Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 右衛門尉康光は盛光と共に応永備前の双璧と讃えられた刀工。我が国の日本刀製作の中心的な位置にあった備前長船の地では古くから技術革新が続けられており、常に時代に応じた優れた刀が生み出されてきた。後に脇差と呼ばれるようになった一尺六寸前後の鎬造の��刀は、南北朝時代の腰刀や小太刀が抜刀に適したほど良い寸法に改良されたものと推考され、応永以降にも太刀の副え差しとして盛んに用いられている。


Oei-Bizen (Osafune) · 備前 · 1394-1428頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位11%
現在1点販売中
長船康光は、室町時代初期、応永年間(一三九四〜一四二八)の頃に備前国に活躍した刀工である。南北朝の衰微の後、長船の地に栄えた一群の鍛冶を説明書は応永備前と呼び、康光を盛光とともにその筆頭に据える。説明書は康光を盛光と並ぶ「室町時代初期の備前鍛冶の双璧である」[[c:1]]と記す。両工の下には家助・経家・実光らを同派の上手として挙げる。一派の理想は鎌倉時代への復古にあり、廃れていた丁子刃や古い太刀姿の再現にそれが窺われると説明書は記す。康光は長光・景光より続く長船の系を承け、年紀作は応永の年間に密に分布し、「備州長船康光」の長銘を棟寄りに切り、裏に年紀を添える。
本領にして最も特徴的な手は華やかな乱れである。板目に杢を交えて肌立った鍛えに、丁子を交えて腰の開いた互の目を大模様に乱れて焼く。基部が腰で広く開くこの腰開きの形を、説明書は一派固有のものとする。足・葉さかんに入り、匂主調に小沸つき、僅かに砂流しかかり金筋細かに入り、時に飛焼を交え、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで尖り、舌状の先となって返り、掃きかける。この返りこそ康光と一派の見どころであり、説明書は先の尖った帽子を「ローソクの芯」と称し、応永備前の特徴的なものとする。姿や丁子が想わせる鎌倉復古から、応永備前を分かつ点である。
地鉄は全作を通じて一様で、それ自体が鑑定の拠となる。板目に杢を多く交えて肌立ち、流れごころを帯び、地沸微塵につき、地景風のかねが入る。地には映りが立ち、説明書はこれを二様に分ける。直ぐな棒映り・直ぐ映りと、より古びたものとして鎌倉末長船物を彷彿させる乱れ映りである。ある太刀について説明書は、その「映りの様子は此の期に多い棒映りでなく、乱れ映りを表している」[[c:2]]と記す。穏やかな鎌倉の地ではなく、杢を交えて肌立つ板目こそ、極めを定める拠である。表裏に棒樋を区上で丸止めにするのが一派の見どころであり、腰元には梵字・三鈷附剣や神名を刻むものがある。
華やかな乱れと並んで、説明書は第二の穏やかな手を挙げる。中直刃・細直刃で、匂口締まりごころに明るく冴え、僅かに小互の目・逆足を交え、刃縁にほつれ・喰違刃を交え、帽子は直ぐに小丸となる。この直刃の手は比較的多く、また盛光よりはむしろ康光に見られるとし、説明書は「直刃は盛光よりは康光に多いようである」[[c:3]]と記す。銘は代別の register に従い、本 corpus は大半が生ぶの長銘・応永年紀で、二字銘は比較的少なく年紀のないことが多い。年紀は応永・正長・永享・嘉吉に及び、通説に正長以後を別手とする。銘鑑は右衛門尉を名乗る康光を初代・応永頃とし、同名五代を室町末まで数え、永享・文安頃に活躍した左京亮、所謂永享備前を次代とするが、その作風は小模様でやや劣り、厳密な代別はなお今後の検討に委ねるとする。
応永備前の双璧は一派の作風を共有し、両者を分かつ鑑定上の見どころは細やかなものである。乱れの頭が尖りごころとなる点を、説明書は「概して盛光よりは康光によく見られる刃文」[[c:4]]とし、穏やかな直刃についても同様に述べる。その直刃は紛れやすく、一見鎌倉末期の長船物を想起させ、匂口の沈む逆足交じりのものは青江を想わせる。説明書はその一口について「さながら青江を思わせるものであるが、このような出来口はまま康光に見られるところである」[[c:5]]と記す。極めは肌立つ板目・杢の地と応永の姿より康光に定まる。腰元に刻む梵字・三鈷附剣・八幡大菩薩等の神名彫は康光の創意ではなく相承であり、説明書は「これは長光景光以来の長船物に見る刀身彫の伝統であり、末備前まで継承されている」と記す。
藤代の極めで上々作。指定の record にも重みがあり、重要文化財四口・特別重要刀剣四口を上に戴き、その下に重要刀剣四十三口を数え、特別重要刀剣・重要刀剣の級を合わせて四十七口に及ぶ。作はほぼ在銘で、公の記録では在銘五十五口に対し無銘はない。太刀・刀・脇指・短刀のいずれにも上手な作を遺し、応永備前では極めて珍しい生ぶ在銘の大身槍まである。来歴も格別で、十二口に伝来があり、土佐の山内家、鍋島家、前田家、藤堂家、内藤家、秋元家、皇室、また赤穂義士堀部安兵衛(武庸)の手を経たものを録する。重要文化財は patrimony として永く伝えられ、市に出ることはない。所在の知られるものは神社・博物館に多く蔵され、熱田神宮・伊勢神宮・日光東照宮、佑徳・林原・備前長船刀剣の各博物館、大英博物館などにある。特別重要刀剣・重要刀剣の級の康光は、これほど名のある工としては作が多く、全く手の届かぬものではないが、優品は所蔵に留まり、市に現れるのは時折のことで、現れれば室町初期備前の一つの landmark となる。
康光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 応永備前· 1390–1441
現在17点販売中
概要・位置づけ 応永備前とは、室町時代初期の応永年間を中心に、備前国長船の地に繁栄した刀工群ならびにその作刀を汎称する呼称である。長船派の長い歴史のなかで、南北朝末期の身幅広く鋒の延びた大柄な姿から脱却し、室町中期へと至る一時代区分を形づくる作風期に当たる。この期を代表する刀工としては盛光・康光・家助・経家等が挙げられ、なかでも盛光と康光は「応永備前の双璧」と称される。盛光は一説に師光の子と伝え、その作刀年紀は応永から文明に亘り、初・二代の存在が指摘される。康光もまた応永・正長・永享・嘉吉等の年紀があり、正長以後は二代の作とされる。応永備前の継承は永享期にも及び、則光・祐光は所謂永享備前の双璧として名高く、長船の伝統は室町前期を通じてなお活力を保った。実光・重光等の同派一類に属する工も知られ、これらが応永備前の作域を共有している。 作風 応永備前の刀工達の理想は鎌倉時代の復古にあったとみられ、優美な太刀姿や、南北朝期には廃れていた丁子刃の再現にそれが窺われる。一見、鎌倉期の一文字派や長船物の作域を想わせる格調高い出来があるが、同じ太刀姿でも先反りが加わり、鍛えには板目に杢が目立って交じり、肌立った地鉄に地景風のかねが入る点に一派の個性が表示される。地鉄には乱れ映り、あるいは棒映りが鮮明に立つ。刃文には二様があり、その一は腰の開いた互の目に丁子・小互の目・角がかる刃などを交え、大模様に華やかに乱れて足・葉入り、匂勝ちに小沸つき、匂口明るい乱れ刃である。その二は穏健な直刃調の作で、これも上手とされる。帽子は焼深く乱れ込み、先が小さく尖って返る、いわゆる「ローソクの芯」と称せられる特徴的な態となるところが一派の標識である。彫物では表裏の棒樋を区上で丸止めにする点が見どころとされ、八幡大菩薩・一宮大明神等の神号や梵字の重ね彫を伴う作も少なくない。 評価・伝承 応永備前の諸工は、優美な太刀姿と健全な地刃を兼ね備えた作を多く遺し、その地鉄は潤いある優れた質を有する。盛光の作には乱れの頭がゆったりと丸いところに見処があり、康光の太刀は丁子刃が目立って華やかに乱れ、出来の優れたものがままみられる。生ぶの茎を留め、銘字・鑢目の鮮明な作例は、同工の技倆と作域を知るうえで好資料とされる。所載作には紀州徳川家伝来の太刀や靖國神社所蔵の大太刀があり、伝来の確かな優品も含まれる。腰開きの互の目による華やかな乱れであれ、古雅な直刃であれ、応永備前は鎌倉期への復古を志しつつ独自の個性を確立した一作風期として、備前鍛冶の歴史のなかでも屈指の充実をみた時代と評される。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 右衛門尉康光は盛光と共に応永備前の双璧と讃えられた刀工。我が国の日本刀製作の中心的な位置にあった備前長船の地では古くから技術革新が続けられており、常に時代に応じた優れた刀が生み出されてきた。後に脇差と呼ばれるようになった一尺六寸前後の鎬造の��刀は、南北朝時代の腰刀や小太刀が抜刀に適したほど良い寸法に改良されたものと推考され、応永以降にも太刀の副え差しとして盛んに用いられている。


Oei-Bizen (Osafune) · 備前 · 1394-1428頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位11%
現在1点販売中
長船康光は、室町時代初期、応永年間(一三九四〜一四二八)の頃に備前国に活躍した刀工である。南北朝の衰微の後、長船の地に栄えた一群の鍛冶を説明書は応永備前と呼び、康光を盛光とともにその筆頭に据える。説明書は康光を盛光と並ぶ「室町時代初期の備前鍛冶の双璧である」[[c:1]]と記す。両工の下には家助・経家・実光らを同派の上手として挙げる。一派の理想は鎌倉時代への復古にあり、廃れていた丁子刃や古い太刀姿の再現にそれが窺われると説明書は記す。康光は長光・景光より続く長船の系を承け、年紀作は応永の年間に密に分布し、「備州長船康光」の長銘を棟寄りに切り、裏に年紀を添える。
本領にして最も特徴的な手は華やかな乱れである。板目に杢を交えて肌立った鍛えに、丁子を交えて腰の開いた互の目を大模様に乱れて焼く。基部が腰で広く開くこの腰開きの形を、説明書は一派固有のものとする。足・葉さかんに入り、匂主調に小沸つき、僅かに砂流しかかり金筋細かに入り、時に飛焼を交え、匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込んで尖り、舌状の先となって返り、掃きかける。この返りこそ康光と一派の見どころであり、説明書は先の尖った帽子を「ローソクの芯」と称し、応永備前の特徴的なものとする。姿や丁子が想わせる鎌倉復古から、応永備前を分かつ点である。
地鉄は全作を通じて一様で、それ自体が鑑定の拠となる。板目に杢を多く交えて肌立ち、流れごころを帯び、地沸微塵につき、地景風のかねが入る。地には映りが立ち、説明書はこれを二様に分ける。直ぐな棒映り・直ぐ映りと、より古びたものとして鎌倉末長船物を彷彿させる乱れ映りである。ある太刀について説明書は、その「映りの様子は此の期に多い棒映りでなく、乱れ映りを表している」[[c:2]]と記す。穏やかな鎌倉の地ではなく、杢を交えて肌立つ板目こそ、極めを定める拠である。表裏に棒樋を区上で丸止めにするのが一派の見どころであり、腰元には梵字・三鈷附剣や神名を刻むものがある。
華やかな乱れと並んで、説明書は第二の穏やかな手を挙げる。中直刃・細直刃で、匂口締まりごころに明るく冴え、僅かに小互の目・逆足を交え、刃縁にほつれ・喰違刃を交え、帽子は直ぐに小丸となる。この直刃の手は比較的多く、また盛光よりはむしろ康光に見られるとし、説明書は「直刃は盛光よりは康光に多いようである」[[c:3]]と記す。銘は代別の register に従い、本 corpus は大半が生ぶの長銘・応永年紀で、二字銘は比較的少なく年紀のないことが多い。年紀は応永・正長・永享・嘉吉に及び、通説に正長以後を別手とする。銘鑑は右衛門尉を名乗る康光を初代・応永頃とし、同名五代を室町末まで数え、永享・文安頃に活躍した左京亮、所謂永享備前を次代とするが、その作風は小模様でやや劣り、厳密な代別はなお今後の検討に委ねるとする。
応永備前の双璧は一派の作風を共有し、両者を分かつ鑑定上の見どころは細やかなものである。乱れの頭が尖りごころとなる点を、説明書は「概して盛光よりは康光によく見られる刃文」[[c:4]]とし、穏やかな直刃についても同様に述べる。その直刃は紛れやすく、一見鎌倉末期の長船物を想起させ、匂口の沈む逆足交じりのものは青江を想わせる。説明書はその一口について「さながら青江を思わせるものであるが、このような出来口はまま康光に見られるところである」[[c:5]]と記す。極めは肌立つ板目・杢の地と応永の姿より康光に定まる。腰元に刻む梵字・三鈷附剣・八幡大菩薩等の神名彫は康光の創意ではなく相承であり、説明書は「これは長光景光以来の長船物に見る刀身彫の伝統であり、末備前まで継承されている」と記す。
藤代の極めで上々作。指定の record にも重みがあり、重要文化財四口・特別重要刀剣四口を上に戴き、その下に重要刀剣四十三口を数え、特別重要刀剣・重要刀剣の級を合わせて四十七口に及ぶ。作はほぼ在銘で、公の記録では在銘五十五口に対し無銘はない。太刀・刀・脇指・短刀のいずれにも上手な作を遺し、応永備前では極めて珍しい生ぶ在銘の大身槍まである。来歴も格別で、十二口に伝来があり、土佐の山内家、鍋島家、前田家、藤堂家、内藤家、秋元家、皇室、また赤穂義士堀部安兵衛(武庸)の手を経たものを録する。重要文化財は patrimony として永く伝えられ、市に出ることはない。所在の知られるものは神社・博物館に多く蔵され、熱田神宮・伊勢神宮・日光東照宮、佑徳・林原・備前長船刀剣の各博物館、大英博物館などにある。特別重要刀剣・重要刀剣の級の康光は、これほど名のある工としては作が多く、全く手の届かぬものではないが、優品は所蔵に留まり、市に現れるのは時折のことで、現れれば室町初期備前の一つの landmark となる。
康光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 応永備前· 1390–1441
現在17点販売中
概要・位置づけ 応永備前とは、室町時代初期の応永年間を中心に、備前国長船の地に繁栄した刀工群ならびにその作刀を汎称する呼称である。長船派の長い歴史のなかで、南北朝末期の身幅広く鋒の延びた大柄な姿から脱却し、室町中期へと至る一時代区分を形づくる作風期に当たる。この期を代表する刀工としては盛光・康光・家助・経家等が挙げられ、なかでも盛光と康光は「応永備前の双璧」と称される。盛光は一説に師光の子と伝え、その作刀年紀は応永から文明に亘り、初・二代の存在が指摘される。康光もまた応永・正長・永享・嘉吉等の年紀があり、正長以後は二代の作とされる。応永備前の継承は永享期にも及び、則光・祐光は所謂永享備前の双璧として名高く、長船の伝統は室町前期を通じてなお活力を保った。実光・重光等の同派一類に属する工も知られ、これらが応永備前の作域を共有している。 作風 応永備前の刀工達の理想は鎌倉時代の復古にあったとみられ、優美な太刀姿や、南北朝期には廃れていた丁子刃の再現にそれが窺われる。一見、鎌倉期の一文字派や長船物の作域を想わせる格調高い出来があるが、同じ太刀姿でも先反りが加わり、鍛えには板目に杢が目立って交じり、肌立った地鉄に地景風のかねが入る点に一派の個性が表示される。地鉄には乱れ映り、あるいは棒映りが鮮明に立つ。刃文には二様があり、その一は腰の開いた互の目に丁子・小互の目・角がかる刃などを交え、大模様に華やかに乱れて足・葉入り、匂勝ちに小沸つき、匂口明るい乱れ刃である。その二は穏健な直刃調の作で、これも上手とされる。帽子は焼深く乱れ込み、先が小さく尖って返る、いわゆる「ローソクの芯」と称せられる特徴的な態となるところが一派の標識である。彫物では表裏の棒樋を区上で丸止めにする点が見どころとされ、八幡大菩薩・一宮大明神等の神号や梵字の重ね彫を伴う作も少なくない。 評価・伝承 応永備前の諸工は、優美な太刀姿と健全な地刃を兼ね備えた作を多く遺し、その地鉄は潤いある優れた質を有する。盛光の作には乱れの頭がゆったりと丸いところに見処があり、康光の太刀は丁子刃が目立って華やかに乱れ、出来の優れたものがままみられる。生ぶの茎を留め、銘字・鑢目の鮮明な作例は、同工の技倆と作域を知るうえで好資料とされる。所載作には紀州徳川家伝来の太刀や靖國神社所蔵の大太刀があり、伝来の確かな優品も含まれる。腰開きの互の目による華やかな乱れであれ、古雅な直刃であれ、応永備前は鎌倉期への復古を志しつつ独自の個性を確立した一作風期として、備前鍛冶の歴史のなかでも屈指の充実をみた時代と評される。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。