大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
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大磨上無銘ながら備後の古三原の作と鑑せられる刀である。古三原派は鎌倉末期から南北朝にかけて栄えた一派 で、荘園の関係から、大和物の影響を多く受けており、直刃の作が多い。ただし大和物に比べると帽子がおとなし 丸く大きく返る点が見どころである。この刀はその典型的な作の一口である。 大上、先切、
大磨上無銘ながら備後の古三原の作と鑑せられる刀である。古三原派は鎌倉末期から南北朝にかけて栄えた一派で、荘園の関係から、大和物の影響を多く受けており、直刃の作が多い。ただし大和物に比べると帽子がおとなし丸く大きく返る点が見どころである。この刀はその典型的な作の一口である。 大上、先切、
大和伝 · 備後
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備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト