三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
長舩左衛門七郎春光は、遍く知られる右京亮勝光の曾孫に当たる十郎左衛門春光の子で、活躍期は天正、文禄の頃。この左衛門七郎春光の仕えた備前国主宇喜多秀家は、毛利元就などと渡り合った父直家譲りの将器を備えていたのみならず、能、鷹狩、和歌にも通じた文化人で、春光や祐定など備前刀工の作を刀好きの秀吉に献上している。しかも妻は秀吉の養女豪姫であり、豊臣政権屈指の大大名であった。 この短刀は、秀家が総大将として渡海した文禄の役最中の精鍛作で、重ねが頗る厚くふくらの枯れた戦国武将好みの鎧通し。強靭さを高める目的から強く肌起つ板目鍛えとしている。互の目乱の刃文は柔らかな沸で刃縁が明るく、刃境に湯走り、刃中に金線、砂流しが盛んに掛かり、帽子は浅く乱れ込み、棟を長く焼き下げて刀身の強度が高められ、覇気横溢の様相。茎の保存状態は万全で、「備州之住」から始まる独特の銘字に左衛門七郎の俗名が刻されて貴重である。 拵は青貝微塵散塗鞘の極上品で、朧銀磨地に雨龍図を金で平象嵌した頭、口金、栗形金具、裏瓦、 鐺で装われ、目貫は愛らしい夫婦鳩図。月下帰雁図小柄と水面を切って飛ぶ燕図笄は、会津の松村勝成門で江戸小石川に居住した八辻勝肥(やつじ かつとみ)の(注3)季節感豊かな見事な作である。 注1... 応仁の乱で東軍細川勝元方として活躍した赤松政則に、弟左京進宗光と共に仕えた。 注2... 天正十五年八月吉日紀の俗名入りの両刃造短刀(『銀座情報』百四十号)があるが希少である。 注3...八辻勝肥は姓名を八辻喜三郎、会津若松出身で、号を安養斎。
在銘 · Osafune · 天正 · 長さ 22.1cm


















備前伝 · 備前 · 1568-1592頃
藤代 Chu-jo saku
現在2点販売中
春光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在236点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。

長舩左衛門七郎春光は、遍く知られる右京亮勝光の曾孫に当たる十郎左衛門春光の子で、活躍期は天正、文禄の頃。この左衛門七郎春光の仕えた備前国主宇喜多秀家は、毛利元就などと渡り合った父直家譲りの将器を備えていたのみならず、能、鷹狩、和歌にも通じた文化人で、春光や祐定など備前刀工の作を刀好きの秀吉に献上している。しかも妻は秀吉の養女豪姫であり、豊臣政権屈指の大大名であった。 この短刀は、秀家が総大将として渡海した文禄の役最中の精鍛作で、重ねが頗る厚くふくらの枯れた戦国武将好みの鎧通し。強靭さを高める目的から強く肌起つ板目鍛えとしている。互の目乱の刃文は柔らかな沸で刃縁が明るく、刃境に湯走り、刃中に金線、砂流しが盛んに掛かり、帽子は浅く乱れ込み、棟を長く焼き下げて刀身の強度が高められ、覇気横溢の様相。茎の保存状態は万全で、「備州之住」から始まる独特の銘字に左衛門七郎の俗名が刻されて貴重である。 拵は青貝微塵散塗鞘の極上品で、朧銀磨地に雨龍図を金で平象嵌した頭、口金、栗形金具、裏瓦、 鐺で装われ、目貫は愛らしい夫婦鳩図。月下帰雁図小柄と水面を切って飛ぶ燕図笄は、会津の松村勝成門で江戸小石川に居住した八辻勝肥(やつじ かつとみ)の(注3)季節感豊かな見事な作である。 注1... 応仁の乱で東軍細川勝元方として活躍した赤松政則に、弟左京進宗光と共に仕えた。 注2... 天正十五年八月吉日紀の俗名入りの両刃造短刀(『銀座情報』百四十号)があるが希少である。 注3...八辻勝肥は姓名を八辻喜三郎、会津若松出身で、号を安養斎。
在銘 · Osafune · 天正 · 長さ 22.1cm


















備前伝 · 備前 · 1568-1592頃
藤代 Chu-jo saku
現在2点販売中
春光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在236点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
