江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
無銘(藤原高田) -Mumei (Fujiwara Takada)- 刃長50.7センチ 反り1.2センチ 元幅30.45ミリ 物打幅24.6ミリ 横手位置幅22.3ミリ 元重ね7.0ミリ 物打重ね5.5ミリ 松葉先重ね5.15ミリ 目釘穴1個 裸身重量516グラム 鞘を払って719グラム 江戸前期 The early Edo period 昭和49年3月1日 島根県登録 附属 特別貴重刀剣認定書、下貝素銅地・上貝素銅地赤銅着せ二重はばき、白鞘、継木、黒蝋塗鞘脇指拵 藤原高田は、豊後国高田の刀工群のうち、主として江戸時代に「藤原」姓を冠して作刀した一派を指し、室町時代以来の実用性を重んじる伝統を受け継ぎながら、近世には均整の取れた姿と精良な鍛え、明るい地刃を備えた作品を数多く残しました。本作は無銘ながら、昭和50年3月23日付の特別貴重刀剣認定書において「藤原高田」と極められており、力強い体配、よく錬れた地鉄、互ノ目へ丁字を交えた華やかな刃文に、江戸前期の藤原高田が持つ健全で実用的な作風と、鑑賞刀としての豊かな見どころがよく表れています。 鎬造、庵棟、刃長50.7センチの脇指で、元幅30.45ミリと十分な身幅を保ちながら元先の幅差が頃合いよく開き、中切先へ端正に結ぶ姿には、実用刀としての頼もしさと鑑賞刀としての均整が見事に調和しています。茎は生ぶの姿を伝えつつ、区をわずかに送ったものと考えられ、目釘穴は一個のみであり、江戸前期に形作られた刀身本来の骨格を大きく損なうことなく今日まで大切に受け継がれてきた一振です。 地鉄は小板目に杢目を交えてよく錬れ、詰んだ肌へ厚く付いた地沸の間を地景が縫うように入り、光を受ける角度によって微細な沸の粒立ちと鍛え肌のうねりが浮かび上がって、奥行きに富んだ表情を見せます。刃文は匂口が明るく冴えた互ノ目乱れを基調として丁字刃を交え、それぞれの焼頭から太い足が刃先へ向かって力強く入り、刃中には金筋と細かな砂流が連なって、端正な姿の内側へ変化に富んだ活動的な景色を展開し、鋩子は直ぐに先丸く返る素直な仕立てとなっています。 附属の二重はばきは、下貝を素銅地、上貝を素銅地に赤銅着せとして色調の対照を生かし、上貝には丸い穴を三つ開けた洒落た意匠を施しており、刀身を保護する実用品としての役割にとどまらず、素銅の温かな色合いと赤銅の深い黒味を組み合わせた姿が、本刀の落ち着いた地刃へ格調あるアクセントを添えています。 黒蝋塗鞘脇指拵は、艶を抑えた深い黒色の鞘を基調とし、縁頭には孔雀図を配して、その豊かな羽や姿を色金で表すことにより端正な外装へ華やぎを加えています。鐔には蜘蛛の巣と葦辺に佇む鷺を取り合わせ、葦へ金色絵、鷺へ銀色の表現を用いて静かな水辺の情景を凝縮し、赤銅製の目貫には波に鳥を表したものとみられる意匠を据え、水飛沫を銀象嵌で輝かせるなど、孔雀、鷺、波に鳥という異なる画題を一具の拵へ巧みに調和させ、小さな画面の随所で多彩な金工技法を楽しめる構成です。 白鞘と継木も揃っているため、刀身を白鞘へ納めて安全に保管しながら拵を独立して展示することができ、刃中に展開する互ノ目、丁字、金筋、太い足の働きと、優美な金具を備えた黒蝋塗鞘脇指拵をそれぞれ存分に鑑賞できます。拵には鐔鳴りと柄のがたつきが見られるものの、いずれも比較的安価な調整で修復できる範囲と考えられ、藤原高田と極められた刀身の出来に加え、二重はばき、白鞘、継木、趣向を凝らした拵まで伝わる充実した内容は、刀身と刀装の双方を一体として味わいたい愛刀家におすすめしたい魅力的な一振です。
取扱店 刀心
鑑定書は旧鑑定書(緑紙・貴重刀剣など)のみで、現在の日刀保ではほとんど認められていません。現在の審査を通っているかを刀剣商にお尋ねください。 — Hoshi




















備前伝 · 豊後
現在28点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥385,000