二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
Stock No:WA-090326Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Bungo(Oita), Early Edo period about 1644~Blade length(Cutting edge): 43.8cmCurve(SORI): 0.9cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.33cmThickness at the Moto-Kasane: 0.72cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.65cmThickness at the Saki-Kasane: 0.55cmHabaki: Two parts, Silver HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kiriyasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae : about 65cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): Fine ItameTemper patterns(Hamon): Sugu and GunomeTemper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then round tipRegistration Card: Tokyo 1951【Additional Information】高田一派は、南北朝時代に豊後国高田荘に在住した友行を祖として興ったと伝えられ、室町時代から江戸時代にかけて多くの刀工を擁し、一大流派を形成しました。同派の刀工には「鎮」「行」「統」の字を用いる者が多く、主な刀工として統行、統景、行長、重行、貞行、正行、忠行、輝行、行光、豊政などが挙げられます。室町時代の高田刀工の多くは「平姓」を、江戸時代には「藤原姓」を刀工銘に冠したことから、一般に室町時代の作を「平高田」、江戸時代の作を「藤原高田」と呼んで区別します。高田統景は、豊後国主・大友義統に仕えたとされる同派の刀工です。同工の作には文禄年紀を刻した刀が現存しており、その作刀時期は安土桃山時代から江戸時代初期にわたるものとみられます。本作体配は、刃長が一尺四寸七分弱、身幅元先で広く、重ね尋常、反り頃合いで、中切っ先が延びた鋭い刀姿を呈す一振です。地鉄は板目肌よく詰み、地沸つき、地景入り、映りが立ちます。刃文は直刃調に小湾れ、互の目などを交え、刃中に足・葉入り、匂勝ち、匂口柔らかに明るく冴えます。帽子はそのまま乱れ込んで返ります。茎は生ぶ、切鑢目で刀工銘を刻します。豊後国高田派・高田統景の貴重な在銘の脇差です。健全な体躯で、末備前物などにもみられる作柄を示し、同派の特色がよく現れた優刀であります。白鞘、銀無垢二重はばき、黒蝋色塗鞘脇差拵、保存刀剣鑑定書。


























備前伝 · 豊後 · 1644-1648頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 豊後
現在42点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
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