説明

(金着せ二重はばきの上貝は金無垢11grが付いています) 出ました出ました相州伝山城大掾源国重の名脇差がでました。山城大掾源国重は伝七郎と言い、江戸時代貞享頃(1684年)(341年前)の刀匠です。相州伝で有名な備中水田鍛冶の名を高めた大与五国重の弟市蔵国重の子で江戸に活躍の場を求めたので江戸水田と尊称されています。本脇差の姿は元身幅と先身幅の差の有る反りの少ない腰に差すのに良い脇差姿を現し、地金は板目肌に大杢目肌を現し地には地景を多く現し彫は棒樋を角留めに止め添え樋を彫って見事です。刃紋は相州伝の沸の強い直調ののたれ刃を焼き刃中地に向かい働きを現し明るく良く焼けています。江戸期の拵えが素晴らしく、金着せ二重はばきの上貝は11grの金無垢地、2枚のセッパは金着せ切羽(金だけで20万円位)鞘は今の職方では出来ない豪華な一分刻み漆塗り鞘が付き、鍔は赤銅魚子地桐の葉の図を金色絵で現し、縁は赤銅磨き地、頭は角、目貫は赤銅地松の図、笄は赤銅魚子地松の図が付いた豪華な素晴らしくお金の掛かった拵えが本山城守源国重の相州伝江戸水田の脇差に一層華を添えています。この度古いお数寄者様からお好きな方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に格安にてご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。

山城大掾源国重 Yamashirodaijo Minamoto Kunishige

山城大掾源国重 Yamashirodaijo Minamoto Kunishige

脇差

¥580,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

48.4 cm

反り

0.5 cm

元幅

3.02 cm

先幅

2 cm

流派について

Mizuta School水田派

水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。

刀剣商

明倫産業

nipponto.co.jp

¥580,000

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