二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
脇差:銘 高田住藤原統行(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、豊後国の名門・高田派に属する「高田住藤原統行」による一振りです。統行の名は天正から明暦年間(1573-1658年)にかけて三代続いていますが、茎(なかご)に刻まれた銘振りの特徴から、江戸時代初期(17世紀前半から中葉)に活躍した二代、あるいは三代の統行による作と推定されます。 高田派は、南北朝時代の建武年間(1334-1338年)に高田友行が豊後国高田(現在の大分県)で興した流派です。友行は備前国へ渡って備前伝の鍛刀技術を修めた後、故郷に戻り門弟を育成しました。これが高田派の始まりとされています。 戦国時代(15世紀後半〜16世紀後半)には、九州の武士たちの需要に応え数多くの刀剣を打ちました。その評価は、刀剣の二大産地である備前や美濃にも比肩したと伝えられています。 戦国期の豊後国は、九州屈指の戦国大名・大友宗麟(義鎮)によって統治され、強大な軍事・政治基盤を誇っていました。高田鍛冶は大友家に仕える武士たちの刀を多く手掛けており、初代統行は大友家より「統」の一字を賜ったとされています。統行の一派は、江戸時代を通じて高田派を隆盛させる重要な役割を果たしました。 古来、九州地方はアジア諸国との交易の要所であり、交易の利権を巡る諸大名の抗争が絶えなかったことから、刀剣の需要が非常に高く、作刀が盛んに行われました。また、高田の地は祖母傾山系から産出される良質な砂鉄や炭などの原料に恵まれており、こうした地理的条件と豊かな資源が、高田派の繁栄を支えたと考えられます。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長):53.2 cm 反り:1.4 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる中心部分。古来、刀工は赤錆を防ぐために茎に黒錆を残しました。この錆の色調(経年変化)は、鑑定において製作年代を推定する重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には、武士の道具が精緻に表現されています。縁には「鐙(あぶみ)」と「鞭(むち)」が、頭には「兜(かぶと)」「鞍(くら)」「臑当(すねあて)」が配されています。鐙は乗馬の際に足をかける馬具であり、鞍と共に用いられるものです。




























備前伝 · 豊後 · 1596-1615頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
脇差:銘 高田住藤原統行(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、豊後国の名門・高田派に属する「高田住藤原統行」による一振りです。統行の名は天正から明暦年間(1573-1658年)にかけて三代続いていますが、茎(なかご)に刻まれた銘振りの特徴から、江戸時代初期(17世紀前半から中葉)に活躍した二代、あるいは三代の統行による作と推定されます。 高田派は、南北朝時代の建武年間(1334-1338年)に高田友行が豊後国高田(現在の大分県)で興した流派です。友行は備前国へ渡って備前伝の鍛刀技術を修めた後、故郷に戻り門弟を育成しました。これが高田派の始まりとされています。 戦国時代(15世紀後半〜16世紀後半)には、九州の武士たちの需要に応え数多くの刀剣を打ちました。その評価は、刀剣の二大産地である備前や美濃にも比肩したと伝えられています。 戦国期の豊後国は、九州屈指の戦国大名・大友宗麟(義鎮)によって統治され、強大な軍事・政治基盤を誇っていました。高田鍛冶は大友家に仕える武士たちの刀を多く手掛けており、初代統行は大友家より「統」の一字を賜ったとされています。統行の一派は、江戸時代を通じて高田派を隆盛させる重要な役割を果たしました。 古来、九州地方はアジア諸国との交易の要所であり、交易の利権を巡る諸大名の抗争が絶えなかったことから、刀剣の需要が非常に高く、作刀が盛んに行われました。また、高田の地は祖母傾山系から産出される良質な砂鉄や炭などの原料に恵まれており、こうした地理的条件と豊かな資源が、高田派の繁栄を支えたと考えられます。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長):53.2 cm 反り:1.4 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる中心部分。古来、刀工は赤錆を防ぐために茎に黒錆を残しました。この錆の色調(経年変化)は、鑑定において製作年代を推定する重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には、武士の道具が精緻に表現されています。縁には「鐙(あぶみ)」と「鞭(むち)」が、頭には「兜(かぶと)」「鞍(くら)」「臑当(すねあて)」が配されています。鐙は乗馬の際に足をかける馬具であり、鞍と共に用いられるものです。




























備前伝 · 豊後 · 1596-1615頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.