肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
注文番号:AS26247 白鞘入り脇差(NBTHK 特別保存刀剣) 銘:肥前国河内守藤原正広 裁断銘:寛文六年八月廿二日二ツ胴切落 山野加右衛門永久(花押) 刀工の技量に基づき、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は肥前国河内守藤原正広として上々作にランクされます。 ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:50.4 cm (19.84 in) 反り:1.2 cm (0.47 in) 目釘穴:2個 元幅:3.17 cm (1.25 in) 先幅:2.23 cm (0.88 in) 重ね:0.69 cm (0.27 in) 刀身重量:515 グラム 時代:江戸時代(1603–1868)、寛文(1661–1673)頃 体配:身幅が広く、反りがあり、大切先となった堂々とした作品です。 地鉄:小板目肌が美しく詰んだ、均質な肥前肌です。 刃文:沸出来の互の目乱れ。 波の間に丸い飛沫が上がる海原のような、変化に富んだ景観を呈しています。 特徴:近年、裁断銘のある作品は市場で急速に数を減らしています。 これは、多くの刀剣愛好家やコレクターが自身のコレクションに収めたためと考えられます。 本作は状態が良く、健全な脇差です。 この機会にぜひお求めください。 この刀には「寛文六年八月廿二日二ツ胴切落 山野加右衛門永久(花押)」という裁断銘があり、力強さと実用性の両方を強く伝えています。 歴史的背景:寛文六年八月二十二日(旧暦1666年)は、丹後宮津藩主の京極高国が改易された日として知られています。 武家諸法度違反や領内統治の不手際などを理由に、江戸幕府は宮津城(現在の宮津市)を没収しました。





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Hizen Tadayoshi main line, second-generation Masahiro (Saga) · 肥前 · 1658-1661頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位26%
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二代正広は初代河内大掾正広の子で、寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称した。父の在世中は武蔵守正永と銘し、万治三年に武蔵大掾を受領、翌寛文元年に武蔵守に転じた。寛文五年二月五日、彼が三十九歳の時に父が歿し、同年四月十三日に河内守に転じている。正広銘の襲名については、口宣案に「武蔵守藤原正広、宜任河内守」[[c:1]]とあることから、説明書は「おそらく初代正広歿後すぐのことであろう」[[c:6]]とする。元禄十二年、七十三歳で歿した。父と同じく本家の協力者の一人であったとみられる。
説明書は本工を父に極めて近いものとして読む。直刃・乱刃ともに父につぐ上手で、「殆んど甲乙つけがたいものがある」[[c:7]]と記し、作柄は直刃・乱れ刃ともに初代正広さながらで、技術は父に劣らないとする。なかでも乱れ刃を得意とし、焼幅を広く取って華やかな丁子乱れを展開するところは「正に彼の独壇場である」[[c:8]]と評される。
その乱れ刃は丁子を主調に互の目を交え、焼幅広く大模様に乱れるものである。刃中に頭の丸い互の目や矢筈風の刃を交える点に、二代正広の刃取りの特徴が窺えるとされる。足・葉よく入り、匂深く沸厚くつき、処々谷に沸が凝り、金筋・砂流しがさかんにかかる。飛焼を交えるものもあり、ある一刀は「同作中最も華やかな出来を示したもの」[[c:9]]とされる。傍肥前の諸工と同じく、元に直ぐの焼出しを見せることもある。地鉄は小板目肌がよくつみ、地沸が微塵に厚くついて地景が細かに入り、肥前刀特有の米糠肌状と記される作が多く、頑健な一刀では肌目が立つとされる。帽子は直ぐに小丸に返る。
直刃は本工のもう一つの作域であり、説明書は「初代正広よりも直刃の作品が多く見られることにも注意したい」[[c:10]]と特に記す。直刃の作は乱れ刃より少ないものの父よりは多く見られ、出来にむらがなく総じて優れているという。典型の中直刃の刀では地がねが一段とよく約むとされ、匂深の中直刃の一刀は直刃を得意とした本家の作を見るようであるという。常々の直刃より一際匂深く沸厚くつき、働きの豊富な二口の刀には「或種の放胆さが窺えて」[[c:11]]と評される。姿は身幅広く重ね厚く、手持ちの重い頑健なものが多く、時に鋒が延びて大鋒となる。
初・二代の別は銘に見る。二代は「肥前国河内守藤原正広」[[c:12]]と切るものが最も多く、中には「藤氏」と切ったものもある。説明書は「藤」と「廣」の字形に父子の相違を挙げ、二代の「廣」は一画多いとする。彫物は極めて少なく、寛文十二年紀の一刀には後に信国美直が彫物を施し、寛文十三年の山野勘十郎の截断銘を伴う。
藤代の極めは上作。国宝・重要文化財はなく、その記録は重要刀剣の位にあり、指定を受けた作は二十六口である。大きく乱れ刃を焼き、日月等の飛焼を交えた一刀は最高の出来とされ「肥前刀を代表する一刀である」[[c:13]]と称えられ、山野勘十郎久英の截断金象嵌銘と「継小袖」の号を有する。別の一刀には「剪風」の号らしき試し銘があり、説明書は肥前刀に試し銘のあるものは極めて稀であると記す。寛文七年紀の脇指はその年紀が好資料とされる。来歴の記録は乏しく、在銘の重要刀剣が市に現れるのは時折のことである。
正廣の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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新刀 · 肥前
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肥前派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →
肥前 藩営の刀
肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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