大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
刃長67.1センチ 反り1.7センチ 元幅29.2ミリ 元重ね7.1ミリ 物打幅23.2ミリ 物打重ね5.8ミリ 横手位置幅19.2ミリ 松葉先重ね4.7ミリ 裸身重量675グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,072グラム。 室町中期~後期 The middle ~ latter period of Muromachi era 昭和38年4月4日 東京都登録 附属 保存刀剣鑑定書、保存刀装具鑑定書、素銅地金着はばき、朱石目塗鞘太刀拵 備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しており、従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助國を祖とするという説が有力となっています。 三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。 また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。 この刀は大きく磨り上げられるも元先の幅差が開いて中切先やや延びごころの優雅な姿を誇っており、地鉄は小板目に杢交じって柾流れ、地景入り、肌立ちごころで淡く白気映りが立ち、刃文は匂口明るく冴え、匂口締まった直刃を破綻無く焼き上げています。単調なる直刃に見えるも、仔細に観察すると、極々小さな働きが多々見られ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。 附属の太刀拵は、黒味を帯びた朱石目塗に仕上げられ、堅牢さと風格を兼ね備えております。金具はすべて山銅を素材とし、蕨手を意匠に据えた統一美が際立ちます。柄には鮫皮や錦を用いず、波濤を精緻に刻した金属を据え、さらに細身の革を上下のみ巻き締めることで、実用性を重視した剛毅な造りを見せています。鐔も同じく山銅による丸形の頑丈な造りで、そこには躍動する雨龍の姿が彫り出され、迫力ある趣を添えています。 一般的な糸巻陣太刀拵はしばしば目にしますが、本作のように異風を凝らした太刀拵は極めて稀であり、切羽の一枚に至るまで完全に当初のまま伝わる点においても大変貴重です。床の間に飾れば、まさに威風堂々たる存在感を放つ、格別の逸品と申せましょう。 柄にがたつきは無く、しっかりとしておりますが、鐔鳴りはございます。鞘を払って手にすると、手元重心でバランスが非常に良く、まさに実用第一を考えた造りであることをひしひしと感じさせます。






















大和伝 · 備後
現在34点販売中
備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥1,980,000
刃長67.1センチ 反り1.7センチ 元幅29.2ミリ 元重ね7.1ミリ 物打幅23.2ミリ 物打重ね5.8ミリ 横手位置幅19.2ミリ 松葉先重ね4.7ミリ 裸身重量675グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,072グラム。 室町中期~後期 The middle ~ latter period of Muromachi era 昭和38年4月4日 東京都登録 附属 保存刀剣鑑定書、保存刀装具鑑定書、素銅地金着はばき、朱石目塗鞘太刀拵 備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しており、従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助國を祖とするという説が有力となっています。 三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。 また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。 この刀は大きく磨り上げられるも元先の幅差が開いて中切先やや延びごころの優雅な姿を誇っており、地鉄は小板目に杢交じって柾流れ、地景入り、肌立ちごころで淡く白気映りが立ち、刃文は匂口明るく冴え、匂口締まった直刃を破綻無く焼き上げています。単調なる直刃に見えるも、仔細に観察すると、極々小さな働きが多々見られ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。 附属の太刀拵は、黒味を帯びた朱石目塗に仕上げられ、堅牢さと風格を兼ね備えております。金具はすべて山銅を素材とし、蕨手を意匠に据えた統一美が際立ちます。柄には鮫皮や錦を用いず、波濤を精緻に刻した金属を据え、さらに細身の革を上下のみ巻き締めることで、実用性を重視した剛毅な造りを見せています。鐔も同じく山銅による丸形の頑丈な造りで、そこには躍動する雨龍の姿が彫り出され、迫力ある趣を添えています。 一般的な糸巻陣太刀拵はしばしば目にしますが、本作のように異風を凝らした太刀拵は極めて稀であり、切羽の一枚に至るまで完全に当初のまま伝わる点においても大変貴重です。床の間に飾れば、まさに威風堂々たる存在感を放つ、格別の逸品と申せましょう。 柄にがたつきは無く、しっかりとしておりますが、鐔鳴りはございます。鞘を払って手にすると、手元重心でバランスが非常に良く、まさに実用第一を考えた造りであることをひしひしと感じさせます。






















大和伝 · 備後
現在34点販売中
備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥1,980,000