二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
刀剣 備中国水田住国重(市蔵) NTHK 優秀作鑑定書付 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存会)の鑑定により、正保年間(1644-1648年:江戸時代前期)に備中国水田住国重によって打たれた一振りです。銘にある「備中国」は現在の岡山県にあたり、国重がこの地で作刀に従事していたことを示しています。 国重の本名は市蔵(いちぞう)といい、山城大掾源国重(やましろだいじょうみなもとのくにしげ)としても知られています。彼は江戸時代前期(17世紀半ば)に最も活躍した名工です。正保二年(1646年)には「山城大掾」を受領しました。彼は備中国水田派において最も高く評価される、三代大月与五郎国重の弟にあたります。また、息子である二代山城大掾国重とともに、江戸でも作刀を行いました。 水田派は、室町時代後期の16世紀頃、古青江為次の末流を汲む刀工たちによって備中国で興されたと伝えられています。 為次は平安時代後期から鎌倉時代初期(12世紀末〜13世紀初頭)にかけて活躍した古青江派を代表する名工であり、その作品の中には国宝に指定されているものもあります。 青江派は現在の岡山県倉敷市周辺を拠点とした高名な流派で、平安末期から南北朝時代にかけて隆盛を極めましたが、室町時代に一時衰退しました。その後、水田派が備中における青江の伝統を継承する重要な流派として台頭し、古来の作風を留めつつも独自のスタイルを確立しました。 本作に見られる、刃縁に沿って強く輝く豊かな「沸(にえ)」は、古青江の血統を引く備中水田派の伝統的な特徴を色濃く反映しています。 備中国水田派は、享禄年間から元禄年間(1530年〜1700年頃:戦国時代末期から江戸中期)にかけて現在の岡山県で大いに繁栄し、その流れは幕末まで続きました。水田派には約60名の刀工が属していましたが、「国重」は選ばれた限られた工のみが名乗ることを許された、同派で最も権威ある銘です。江戸時代を通じて、多くの国重派の刀工が日本各地へ移住し、その技を広めました。 江戸時代の国重派には、大きく分けて二つの系統がありました。一つは大月家を筆頭とする「大与五国重派」、もう一つは為家を祖とする「河野派」です。本作の国重は大月与五郎国重の弟であることから、大与五国重派に属します。山城大掾国重は非常に格の高い刀工であり、その卓越した技量により受領銘を許されました。 岡山県は中国山地に近く、日本刀の主原料である良質な砂鉄が豊富に産出されました。さらに、吉井川などの清冽な水や高品質な炭にも恵まれており、これらは名刀を生み出すために不可欠な要素でした。こうした地質学的・地理的な恩恵により、備中の地では古来より洗練された高品質な刀剣が数多く打ち出されてきたのです。 【優秀作鑑定】 本刀は、特定非営利活動法人 日本刀剣保存会(NTHK)による審査において、特に優れた作品に与えられる「優秀作(ゆうしゅうさく)」に認定されています。 優秀作の認定を得ることは容易ではありません。鑑定の過程では、伝統的な日本刀の職人技に精通した熟練の審査員により、地鉄の鍛錬、刃文の働き、姿の健全さ、バランスなどが厳格かつ詳細に評価されます。





























新刀 · 備中 · 1624-1644頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位26%
現在9点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 備中
現在16点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
NTHKの最高位で、年に一度の審査において、出来・保存状態・資料的価値の傑出した作に与えられます。通常の鑑定書より上位の評価です。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
刀剣 備中国水田住国重(市蔵) NTHK 優秀作鑑定書付 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存会)の鑑定により、正保年間(1644-1648年:江戸時代前期)に備中国水田住国重によって打たれた一振りです。銘にある「備中国」は現在の岡山県にあたり、国重がこの地で作刀に従事していたことを示しています。 国重の本名は市蔵(いちぞう)といい、山城大掾源国重(やましろだいじょうみなもとのくにしげ)としても知られています。彼は江戸時代前期(17世紀半ば)に最も活躍した名工です。正保二年(1646年)には「山城大掾」を受領しました。彼は備中国水田派において最も高く評価される、三代大月与五郎国重の弟にあたります。また、息子である二代山城大掾国重とともに、江戸でも作刀を行いました。 水田派は、室町時代後期の16世紀頃、古青江為次の末流を汲む刀工たちによって備中国で興されたと伝えられています。 為次は平安時代後期から鎌倉時代初期(12世紀末〜13世紀初頭)にかけて活躍した古青江派を代表する名工であり、その作品の中には国宝に指定されているものもあります。 青江派は現在の岡山県倉敷市周辺を拠点とした高名な流派で、平安末期から南北朝時代にかけて隆盛を極めましたが、室町時代に一時衰退しました。その後、水田派が備中における青江の伝統を継承する重要な流派として台頭し、古来の作風を留めつつも独自のスタイルを確立しました。 本作に見られる、刃縁に沿って強く輝く豊かな「沸(にえ)」は、古青江の血統を引く備中水田派の伝統的な特徴を色濃く反映しています。 備中国水田派は、享禄年間から元禄年間(1530年〜1700年頃:戦国時代末期から江戸中期)にかけて現在の岡山県で大いに繁栄し、その流れは幕末まで続きました。水田派には約60名の刀工が属していましたが、「国重」は選ばれた限られた工のみが名乗ることを許された、同派で最も権威ある銘です。江戸時代を通じて、多くの国重派の刀工が日本各地へ移住し、その技を広めました。 江戸時代の国重派には、大きく分けて二つの系統がありました。一つは大月家を筆頭とする「大与五国重派」、もう一つは為家を祖とする「河野派」です。本作の国重は大月与五郎国重の弟であることから、大与五国重派に属します。山城大掾国重は非常に格の高い刀工であり、その卓越した技量により受領銘を許されました。 岡山県は中国山地に近く、日本刀の主原料である良質な砂鉄が豊富に産出されました。さらに、吉井川などの清冽な水や高品質な炭にも恵まれており、これらは名刀を生み出すために不可欠な要素でした。こうした地質学的・地理的な恩恵により、備中の地では古来より洗練された高品質な刀剣が数多く打ち出されてきたのです。 【優秀作鑑定】 本刀は、特定非営利活動法人 日本刀剣保存会(NTHK)による審査において、特に優れた作品に与えられる「優秀作(ゆうしゅうさく)」に認定されています。 優秀作の認定を得ることは容易ではありません。鑑定の過程では、伝統的な日本刀の職人技に精通した熟練の審査員により、地鉄の鍛錬、刃文の働き、姿の健全さ、バランスなどが厳格かつ詳細に評価されます。





























新刀 · 備中 · 1624-1644頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位26%
現在9点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 備中
現在16点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
NTHKの最高位で、年に一度の審査において、出来・保存状態・資料的価値の傑出した作に与えられます。通常の鑑定書より上位の評価です。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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