1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
日本刀 脇差 銘 長寿斎綱俊(長運斎是俊合作) 文久元年八月日 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣 【解説】 本作は、文久元年(1861年)八月に長寿斎綱俊によって作刀された一振りです。銘には綱俊の子である長運斎是俊も名を連ねており、師弟や親子など二人の刀工が一本の刀を共に鍛え上げる「合作銘」の作となっています。長寿斎綱俊は、後に子が二代目綱俊を襲名したことから、初代綱俊として知られています。 初代綱俊は寛政10年(1798年)、羽州米沢(現在の山形県)にて和泉守国英の三男として生まれました。本姓は加藤、通称は八郎といい、加藤綱英の弟にあたります。 彼は米沢藩上杉家の抱え工として仕えました。若年期には江戸へ上り、幕末の名工として名高い水心子正秀の門を叩き、その高度な作刀技術を学びました。江戸の麻布を拠点としながらも、大坂や熊本で作刀した記録も残されています。 文政6年(1823年)頃に江戸へ定住すると、上杉家の中屋敷に住して門人を育成し、多くの名作を残しました。嘉永7年(1854年)には「長運斎」の号を冠しますが、安政3年(1856年)にこの号を子の是俊(二代目綱俊)へ譲り、自らは「長寿斎」と号しました。 綱俊の門流は幕末期に大いに繁栄し、固山宗次、高橋長信、石堂運寿是一といった歴史に名を残す名工を輩出しました。綱俊は備前伝を得意とし、華やかな丁子乱れの刃文を焼くことで知られています。本作においてもその特徴が顕著に表れており、備前伝の作風においては師である水心子正秀をも凌ぐと評されています。 綱俊は文久3年(1863年)12月、66歳で没しました。江戸の身分の高い武士のために数多くの名刀を打ち、新々刀期を代表する名工の一人として、また幕末最大級の派閥を築いた指導者として高く評価されています。なお、合作者である子の是俊は日向伊東家の抱え工を務めました。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に鑑定されており、美術的価値が高く、保存状態の良い真作であることが証明されています。 ※刀身にわずかな鍛え傷がございます。詳細な状態についてはお気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):48.6 cm 反り(Sori):1.3 cm 刃文(Hamon):焼き入れによって刃縁に現れる微粒子の結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。刀工が施した黒錆は赤錆を防ぐ役割があり、その朽ち込み具合は作刀年代を特定する重要な指標となります。 鎺(Habaki):刀身を鞘の中に固定し、刀身が鞘の内側に触れるのを防ぐための金具
在銘 · 新々刀 · 長さ 48.6cm · 反り 1.3cm





















新々刀 · 武蔵
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水心子正秀派は、十八世紀末から十九世紀初頭の江戸に興り、刀はすべて鎌倉の昔に復すべしとする復古刀運動を中核に据えた新々刀の一門である。開祖水心子正秀は、寛延三年に出羽国赤湯に川部儀八郎として生まれ[[c:1]]、武州下原の鍛冶吉英に学んだのち山形秋元家に仕え、のちに江戸浜町に移って約五十年に及ぶ作刀生活を送り、文政八年に七十六歳で歿した。彼は新々刀の祖と称され、古作の伝法を意図して甦らせることを唱えてその理論を世に広めたが、説明書は正秀自身の才のありかをむしろ壮年までの大坂写しに見いだす。この一門の物語で最も重きをなすのは、彼が江戸に糾合し育てた門人たちであろう。復古刀論を実地に示した第一の門人大慶直胤、二代正義細川守秀がその直下に立ち、さらに直胤の門から養子となった次郎太郎直勝、直胤の女婿と伝える水心子正次、正義の嫡子正守、米沢上杉家に仕えた長運斎綱俊、水戸藩工直江助政が連なって、出羽・江戸を中心に各藩へと広がった。 この一門を貫く共通の語法は、古刀各伝の意図的な復興にある。よく約んだ無地風に近い小板目に地沸を厚くつけ、その地の上に相州伝ののたれ・互の目、あるいは備前伝の丁子・互の目を焼くのが基調で、技術論的かつ教導的な性格がこれを支える。正秀の典型は津田助広に私淑した大坂写しの濤瀾乱れと井上真改風の広直刃にあり、地へこぼれる黒味がちの荒い沸が終始の手癖をなした。これに対して門人たちは古備前への遡りをいっそう深め、新々刀には本来失われた映りを意図して甦らせた。直胤はよくつんだ小板目に乱れ映りを鮮明に立て、後期長船の逆がかりを示す丁子乱れを焼いてこれを得意とし、説明書はその丁子乱れの巧みさを新々刀第一と評する。直勝は兼光に範をとった片落ち互の目を主体に、直胤よりも豪壮な姿と低く静かな焼きで古調を醸し、正次と正守はともに直胤・正義の二伝を忠実に承けて相州伝と備前伝を均しく再現し、綱俊は丁子に互の目を交えた備前伝を主調とした。一方で正秀みずからの備前伝・相州伝は終始焼刃が浅く荒い沸を交え、説明書はその技が門人直胤に及ばないと明記する。差異は資料の支持する範囲で明瞭で、直胤の備前・相州の両伝、直勝の長船写しに見る逆がかりと大杢目、助政の真改風直刃に偏した作域がそれぞれを分かつ。 鑑定の勘所は、まずこの意図的な映りと逆がかりに置かれる。明るい乱れ映りと角互の目を伴う逆がかりの丁子は、映りも逆がかりも持たぬ一般の新々刀から備前伝を分かち、相州伝は独特の渦巻肌と叢づき縞がかる沸の働きによって示される。位列としては正秀を上々作、直胤を最上作の在銘の大名跡とし、正義に次ぐ正守、綱俊、助政らがこれに続く。この一門は在銘・有年紀の作を数多く遺したため、その鑑定の問題は極めの難ではなくむしろ系統内の位置にあり、年ごとに変化する銘がその発展を正確に辿らせる。伝来は真田家伝来の大小や皇室に伝わった御太刀の副作、各藩工としての藩命作にうかがわれ、正秀が向き直らせた江戸の作刀は直胤を介して直勝・正次らへ受け継がれ、兼光・景光をねらった長船復古として幕末の十九世紀作刀に広く及んだ。 詳しく見る →
新々刀 復古の運動
1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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