二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
脇差:銘 文殊重国(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は江戸時代初期(17世紀半ば)に紀州で活躍した文殊重国の脇差です。重国の名は江戸初期(元和頃)から幕末まで計11代にわたり受け継がれましたが、本作はその銘振りから、明暦から万治年間(1655-1661年)にかけて特に活躍した二代重国の作と推定されます。 初代重国は慶長から元和期にかけて活躍した名工として知られますが、二代重国は自らの銘に「文殊」と冠することが多く、銘に文殊を入れなかった初代と区別して「文殊重国」とも称されます。この「文殊」とは、彼の出自である大和伝の名門・手掻派の系譜である文殊氏に由来します。本名は文殊金助、のちに四郎右衛門と改め、紀州徳川家に仕えてお抱え鍛冶として腕を振るいました。特に紀州藩祖・徳川頼宣公の信任が厚かったことでも知られています。 初代重国はもともと大和国(現在の奈良県)の出身で、手掻派の流れを汲む文殊派の鍛冶でした。通称を九郎左衛門といい、慶長期には駿河国において、将軍・徳川家康公の御用を越前康継らと共に務めました。元和2年(1616年)、家康公の薨去に伴い、家康公の十男である頼宣公に従って紀州(和歌山県)へ移住しました。頼宣公は紀州徳川家を創設し、将軍家を支える「御三家」としての地位を確立します。二代重国も父と共に紀州へ移り、自らの出自である文殊の姓を銘に刻むことで、その名門の血筋を誇りとしたものと考えられます。 また、初代重国は非常に斬れ味の優れた刀を打つことでも知られ、寛政9年(1797年)に発表された『懐宝剣尺』において「良業物」に列せられています。作風は大和伝、あるいは相州伝を巧みにこなし、技量・知名度ともに江戸初期を代表する最高峰の刀工の一人です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作であることを証明する「特別保存刀剣」に指定されています。 【刀身】 長さ(銘):54.0 cm 反り:1.0 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(肌):鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる中心部分。古い茎に付着した黒錆は、内部の腐食を防ぐ役割を果たすとともに、製作年代を特定する上で極めて重要な鑑賞のポイントとなります。 拵:刀剣の外装。鞘、柄、鍔などの諸金具によって構成されます。






















大和伝 · 紀伊 · 1655-1673頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
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重國の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
現在19点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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