけた作例においては、統一感のある意匠と高度な技術が示されている。また、注文に応じて特定の画題や意匠を取り入れることもあり、その柔軟な対応力も光晃の作風を特徴づける要素の一つである。
光晃の作品は、「後藤家の家風を守った重厚で品格の高い姿」と評される一方で、「家彫を駆使しての力作」[[c:1]]とも評されており、伝統と革新の融合が評価されている。その作風は、幕末期の刀装金工界において独自の地位を確立し、後藤家の名声を高めることに貢献した。
光明の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
現在312点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内にご連絡ください。その際の送料はお客様ご負担とさせていただきます。ご返金は、商品到着後お送りしたときと同じ状態であることを確認の上、翌日ご指定の口座にお振込みさせていただきます。
後藤光晃(花押) 後藤廉乗極め 後藤家十代目当主である廉乗は、寛永五(1628)年に生まれました。幼名を亀一、後に源四郎と称し、四郎兵衛本家を継いで光倫と名乗ります。承応元(1652)年、25歳の若さで十代目当主となりました。 後藤家は代々京都を拠点としていましたが、廉乗は寛文二(1662)年に拠点を江戸へと移しました。これ以降、十七代典乗に至るまで江戸後藤家としての歴史が続きます。天和三(1683)年、56歳で落飾して廉乗と号し、元禄十(1697)年に養子の光信(程乗)に家督を譲って京都で隠居するまで、精力的に制作を続けました。 本作は後藤本家の作品としては珍しい縁頭であり、毘沙門天の姿を見事に描き出しています。十代目廉乗の卓越した技量を存分に示した名品といえます。 後藤光晃(花押) 廉乗極め 毘沙門天図縁頭





光明
江戸
伝
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 山城
現在2点販売中
後藤光晃(ごとうみつあき)は、後藤家十六代目を務めた刀装金工である。十五代目光美(みつよし)の四男として文化十三年(1816年)に生まれ、幼名を光年、俗名を新二郎のち源之丞と称した。天保六年(1835年)に父の隠居に伴い家督を相続し、四郎兵衛光晃と改名した。後藤家は代々京都に居住していたが、寛文二年(1662年)に十代廉乗(やすのり)が江戸に移住して以降、光晃に至るまで江戸に居住した。光晃は幕末期に活躍し、家彫の伝統を守りながらも、時代に即した作風を展開した。
光晃の作風は、後藤家の伝統的な彫技を基盤としつつ、写実的な表現や多様な意匠を取り入れている点が特徴である。赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)に金紋(きんもん)を配した作例が多く、その彫技は「流石に光晃ならではの技量の高さが窺える」と評される。霊獣や動植物、人物などを題材とし、高彫(たかぼり)、色絵(いろえ)、象嵌(ぞうがん)などの技法を駆使して、緻密で立体感のある表現を追求した。特に、大小拵(こしらえ)の総金具を手がけた作例においては、統一感のある意匠と高度な技術が示されている。また、注文に応じて特定の画題や意匠を取り入れることもあり、その柔軟な対応力も光晃の作風を特徴づける要素の一つである。
光晃の作品は、「後藤家の家風を守った重厚で品格の高い姿」と評される一方で、「家彫を駆使しての力作」[[c:1]]とも評されており、伝統と革新の融合が評価されている。その作風は、幕末期の刀装金工界において独自の地位を確立し、後藤家の名声を高めることに貢献した。
光明の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内にご連絡ください。その際の送料はお客様ご負担とさせていただきます。ご返金は、商品到着後お送りしたときと同じ状態であることを確認の上、翌日ご指定の口座にお振込みさせていただきます。