一門には二代目正弘をはじめとして但馬守貞国、同じく但馬守国正、越前守正照、吉次、国光、正則などの諸工がいて、一門は大いに繁栄し出来も酷似していることから虎徹の師であるという一説も有り、虎徹と肩を並べる名工として名を馳せております。 江戸法城寺派独特の沸出来で、湾れ刃基調の刃を焼いた、正弘の典型的な作風で、地沸えつき、刃縁の金筋が冴えており虎徹を彷彿する一振りです。 0円 (税込)




Hōjōji (shintō; Tajima-rooted, settled in Edo) · 武蔵 · 1658-1671頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在3点販売中
寛文六年の年紀に近江守法城寺橘正弘と銘し、裏に山野勘十郎久英の弐ツ胴截断の金象嵌銘を添えた一刀は、この工を最も簡潔に語る。匂の深い直刃の刀と山野家の截断銘という取り合わせこそ正弘の肖像である。正弘は法城寺一門筆頭の上手で、説明書は本国を但馬国法城寺とし、古刀の法城寺国光の末裔と伝え、のちに江戸に移住して一門大いに栄え、貞国・吉次らの上手を輩出したと記す。姓を滝川と称し近江守を受領し、上手の多い一門のうち、説明書は彼を首位に置いて「正弘はその首位に立つ上手」[[c:1]]と記す。
その手は直刃の手である。記録される刀の大半において、刃文は直刃を基調とし、しばしば広直刃となって小互の目・互の目が連れて交じり、足よく入り、処々太い足となる。説明書は匂の深い直刃を彼の得意とする刃文とし、ある作にこれを「彼の得意とする直刃調の刃文」[[c:2]]と評する。これを尋常の直刃に止めぬのは沸の質である。匂深く、小沸が厚く、最上の作にあってはむらなく均等につき、刃中に細かな金筋・砂流しがかかり、焼頭に処々小さな湯走り状を交える。二重刃をまま交えるのも同工の特徴として説明書の挙げるところである。
地鉄もまたその出来の半ばを成す。小板目をよくつめ、時に板目に杢を交えて鍛え、地沸を微塵に厚くつけ、地景を細かに頻りに交えて、かね明るい。帽子は直ぐに小丸、先掃きかけて長く、しばしば深く返る。姿は寛文新刀の典型を彼一流に読んだもので、身幅尋常ないしやや広め、鎬低く、元先の幅差一際目立ち、反り浅く棒状、中鋒つまり、説明書はこれを彼の造込みの見どころとする。
この名をめぐる中心の問いは代の別である。説明書は同名二代を記し、共に近江守を受領、初代は承応・万治・寛文の年紀を、二代は延宝・元禄の年紀をみて、両者の活躍期はほぼ明らかとする。両者は別作風というより主として銘によって分かたれる。初代の鏨はコツコツとしてやや荒い感じがするのに対し、二代はおとなしく穏やかで、「守」「寺」の「寸」、「城」の「成」の字画の差が繰り返し見どころとされる。「守」「寺」は初代風、「城」は二代風という判別に迷う一刀を、説明書は全体の銘の調子から二代の初期銘とみたいとしつつ、確証なく後考を俟つとする。
新刀の中で正弘を分かつものは、彼自身の説明書に直に記される。説明書はその作風を諸工のうち最も長曽祢虎徹に近いと繰り返し述べ、承応の年紀もあって虎徹とほぼ同時代の人であり、その師は不明とする。その近さは作風に止まらない。彼の刀に山野家の截断金象嵌銘が多いことから、すなわち虎徹に縁の深い同じ截断の家ゆえに、説明書は実際の関係を推して「虎徹一門は法城寺一派と相当近い関係に」[[c:3]]あったろうとする。その別は比較によるより彼自身の手、匂深い直刃に小沸むらなく厚くつき匂口の明るい点によって引くがよく、最上の刀において説明書は憚らずこれを認め、ある一刀を「正弘の本領が遺憾無く発揮された一口」[[c:4]]と評する。
収集の観点では、正弘は封じられた名ではなく、得難からぬ上質の新刀の名である。藤代の極めは上作、刀剣図鑑の評価も中の上に位置する。国宝はなく、重要文化財もなく、その指定の記録は重要刀剣の級を通じ、初・二代の在銘刀が多くの審査回にわたって列し、典型の匂深い直刃の作を説明書は「同作中の優品」と称える。二口が皇室の所持と記録され、これが彼に記された唯一の伝来で、他の所蔵はおおむね伝わらない。指定刀の多くは伝えられて売買されぬゆえ、所在の知れた在銘の法城寺正弘が世に出ることは折々であり、辛抱強い収集家の手の届くところにある。山野家の截断銘を添えた健全な初代作こそ、その質と虎徹への近さが最も直に感じ取られる姿である。
正弘の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 但馬
現在20点販売中
法城寺は但馬国の地名であり、この派の名はそこに発する。各工の説明書がまず立ち返るのは、南北朝期この地に住んだ薙刀の名手国光であって、国光のことを地名をもって法城寺と呼び習わしたと繰り返し記される。古刀の法城寺はこの国光を源とし、銘鑑に初・二代を挙げて初代を貞治、二代を応永とするが、有銘の太刀・薙刀は伝わらず、その盛名を担う薙刀および薙刀直しはことごとく無銘極めである。古来「相州貞宗の三哲の一人」[[c:1]]に数える伝を、説明書は引くたびに「多くの疑問があり、俄かに賛成出来ない」[[c:2]]「妥当を欠く」と退け、むしろ備前物の影響が強いと結ぶ。新刀期に至り、この但馬の流れを汲む一門が江戸に移って大いに栄えた。その初代を近江守正弘とし、これに直ぐ次ぐ貞国、吉次・正照・永国らの良工を輩出して、寛文・延宝の頃には江戸で最も多くの人数をもった鍛冶集団と呼ばれた。古刀の但馬法城寺と、江戸に分流した新刀の法城寺と、この二つの活動地・時代を一派の両端として読むべきである。 作風は古刀と新刀とで趣を異にする。古刀の無銘極めは、華やかな丁子乱れを焼いて一見備前一文字に見紛うほどでありながら、地刃の沸が一段と強く、大模様の鍛えに地景が入って肌立ち、刃中に金筋・砂流しを頻りにあしらう点で備前から分かたれる。地鉄は板目に大板目・流れ肌を交えて大模様に肌立ち、乱れ映りは鮮明な口少なく淡い口が多く、その淡さこそ但州法城寺の見どころと記される。在銘の短刀は趣を全く異にし、細直刃・中直刃に二重刃を交える手と、小のたれに互の目を交え砂流しさかんにかかる手とに分かれる。これに対し江戸新刀は、各工が一様に直刃を本領とする。正弘は匂深い直刃を得意とし、広直刃に小互の目を連れ、小沸むらなく厚くつき、二重刃をまま交え、地鉄は小板目をよくつめ地沸を微塵に厚くつけてかね明るい。貞国はこれに酷似して互の目を交え砂流しを走らせ、ただ地刃の冴えと匂口の力強さが正弘に僅かに及ばないとされる。吉次は一門中で互の目が最も目立ち、小のたれに数珠刃風の互の目を連ね、覇気に満ちた作域を示す。正照は中直刃に優れ、永国は直刃の焼出しより連なる互の目を一定の軸とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ返り先掃きかけるのを常とし、姿は鎬低く元先の幅差目立ち反り浅く中鋒つまる寛文新刀の体配を、各工がそれぞれの手で読んでいる。 鑑定の勘所は、この古刀と新刀の二つの面にそれぞれ立つ。古刀では、淡い乱れ映りと大模様に肌立つ鍛え、地刃の顕著な働きをもって備前と分かち、無銘極めの薙刀直しと在銘短刀との間に出来口の通うところを見出して一人の工に繋ぐのが眼目である。本間順治はこの手の薙刀直しを初代但州国光とし、無銘物には本阿弥光温・光忠ら代々の極めが付く。新刀では、各工の説明書がそろって長曽祢虎徹に近いことを記し、就中正弘を諸工のうち最も虎徹に近いとして、山野家の截断金象嵌を多く帯びる縁から法城寺一派と虎徹一門の相当近い関係を推す。判者が引く類比はみな上に向かい、貞国・吉次の優品は兼重ら江戸の名手に迫るとされ、その匂深く匂口明るい刃と微塵の地沸が、この一派を共通して支える。主要工の格は、古刀の国光が藤代上々作で重要文化財をも数えるのに対し、新刀の各工は上作ないし作に位し、その指定はおおむね重要刀剣の級にとどまる。伝来は、古刀国光の短刀が秋元家・前田家・徳松ゆかりの名物として伝わるのに対し、新刀の各工は大名家への古い伝来をほとんど記されず、山野家の截断銘がしばしば伝来の名を補う。市に現れるのは新刀の在銘作が折々のことに過ぎず、截断銘を帯びた出来のよい一口は、探すより俟つに値する。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品の意思を商品到着日の翌日までに必ずメールもしくはファックスでご連絡ください。返品送料及び保険金額、返金振込手数料はお客様のご負担とさせていただきます。
一門には二代目正弘をはじめとして但馬守貞国、同じく但馬守国正、越前守正照、吉次、国光、正則などの諸工がいて、一門は大いに繁栄し出来も酷似していることから虎徹の師であるという一説も有り、虎徹と肩を並べる名工として名を馳せております。 江戸法城寺派独特の沸出来で、湾れ刃基調の刃を焼いた、正弘の典型的な作風で、地沸えつき、刃縁の金筋が冴えており虎徹を彷彿する一振りです。 0円 (税込)




Hōjōji (shintō; Tajima-rooted, settled in Edo) · 武蔵 · 1658-1671頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
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寛文六年の年紀に近江守法城寺橘正弘と銘し、裏に山野勘十郎久英の弐ツ胴截断の金象嵌銘を添えた一刀は、この工を最も簡潔に語る。匂の深い直刃の刀と山野家の截断銘という取り合わせこそ正弘の肖像である。正弘は法城寺一門筆頭の上手で、説明書は本国を但馬国法城寺とし、古刀の法城寺国光の末裔と伝え、のちに江戸に移住して一門大いに栄え、貞国・吉次らの上手を輩出したと記す。姓を滝川と称し近江守を受領し、上手の多い一門のうち、説明書は彼を首位に置いて「正弘はその首位に立つ上手」[[c:1]]と記す。
その手は直刃の手である。記録される刀の大半において、刃文は直刃を基調とし、しばしば広直刃となって小互の目・互の目が連れて交じり、足よく入り、処々太い足となる。説明書は匂の深い直刃を彼の得意とする刃文とし、ある作にこれを「彼の得意とする直刃調の刃文」[[c:2]]と評する。これを尋常の直刃に止めぬのは沸の質である。匂深く、小沸が厚く、最上の作にあってはむらなく均等につき、刃中に細かな金筋・砂流しがかかり、焼頭に処々小さな湯走り状を交える。二重刃をまま交えるのも同工の特徴として説明書の挙げるところである。
地鉄もまたその出来の半ばを成す。小板目をよくつめ、時に板目に杢を交えて鍛え、地沸を微塵に厚くつけ、地景を細かに頻りに交えて、かね明るい。帽子は直ぐに小丸、先掃きかけて長く、しばしば深く返る。姿は寛文新刀の典型を彼一流に読んだもので、身幅尋常ないしやや広め、鎬低く、元先の幅差一際目立ち、反り浅く棒状、中鋒つまり、説明書はこれを彼の造込みの見どころとする。
この名をめぐる中心の問いは代の別である。説明書は同名二代を記し、共に近江守を受領、初代は承応・万治・寛文の年紀を、二代は延宝・元禄の年紀をみて、両者の活躍期はほぼ明らかとする。両者は別作風というより主として銘によって分かたれる。初代の鏨はコツコツとしてやや荒い感じがするのに対し、二代はおとなしく穏やかで、「守」「寺」の「寸」、「城」の「成」の字画の差が繰り返し見どころとされる。「守」「寺」は初代風、「城」は二代風という判別に迷う一刀を、説明書は全体の銘の調子から二代の初期銘とみたいとしつつ、確証なく後考を俟つとする。
新刀の中で正弘を分かつものは、彼自身の説明書に直に記される。説明書はその作風を諸工のうち最も長曽祢虎徹に近いと繰り返し述べ、承応の年紀もあって虎徹とほぼ同時代の人であり、その師は不明とする。その近さは作風に止まらない。彼の刀に山野家の截断金象嵌銘が多いことから、すなわち虎徹に縁の深い同じ截断の家ゆえに、説明書は実際の関係を推して「虎徹一門は法城寺一派と相当近い関係に」[[c:3]]あったろうとする。その別は比較によるより彼自身の手、匂深い直刃に小沸むらなく厚くつき匂口の明るい点によって引くがよく、最上の刀において説明書は憚らずこれを認め、ある一刀を「正弘の本領が遺憾無く発揮された一口」[[c:4]]と評する。
収集の観点では、正弘は封じられた名ではなく、得難からぬ上質の新刀の名である。藤代の極めは上作、刀剣図鑑の評価も中の上に位置する。国宝はなく、重要文化財もなく、その指定の記録は重要刀剣の級を通じ、初・二代の在銘刀が多くの審査回にわたって列し、典型の匂深い直刃の作を説明書は「同作中の優品」と称える。二口が皇室の所持と記録され、これが彼に記された唯一の伝来で、他の所蔵はおおむね伝わらない。指定刀の多くは伝えられて売買されぬゆえ、所在の知れた在銘の法城寺正弘が世に出ることは折々であり、辛抱強い収集家の手の届くところにある。山野家の截断銘を添えた健全な初代作こそ、その質と虎徹への近さが最も直に感じ取られる姿である。
正弘の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
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法城寺は但馬国の地名であり、この派の名はそこに発する。各工の説明書がまず立ち返るのは、南北朝期この地に住んだ薙刀の名手国光であって、国光のことを地名をもって法城寺と呼び習わしたと繰り返し記される。古刀の法城寺はこの国光を源とし、銘鑑に初・二代を挙げて初代を貞治、二代を応永とするが、有銘の太刀・薙刀は伝わらず、その盛名を担う薙刀および薙刀直しはことごとく無銘極めである。古来「相州貞宗の三哲の一人」[[c:1]]に数える伝を、説明書は引くたびに「多くの疑問があり、俄かに賛成出来ない」[[c:2]]「妥当を欠く」と退け、むしろ備前物の影響が強いと結ぶ。新刀期に至り、この但馬の流れを汲む一門が江戸に移って大いに栄えた。その初代を近江守正弘とし、これに直ぐ次ぐ貞国、吉次・正照・永国らの良工を輩出して、寛文・延宝の頃には江戸で最も多くの人数をもった鍛冶集団と呼ばれた。古刀の但馬法城寺と、江戸に分流した新刀の法城寺と、この二つの活動地・時代を一派の両端として読むべきである。 作風は古刀と新刀とで趣を異にする。古刀の無銘極めは、華やかな丁子乱れを焼いて一見備前一文字に見紛うほどでありながら、地刃の沸が一段と強く、大模様の鍛えに地景が入って肌立ち、刃中に金筋・砂流しを頻りにあしらう点で備前から分かたれる。地鉄は板目に大板目・流れ肌を交えて大模様に肌立ち、乱れ映りは鮮明な口少なく淡い口が多く、その淡さこそ但州法城寺の見どころと記される。在銘の短刀は趣を全く異にし、細直刃・中直刃に二重刃を交える手と、小のたれに互の目を交え砂流しさかんにかかる手とに分かれる。これに対し江戸新刀は、各工が一様に直刃を本領とする。正弘は匂深い直刃を得意とし、広直刃に小互の目を連れ、小沸むらなく厚くつき、二重刃をまま交え、地鉄は小板目をよくつめ地沸を微塵に厚くつけてかね明るい。貞国はこれに酷似して互の目を交え砂流しを走らせ、ただ地刃の冴えと匂口の力強さが正弘に僅かに及ばないとされる。吉次は一門中で互の目が最も目立ち、小のたれに数珠刃風の互の目を連ね、覇気に満ちた作域を示す。正照は中直刃に優れ、永国は直刃の焼出しより連なる互の目を一定の軸とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ返り先掃きかけるのを常とし、姿は鎬低く元先の幅差目立ち反り浅く中鋒つまる寛文新刀の体配を、各工がそれぞれの手で読んでいる。 鑑定の勘所は、この古刀と新刀の二つの面にそれぞれ立つ。古刀では、淡い乱れ映りと大模様に肌立つ鍛え、地刃の顕著な働きをもって備前と分かち、無銘極めの薙刀直しと在銘短刀との間に出来口の通うところを見出して一人の工に繋ぐのが眼目である。本間順治はこの手の薙刀直しを初代但州国光とし、無銘物には本阿弥光温・光忠ら代々の極めが付く。新刀では、各工の説明書がそろって長曽祢虎徹に近いことを記し、就中正弘を諸工のうち最も虎徹に近いとして、山野家の截断金象嵌を多く帯びる縁から法城寺一派と虎徹一門の相当近い関係を推す。判者が引く類比はみな上に向かい、貞国・吉次の優品は兼重ら江戸の名手に迫るとされ、その匂深く匂口明るい刃と微塵の地沸が、この一派を共通して支える。主要工の格は、古刀の国光が藤代上々作で重要文化財をも数えるのに対し、新刀の各工は上作ないし作に位し、その指定はおおむね重要刀剣の級にとどまる。伝来は、古刀国光の短刀が秋元家・前田家・徳松ゆかりの名物として伝わるのに対し、新刀の各工は大名家への古い伝来をほとんど記されず、山野家の截断銘がしばしば伝来の名を補う。市に現れるのは新刀の在銘作が折々のことに過ぎず、截断銘を帯びた出来のよい一口は、探すより俟つに値する。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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