南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
刃渡り(長さ) 40.2センチ 反り 1.2センチ 元重ね 鎬厚7.4ミリ 峰厚2.6ミリ 先重ね 鎬厚5.5ミリ 峰厚1.8ミリ(菖蒲造のため切先から約72ミリ棟化粧研ぎ流し部で計測) 元幅 28.8ミリ 先幅 24.6ミリ(菖蒲造のため切先から約72ミリ棟化粧研ぎ流し部で計測) 刀身重量358g ハバキ 金着せ 庵棟 目釘穴 2個 茎形状 切 鑢目 切鑢 刃文 表は湾れ刃、匂口締り、裏は小乱れ、匂口深く焼く 沸出来乱れ映りたつ 二重刃、ほつれ、砂流し、金線、金筋、銀筋働く 帽子 直調尖って返る 鍛え 大板目杢交じり地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 極め 古三原 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 2025.3.30更新 2025.6.1更新 古三原について 鎌倉末期から南北朝期にかけてのものを古三原 室町時代のものを末三原といい 現在の広島県東部である備後国三原の刀工、豊後国は良質の鉄を産出したことで名高い。 鎌倉時代末期の正中(1324~)頃の正家と、その子正広を祖とする説と国分寺助国を祖とする説あり。 室町時代末期に至るまで繁栄する。 本刀は南北朝時代の作と見受けられます。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・目視上の刃こぼれ・撓え・膨れ・匂切れ・駆け出しございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。
無銘 · Mihara · 南北朝 · 長さ 40.2cm · 反り 1.2cm







大和伝 · 備後
現在34点販売中
備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。 詳しく見る →
南北朝時代の大和
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト¥1,000,000
刃渡り(長さ) 40.2センチ 反り 1.2センチ 元重ね 鎬厚7.4ミリ 峰厚2.6ミリ 先重ね 鎬厚5.5ミリ 峰厚1.8ミリ(菖蒲造のため切先から約72ミリ棟化粧研ぎ流し部で計測) 元幅 28.8ミリ 先幅 24.6ミリ(菖蒲造のため切先から約72ミリ棟化粧研ぎ流し部で計測) 刀身重量358g ハバキ 金着せ 庵棟 目釘穴 2個 茎形状 切 鑢目 切鑢 刃文 表は湾れ刃、匂口締り、裏は小乱れ、匂口深く焼く 沸出来乱れ映りたつ 二重刃、ほつれ、砂流し、金線、金筋、銀筋働く 帽子 直調尖って返る 鍛え 大板目杢交じり地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 極め 古三原 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 2025.3.30更新 2025.6.1更新 古三原について 鎌倉末期から南北朝期にかけてのものを古三原 室町時代のものを末三原といい 現在の広島県東部である備後国三原の刀工、豊後国は良質の鉄を産出したことで名高い。 鎌倉時代末期の正中(1324~)頃の正家と、その子正広を祖とする説と国分寺助国を祖とする説あり。 室町時代末期に至るまで繁栄する。 本刀は南北朝時代の作と見受けられます。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・目視上の刃こぼれ・撓え・膨れ・匂切れ・駆け出しございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。
無銘 · Mihara · 南北朝 · 長さ 40.2cm · 反り 1.2cm







大和伝 · 備後
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備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。 詳しく見る →
南北朝時代の大和
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト¥1,000,000