江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
摂津住盛綱 -Settsu ju Moritsuna- 刃長45.7センチ 反り1.1センチ 元幅29.2ミリ 元重ね6.8ミリ 物打幅22.6ミリ 横手位置幅20.1ミリ 物打重ね5.0ミリ 松葉先重ね4.65ミリ 目釘穴1個 裸身重量428グラム 拵に納めて鞘を払った重量673グラム 昭和27年7月22日 高知県登録 附属 印籠刻鮫研出鞘脇指拵、白鞘、継木、素銅地銀着はばき 盛綱と銘切る新刀期の刀工は銘鑑に阿波と筑前の二工が見られるものの、いずれも摂津の住人とは記されておらず、本工は銘鑑漏れの刀工、あるいは先の二工のいずれかが一時的に摂津に住して作刀した可能性が考えられますが、茎の銘には偽銘を疑わせる不自然さがなく、正真作と鑑て差し支えないうえ、地刃の充実ぶりは特別保存刀剣審査にも十分に通用するほどで、伝承に頼らず実物の出来からその力量を味わえる一振です。 本作は元先の幅差が頃よく開き、延びごころの中切先へ結ぶ姿には端正さと力強さが同居し、地鉄はよく錬れて詰んだ小板目に地沸が厚く付き、地景が織り込まれて精美な肌合いを見せ、匂口明るく冴えた互ノ目の刃文には砂流が頻りにかかり、飛焼が加わって単調さのない景色を生み、鋩子は直ぐ調に先丸く長く返るなど、静かな地の美しさと躍動する刃中の働きを追うほどに鑑賞の楽しみが深まります。 昭和27年7月22日に高知県で登録されたという記録に接すると、旧土佐藩主山内家や同家を支えた高禄の家臣の手を経た可能性にも思いが及びますが、伝来を直接裏付ける資料は確認されておらず、由緒を断定することはできないものの、堂々たる刀身と丹念に誂えられた拵が一具として今日まで伝わる姿は、その来歴に想像を誘います。 附属する印籠刻鮫研出鞘脇指拵も刀身に劣らぬ見どころを備え、鞘に付く返角には薩摩拵の様式が見られるうえ、縁頭に表された舟を漕ぐ猿、釣りをする猿、魚籠を運ぶ猿に、鐔では鮑を盃に見立てて手を伸ばす猿が加わり、海辺の営みを題材にした小さな物語を織りなすように呼応し、いずれの金具も細部まで仕事がよく、研出鞘とともに拵全体へ豊かな風情を与えています。 小柄と笄には鞭の図、目貫には芥子の図を配し、金着切羽と素銅地銀着はばきまで丁寧に整えられているほか、小柄に納まる真鍮地の小刀には「國友充胤造之」と銘が切られ、刃文を銀で描いており、鉄砲鍛冶による作品であることがうかがえます。拵に納めて鞘を払った重量は673グラム、鐔鳴りは僅かで柄のがたつきもほぼなく、さらに白鞘まで附属するため、地刃の出来と猿図金具の妙を一揃いで楽しみたい愛刀家に薦めたい品です。
取扱店 刀心
出品ページに鑑定書の記載がありますが、当サイトの記録にはまだありません。私たちが第三者による確認として頼りにしているのは、現在有効な日刀保・日本刀剣保存会の審査の鑑定書です。鑑定書の鮮明な写真を刀剣商にお求めになるとよいでしょう。 — Hoshi

























脇物 · 筑前 · 1321-1324頃
刀剣大鑑 上位26%
脇物 · 筑前
時期区分: 古金剛兵衛· 1200–1393
現在11点販売中
古金剛兵衛は、筑前金剛兵衛派の最も早い時期、すなわち鎌倉末期から南北朝期にかけての一群を指す。設示の伝えるところでは、南北朝期の筑前国には左文字派と金剛兵衛派の両派が並び立ち、後者は寺院ゆかりの一門として知られた。その祖と目されるのが初代金剛兵衛盛高であり、盛高には正平四年紀を有する作が現存するものの、その作の多くは室町時代以降に降る。この南北朝期に位置する有銘の刀工として、同派の系列に冷泉貞盛がおり、貞盛には「筑州冷泉貞盛 正平廿五一月日」と銘じた短刀が残り、後代の極めに際しての貴重な規範となっている。盛高を祖とし、貞盛のごとき初期工がこれに連なるのが、この区分の輪郭である。 作風の核心は、地刃にうかがわれる大和気質にある。鍛えは板目に杢を交え、刃寄りに流れて柾がかり、処々肌立ち、地沸がつき、地景がしきりに入る。かな色はやや黒みがかって少しく濁りを帯び、白け映りが立つことが多い。刃文は刃幅の狭い直刃を基調とし、匂口は締まりごころで小沸がよくつき、刃縁にほつれ、処々に打のけや二重刃を交え、金筋・砂流しが地刃にまたがって働く。脇指のごとく身幅広く、のたれに互の目を交えて足や葉のよく入る変化に富んだ作もあるが、これは正平廿五年紀の刃幅の狭い直刃とは趣を異にする一面である。彫物には棒樋や二筋樋、喰違樋、薙刀樋状の樋など多様な意匠が見られる。こうした締まった直刃と九州独特のかな味に特色のある初期の作域は、室町時代に降って盛高の主たる作が展開する末金剛兵衛とは、おのずとその時代色を分かつものである。 古金剛兵衛の鑑定にあたっては、板目に流れ柾を交えた肌立ちごころの地鉄、黒みを帯びて地景の頼りとなるかね、そして締まりごころの細直刃に、ほつれ・打のけ・二重刃や金筋・砂流しの働きを読み取ることが要点となる。帽子が掃きかけて尖りごころに返る点にも、この一派らしい野趣がうかがわれる。主要工としては祖たる盛高と、有銘短刀を規範として名を残す冷泉貞盛が挙げられ、後者の在銘作は稀有であるため、その短刀がこの区分を極める拠りどころとされてきた。伝来する古作の多くは大磨上げの無銘で「古金剛兵衛」あるいは「冷泉貞盛」と極められたものであり、身幅広く反り浅く中鋒の延びた南北朝の体配をとどめて、筑前鍛冶の作域を今に伝えている。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
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