清平は辻村五郎右衛門といい、初代甚六兼若の四男である。元禄二年紀の作刀に「行年七十歳」と銘したものが遺存し、これによれば出生は元和六年と理解される。『古今鍛冶備考』に「加州金沢住辻村高平四男、五郎右衛門と号、万治己亥の年東武へ移住云々」とあり、その後稲葉家の抱え工となり、小田原へ転居したと伝えている。しかし承応二年紀の作刀には既に「於武州江戸造之」と銘しているので、その出府は承応二年か或はそれ以前のことと思われる。稲葉家に抱えられた時期については、「相州八幡山住清平作」ときったものが寛文二年紀の作刀から始まること、万治二年紀の作に「於江戸辻村清平」とのみきっていることなどから、おそらく万治二年以降寛文二年までの間と推量される。
作風は、彼本来の加州物を基盤に、その上に同工独自の作域を樹立したところに特色を見せている。板目が総体に流れて柾がかった鍛えに、互の目に小のたれ・小互の目などを交えた刃を焼き、小沸がよくつき、砂流しがかかるなど加州物の風が窺えるが、同派一般のものに比して、地刃に地景・金筋・沸筋等が目立ち、沸が一段と強くつき、刃中には尖りごころの刃が交じり、匂口が明るいなどの態にこの工独特のものがある。父兼若、兄景平に似て、のたれの刃文に箱がかるところがあり、兼若一門の特色をも示す。
不動国行写しの作には、焼幅をやや狭く取って湯走りと二重刃とが焼頭にかかる様が見られ、彼が古作の国行を意識したであろうことが窺い知られる。「不動国行」は『享保名物帳』に焼失の部として記載される名物で、清平に経眼する写しは稀である。長寸で堂々たる姿を呈する作もあり、地刃の出来よく出色のものは清平の代表作といえよう。資料的にも貴重であり、清平の研究に不可欠な工である。