三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
刃長69.9センチ 反り1.22センチ 元幅30.8ミリ 元重ね7.2センチ 物打幅25.0ミリ 物打重ね5.6ミリ 横手位置幅21.7ミリ 松葉先重ね4.2ミリ 裸身重量704グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,037グラム。 江戸前期寛永頃(1624~) The early period of Edo era 昭和33年3月6日 東京都登録 附属 黒蝋塗網巻変鞘打刀拵、白鞘、継木、素銅地金着はばき 豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)を中心として栄えた一派で、建武頃の筑前左文字の門人『友行』を始祖としています。 古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから藤原高田と汎称し、古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。 戦国時代の同派は豊後国の大友宗隣のお抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をしました。作風は備前・相州に私淑した物や、美濃伝風の三本杉尖り互の目、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなど広範囲で、直刃は刃中に針で突いた様なと形容される葉の働きが特徴的で、新刀期に入ると高田を中心として豊前小倉や豊後中津などで鞴を構えて鍛刀しています。 統行は新刀高田物を代表する刀工で俗名を中摩新五郎。戦国大名大友義統より一字を賜り統行と名乗り、新刀高田の祖と呼ばれ、業物としても知られる名工です。 この刀は二代辺りの作と鑑せられ、元先の差がさほど開かず、先幅広めで切先延びごころの力強い姿。地鉄はやや黒味を帯び、小板目が詰んで流れ肌が交じり、淡く映りごころがあり、刃文は匂口明るく、締まった直刃を基調に処々小湾れを交え、刃中には足や葉が頻りに入り、古調な雰囲気を漂わせ、帽子は直調に焼きたっぷりと丸く返っています。 附属の拵はうぶの品ではありませんが、四分一磨地の一作金具で、殊更鞘の仕立てが面白く、網を掛けた上から漆で塗り固めて研ぎ出した蜂の巣模様が印象的。現在このような特注鞘を誂えようと思えば相当な費用が必要でしょう。雰囲気良く拵だけでも独り歩きできる逸品です。柄にガタツキは無くしっかりとしています。 美術鑑賞刀として内外共に価値ある一刀を是非この機会にご入手下さい。 ※鐔鳴りが気になる方は責金をなさってください。
Certificate reading — 銘 豊州高田住藤原統行
在銘 · Takada · 新刀 · 長さ 69.9cm · 反り 1.22cm

















備前伝 · 豊後 · 1596-1615頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長69.9センチ 反り1.22センチ 元幅30.8ミリ 元重ね7.2センチ 物打幅25.0ミリ 物打重ね5.6ミリ 横手位置幅21.7ミリ 松葉先重ね4.2ミリ 裸身重量704グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,037グラム。 江戸前期寛永頃(1624~) The early period of Edo era 昭和33年3月6日 東京都登録 附属 黒蝋塗網巻変鞘打刀拵、白鞘、継木、素銅地金着はばき 豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)を中心として栄えた一派で、建武頃の筑前左文字の門人『友行』を始祖としています。 古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから藤原高田と汎称し、古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。 戦国時代の同派は豊後国の大友宗隣のお抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をしました。作風は備前・相州に私淑した物や、美濃伝風の三本杉尖り互の目、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなど広範囲で、直刃は刃中に針で突いた様なと形容される葉の働きが特徴的で、新刀期に入ると高田を中心として豊前小倉や豊後中津などで鞴を構えて鍛刀しています。 統行は新刀高田物を代表する刀工で俗名を中摩新五郎。戦国大名大友義統より一字を賜り統行と名乗り、新刀高田の祖と呼ばれ、業物としても知られる名工です。 この刀は二代辺りの作と鑑せられ、元先の差がさほど開かず、先幅広めで切先延びごころの力強い姿。地鉄はやや黒味を帯び、小板目が詰んで流れ肌が交じり、淡く映りごころがあり、刃文は匂口明るく、締まった直刃を基調に処々小湾れを交え、刃中には足や葉が頻りに入り、古調な雰囲気を漂わせ、帽子は直調に焼きたっぷりと丸く返っています。 附属の拵はうぶの品ではありませんが、四分一磨地の一作金具で、殊更鞘の仕立てが面白く、網を掛けた上から漆で塗り固めて研ぎ出した蜂の巣模様が印象的。現在このような特注鞘を誂えようと思えば相当な費用が必要でしょう。雰囲気良く拵だけでも独り歩きできる逸品です。柄にガタツキは無くしっかりとしています。 美術鑑賞刀として内外共に価値ある一刀を是非この機会にご入手下さい。 ※鐔鳴りが気になる方は責金をなさってください。
Certificate reading — 銘 豊州高田住藤原統行
在銘 · Takada · 新刀 · 長さ 69.9cm · 反り 1.22cm

















備前伝 · 豊後 · 1596-1615頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。