徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
日本刀 刀 二代重国銘 NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付(刀身・外装) 【解説】 概要 本作は、明暦年間(1655-1658年:江戸時代前期)に「紀州住文殊重国」によって打たれた一振りです。重国の名は十一代にわたり受け継がれ、江戸初期から幕末まで続いた名門ですが、本作はNTHKにより、特に万治から寛文にかけて活躍した二代重国の真作と鑑定されました。 初代重国は慶長前後に活躍した天下の名工として知られますが、二代重国は自らの銘に「文殊」と冠することが多く、銘に文殊を入れなかった初代と区別して「文殊重国」とも呼ばれます。本名は文殊金助、のちに四郎右衛門と称しました。彼は紀州徳川家の抱え工として、初代頼宣公をはじめとする紀州藩士のためにのみ、その卓越した技を振るいました。 初代重国について 初代重国はもともと大和国(現在の奈良県)の出身で、名門・手蓋派の流れを汲む文殊派の絵図師でした。幼名は九郎三郎。慶長年間には駿河国において、徳川家康公の御抱え工として越前康継らと共に仕えました。元和2年(1616年)、家康公の薨去に伴い、家康公の十男である徳川頼宣公に従って紀州(和歌山県)へ移住しました。頼宣公は紀州徳川家を創設し、将軍家を支える「御三家」としての礎を築きましたが、重国一門もまた代々これに仕えました。二代重国が銘に「文殊」を刻んだのは、大和文殊派の正統な血筋であることへの強い自負の表れと推察されます。 なお、初代重国は『懐宝剣尺』において「良業物」に列せられており、大和伝と相州伝を巧みに使い分ける技量は、数ある江戸初期の刀工の中でも最高峰の評価を得ています。 太刀拵 本作は格調高い太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町初期にかけて、主に騎馬武者が用いた様式であり、刃を下に向けて腰から吊るす(佩く)のが特徴です。その華やかな姿から、後世には武家の権威を象徴するステータスシンボルとなりました。 本拵はNTHKの鑑定により、昭和初期に制作されたものと推定されています。金具の主材には銀が用いられ、鞘には日本最古の漫画とも称される「鳥獣戯画図」が意匠として施されています。 ※刀身には僅かに鍛え傷( Kitae Kizu)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):76.0 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):(以下、原文の記述に準ずる)



























大和伝 · 紀伊 · 1655-1673頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
現在2点販売中
重國の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
現在19点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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