二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
特別保存刀剣鑑定書付 銘:備中国水田住人大月与五右衛門尉国重 【解説】 本作は、江戸時代初期(17世紀中頃から後半)に活躍した備中国水田派の絵図師、大月与五右衛門尉国重による一振りです。裏銘には「備中国水田住人」と刻まれています。 水田派は、室町時代後期の享禄年間(1530年頃)に、古青江為次の末裔によって興された流派です。為次は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての名工であり、その作品には国宝に指定されているものもございます。 青江派は現在の岡山県倉敷市周辺で鎌倉・南北朝時代に隆盛を極めましたが、室町時代に入ると一時衰退しました。しかし、為次の後裔たちが古青江の伝統を再興し、水田派としてその技を現代に伝えたのです。 水田派は戦国時代末期から江戸時代中期にかけて繁栄し、約60名の刀工を輩出しました。その中でも「国重」の銘は、一門の中でも特に限られた実力者のみが名乗ることを許された名跡です。江戸時代には、多くの国重が各地へ移住し活躍しました。 江戸期の国重には大きく二つの系統があり、大月家を中心とする「大与五国重派」と、為家を祖とする「河野派」に分かれます。本作の銘にある通り、作者は大与五国重派に属しており、「大月与五」を冠する銘を許されていることから、一門の中でも極めて格の高い刀工であったことが伺えます。 本刀は太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が片手で扱うために用いられた形式です。刃を下に向けて腰に吊るす(佩く)ことで、地上にいる敵を素早く切り下ろすのに適した構造となっています。 その華麗な姿から、後世には武士のステータスシンボルとしての意味合いも強まりました。名工の手による刀身に、これほど立派な太刀拵が誂えられていることから、当時かなりの財力と地位を持った武士が所持していたものと推察されます。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されており、歴史的・美術的価値が極めて高い、後世に伝えるべき貴重な一振りです。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.5 cm 反り(Sori):1.21 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬による折り返しから生じる鋼の模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。古い錆(黒錆)は赤錆を防ぐ役割があり、その色調は製作年代を特定する重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する金具。 本作の縁頭は、魚子地(ななこじ)と呼ばれる技法で装飾されています。魚子地鏨(ななこじだがね)を用い、小さな粒状の突起を隙間なく整然と打ち出すこの技法には、職人の極めて高度な熟練の技が凝縮されています。

















新刀 · 備中 · 1624-1644頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位26%
現在11点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 備中
現在18点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 銘:備中国水田住人大月与五右衛門尉国重 【解説】 本作は、江戸時代初期(17世紀中頃から後半)に活躍した備中国水田派の絵図師、大月与五右衛門尉国重による一振りです。裏銘には「備中国水田住人」と刻まれています。 水田派は、室町時代後期の享禄年間(1530年頃)に、古青江為次の末裔によって興された流派です。為次は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての名工であり、その作品には国宝に指定されているものもございます。 青江派は現在の岡山県倉敷市周辺で鎌倉・南北朝時代に隆盛を極めましたが、室町時代に入ると一時衰退しました。しかし、為次の後裔たちが古青江の伝統を再興し、水田派としてその技を現代に伝えたのです。 水田派は戦国時代末期から江戸時代中期にかけて繁栄し、約60名の刀工を輩出しました。その中でも「国重」の銘は、一門の中でも特に限られた実力者のみが名乗ることを許された名跡です。江戸時代には、多くの国重が各地へ移住し活躍しました。 江戸期の国重には大きく二つの系統があり、大月家を中心とする「大与五国重派」と、為家を祖とする「河野派」に分かれます。本作の銘にある通り、作者は大与五国重派に属しており、「大月与五」を冠する銘を許されていることから、一門の中でも極めて格の高い刀工であったことが伺えます。 本刀は太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が片手で扱うために用いられた形式です。刃を下に向けて腰に吊るす(佩く)ことで、地上にいる敵を素早く切り下ろすのに適した構造となっています。 その華麗な姿から、後世には武士のステータスシンボルとしての意味合いも強まりました。名工の手による刀身に、これほど立派な太刀拵が誂えられていることから、当時かなりの財力と地位を持った武士が所持していたものと推察されます。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されており、歴史的・美術的価値が極めて高い、後世に伝えるべき貴重な一振りです。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.5 cm 反り(Sori):1.21 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬による折り返しから生じる鋼の模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。古い錆(黒錆)は赤錆を防ぐ役割があり、その色調は製作年代を特定する重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):外装一式。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する金具。 本作の縁頭は、魚子地(ななこじ)と呼ばれる技法で装飾されています。魚子地鏨(ななこじだがね)を用い、小さな粒状の突起を隙間なく整然と打ち出すこの技法には、職人の極めて高度な熟練の技が凝縮されています。

















新刀 · 備中 · 1624-1644頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位26%
現在11点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 備中
現在18点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.