出ました出ました昭和52年、第25回の重要刀剣に指定されている国宗(伯耆)の貴重な生姿の太刀が出ました。現存作5.6口しか無いと言われる内でも2口は重要文化財に指定されている久能山東照宮の国宗(伯耆)、井伊家の国宗(伯耆)と同じ貴重な国宗(伯耆)の生姿の太刀です。本太刀は元幅尋常で鎬造庵棟腰反り深く生姿の為に元に踏ん張りがあり切っ先は小切っ先、地金は板目肌立ち地沸細かに付き地には乱れ映りが淡く立ち、刃紋は直刃調に丁子ごころの小乱れ互の目ごころ交じり刃中沸深く処々強く沸づき砂流しかかり金筋が良く入ります、帽子は大丸ごころで中心は生中心で、生まれたままの太刀姿が素晴らしく貴重です。本間薫山先生曰く、本太刀は備前三郎国宗の銘に一見似ていますが、細部が異なりこの様な刀を世に備前三郎国宗の門で伯耆住の国宗と伝えられていますが作風が備前三郎国宗より古く、三郎国宗は鎌倉中期正元頃(1256年)(770年前)国宗(伯耆)は鎌倉時代永仁頃(1293年)(733年前)と言われていますが本太刀を拝見しても時代が一層古く、小切っ先で踏ん張りが有りはばき元で反る鎌倉初期承久頃(1219年)(807年前)の太刀姿を現し、地金が板目肌が肌立って地景風になって沸づき、刃紋は小乱れで刃中まで沸えて砂流しがかりと正しく日本刀の原点と言われる伯耆の安綱に通ずる国宗(伯耆)の名刀です。この度古いお数寄者様から鎌倉時代の貴重な古い太刀を特にお持ちになりたい方にお譲り下さいとお預かりした為に、素晴らしく貴重な2度と出ない国宗の生姿の太刀をご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。
国宗を名乗る刀工は多く、備前三郎国宗、中原国宗、来国宗、宇多国宗などがいる。 伯耆国宗は時代を永仁頃と いうもので、有名なものに久能山東照宮、 井伊家のものがある。 この作は生ぶ有銘の作で、やや疲れごころはあるが、伯耆国宗の特色をよくあらわし、数少ない貴重な作品である。





























国宗を名乗る刀工は多く、備前三郎国宗、中原国宗、来国宗、宇多国宗などがいる。 伯耆国宗は時代を永仁頃と いうもので、有名なものに久能山東照宮、 井伊家のものがある。 この作は生ぶ有銘の作で、やや疲れごころはあるが、伯耆国宗の特色をよくあらわし、数少ない貴重な作品である。
Ko-Hoki (Yasutsuna lineage, Hoki province) · 伯耆 · 1150-1220頃
刀剣大鑑 上位14%
現在2点販売中
伯耆の国宗は古伯耆派の積年の難問の一つであり、平安時代後期より鎌倉時代初期の刀工で、その作はことごとく、はるかに名高い同名の工と如何に分かつかという問題に結びついている。説明書は分からぬことの多さに率直である。本工については定説がなく、僅かに残る作のうちに伯耆を居住地と記したものを見ず、ほとんど作風と銘の鏨のみによって知られる。一説に備前の三郎国宗の門人でのち伯耆に移住したと伝えるが、現存する在銘太刀についての説明はこれを支え難しとする。現存の作を併せ見れば、いずれも三郎の風をみせず、むしろ古調で、時代も遡るとも思われ、ゆえにNBTHKは本工を備前の傍系ではなく、その言うところの「安綱一派の流れを汲む」[[c:1]]工とみる。すなわち本工は備前の丁子の工の中にではなく、貞綱ら初期伯耆の手の傍らに立つ。その指定の各説に繰り返されるのは、本工の作が「備前三郎国宗とは異なり」[[c:2]]という一句である。
極めが実際に本工の手として挙げるのは、備前の明るい丁子ではなく、沸を帯びた古調の刃である。在銘および磨上の太刀の本体に、直刃を基調とした小乱れを焼き、互の目と浅い湾れ調を交え、足よく入り、刃中に沸厚く、これに砂流し・金筋が頻りにかかって、処々匂口がうるむ。この沸の多い落ち着かぬ刃こそ、より穏やかで匂本位の備前国宗の丁子から本工を分かつ、説明書の拠るところである。帽子は刃文に応じ、乱れこみまたは直ぐに掃きかけて焼詰め風となり、先は沸づく。
地鉄は像のもう半ばをなし、古伯耆たるゆえにいよいよ野趣がある。鍛えは板目が肌立ち、時に流れ、地沸よくつき、地斑を交えて、かねが黒みがかった鉄色をみせる。これは説明書が同時代の古備前物に紛れやすいとする類の地で、立った肌、黒みがかる色、その上の柔らかくうるんだ刃によって分かたれる。出来のよい作で鍛えがつまれば淡い乱れ映りが立ち、磨上の刀一口では柾ごころ交じりの約まった小板目がかわりに白け映りを呈する。終始その手は古調と読まれ、「古香の高い」もの、鎌倉初期を下らぬものとされる。
その僅かな記録は二つの面に分かれる。本流の面は在銘・磨上の太刀の多くに通い、いま述べた古伯耆の野趣ある手、すなわち肌立った板目、黒みがかる地鉄、砂流し・金筋に満ちたうるむ直刃調の小乱れである。第二の面は数口の出来のよい在銘太刀で、うち二口が特別重要刀剣に列し、鍛えがつまって地景の入る小板目となり、刃文は小丁子に明るく転じ、上半が二重刃・三重刃に刃を重ねる。この刃の重なりこそ説明書が「同派の貞綱をおもわせる」[[c:4]]として挙げる見どころで、伯耆国宗を安綱一派に結ぶ最も明らかな内的な標である。いずれの面にも、茎尻寄りに太鏨で大振りの二字銘を切り、極めはその鏨を「銘が備前の国宗より丸味があり」[[c:5]]運びがやや異なるとし、より長い伯耆国国宗と銘したものはないとする。
したがって本工を分かつのは、まさに備前との対比が引き出すところである。現存の在銘太刀は「三郎国宗の風はみられず」[[c:8]]より古調であり、ゆえに伯耆の手に帰される。沸の刃、砂流しと金筋、最上の作の二重刃・三重刃こそが積極的な根拠であって、借り物の備前の華やかさではない。説明書は本工の作を、「古伯耆物に共通する作風」[[c:6]]を呈する伯耆刀の群に数え、その場合の一派の及ぶ時代を永仁頃にまで見る。要するに本工は、安綱の遺産を継いで運ぶ静かな古調の伯耆の手であり、際立った一徳というよりは、その一派について語るところによって貴ばれる。
収集の観点では、薄いながらも確かな記録をもつ稀な初期の名である。国宝はなく、重要文化財もない。その位置は指定の級に拠り、五口が特別重要刀剣・重要刀剣の級に入り、うち二口がより高い級にある。磨上の刀一口は「伯州国宗」の金象嵌銘を負い、戦前の太刀一口は重要美術品に認定され「日本刀大鑑」に所載される。来歴は、記されている限りでは博物館よりも旧家を通じ、山名家・池田家に伝わった一口があり、説明書が名を挙げる有名な作には、かつて「久能山東照宮」や井伊家に蔵されたものがある。現存するものは少なく、説明書はこれを現存稀な同工の資料として貴重とする。在銘の伯耆国宗が世に出ることは多くなく、所在の知られた一口が手を変えるとき、それは収集家にとって注目すべきもの、安綱の流れが鎌倉の世へ続いたことを語る証である。
國宗の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 伯耆
時期区分: 古伯耆· 966–1334
現在6点販売中
古伯耆は伯耆派の初発をなす最古層であり、直刀から湾刀へと日本刀の姿が移りゆく時期、すなわち平安時代後期より鎌倉時代初期にかけての一群を指す。その頭領が安綱である。銘鑑はその活躍を大同頃と伝えるが、現存する在銘作の作風から推せば年代はそれより降り、三条宗近らとほぼ同時代の平安後期の作者とみるのが穏当である。湾刀成立の黎明にあってこれだけの手練が伯耆の地に立ったこと自体が一派の重みを物語り、名物童子切安綱の作者という一事をもってその名は伝説の域に近づく。安綱を中心に据え、その子と伝える真守、ならびに大原の地に拠った一門の有綱・貞綱・安家・真景らがこれに連なって大原一派をなし、さらに時代を降って一派の流れを汲むとみられる伯耆国宗が鎌倉初期に現れる。古さの度合からすれば在銘作の比較的多く遺ることは特筆され、なかでも安綱には在銘の太刀がいくつか伝わって、一派研究の基軸をなしている。 作風の本領は地鉄にある。鍛えは板目に大板目・杢を交えて大模様に肌立ち、流れごころを帯び、地沸が厚くつき、地景が入り、地斑を交えて地斑映りあるいは乱れ映りが立ち、鉄色は総じて黒みがかる。その黒む地の上に、直刃を基調として浅くのたれた沸厚い小乱れを焼き、小互の目・小丁子・小のたれを交え、足・葉がよく入り、金筋・砂流しが頻りに織りなして刃中の働きに富み、匂口はうるみまた沈みごころとなる。区上で焼を落とす焼落しを示す作も少なくなく、帽子は直ぐに小丸または焼詰めとなって掃きかけることが多い。太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ古調の体配をとどめ、先へ行っての伏しごころが古備前物ほどには目立たないところに古伯耆の姿の特色がある。整って冴える後代の末伯耆に対し、古伯耆の地刃はより強く肌立って個性的であり、黒む鉄と頻りの働きをもって一段と野趣に富み、古雅の趣を色濃く残す。 鑑定の勘所は、まずこの一派を古備前および大和と別つところにある。小乱れ主調の刃文は同時代の古備前に通うが、仔細に鑑れば、肌立った大模様の板目、黒みがかる地鉄、地景・地斑、うるみ沈む匂口、頻りの金筋・砂流しによって、古備前の明るくつまる鉄と冴えた線から自ずと分かたれ、地方的な野趣をもって読み戻される。前田家伝来の無銘の安綱が一脈の大和ごころを帯びると伝えるように、大和との縁もまた鑑識の上に意識される。代表する手は安綱・真守を双璧とし、童子切安綱をはじめ古伯耆を象徴する太刀がその名に集まる。生ぶ在銘の太刀は極めて少なく、無銘古作の極めは自然と安綱の手へと読み戻されてゆく。伝来もまた重く、出羽久保田藩の佐竹家、徳川将軍家、久松松平家、前田家といった家々を経て今に伝わり、伯耆の鉄が日本刀の黎明にあって果たした位置を静かに語り継いでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました昭和52年、第25回の重要刀剣に指定されている国宗(伯耆)の貴重な生姿の太刀が出ました。現存作5.6口しか無いと言われる内でも2口は重要文化財に指定されている久能山東照宮の国宗(伯耆)、井伊家の国宗(伯耆)と同じ貴重な国宗(伯耆)の生姿の太刀です。本太刀は元幅尋常で鎬造庵棟腰反り深く生姿の為に元に踏ん張りがあり切っ先は小切っ先、地金は板目肌立ち地沸細かに付き地には乱れ映りが淡く立ち、刃紋は直刃調に丁子ごころの小乱れ互の目ごころ交じり刃中沸深く処々強く沸づき砂流しかかり金筋が良く入ります、帽子は大丸ごころで中心は生中心で、生まれたままの太刀姿が素晴らしく貴重です。本間薫山先生曰く、本太刀は備前三郎国宗の銘に一見似ていますが、細部が異なりこの様な刀を世に備前三郎国宗の門で伯耆住の国宗と伝えられていますが作風が備前三郎国宗より古く、三郎国宗は鎌倉中期正元頃(1256年)(770年前)国宗(伯耆)は鎌倉時代永仁頃(1293年)(733年前)と言われていますが本太刀を拝見しても時代が一層古く、小切っ先で踏ん張りが有りはばき元で反る鎌倉初期承久頃(1219年)(807年前)の太刀姿を現し、地金が板目肌が肌立って地景風になって沸づき、刃紋は小乱れで刃中まで沸えて砂流しがかりと正しく日本刀の原点と言われる伯耆の安綱に通ずる国宗(伯耆)の名刀です。この度古いお数寄者様から鎌倉時代の貴重な古い太刀を特にお持ちになりたい方にお譲り下さいとお預かりした為に、素晴らしく貴重な2度と出ない国宗の生姿の太刀をご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。
国宗を名乗る刀工は多く、備前三郎国宗、中原国宗、来国宗、宇多国宗などがいる。 伯耆国宗は時代を永仁頃と いうもので、有名なものに久能山東照宮、 井伊家のものがある。 この作は生ぶ有銘の作で、やや疲れごころはあるが、伯耆国宗の特色をよくあらわし、数少ない貴重な作品である。





























国宗を名乗る刀工は多く、備前三郎国宗、中原国宗、来国宗、宇多国宗などがいる。 伯耆国宗は時代を永仁頃と いうもので、有名なものに久能山東照宮、 井伊家のものがある。 この作は生ぶ有銘の作で、やや疲れごころはあるが、伯耆国宗の特色をよくあらわし、数少ない貴重な作品である。
Ko-Hoki (Yasutsuna lineage, Hoki province) · 伯耆 · 1150-1220頃
刀剣大鑑 上位14%
現在2点販売中
伯耆の国宗は古伯耆派の積年の難問の一つであり、平安時代後期より鎌倉時代初期の刀工で、その作はことごとく、はるかに名高い同名の工と如何に分かつかという問題に結びついている。説明書は分からぬことの多さに率直である。本工については定説がなく、僅かに残る作のうちに伯耆を居住地と記したものを見ず、ほとんど作風と銘の鏨のみによって知られる。一説に備前の三郎国宗の門人でのち伯耆に移住したと伝えるが、現存する在銘太刀についての説明はこれを支え難しとする。現存の作を併せ見れば、いずれも三郎の風をみせず、むしろ古調で、時代も遡るとも思われ、ゆえにNBTHKは本工を備前の傍系ではなく、その言うところの「安綱一派の流れを汲む」[[c:1]]工とみる。すなわち本工は備前の丁子の工の中にではなく、貞綱ら初期伯耆の手の傍らに立つ。その指定の各説に繰り返されるのは、本工の作が「備前三郎国宗とは異なり」[[c:2]]という一句である。
極めが実際に本工の手として挙げるのは、備前の明るい丁子ではなく、沸を帯びた古調の刃である。在銘および磨上の太刀の本体に、直刃を基調とした小乱れを焼き、互の目と浅い湾れ調を交え、足よく入り、刃中に沸厚く、これに砂流し・金筋が頻りにかかって、処々匂口がうるむ。この沸の多い落ち着かぬ刃こそ、より穏やかで匂本位の備前国宗の丁子から本工を分かつ、説明書の拠るところである。帽子は刃文に応じ、乱れこみまたは直ぐに掃きかけて焼詰め風となり、先は沸づく。
地鉄は像のもう半ばをなし、古伯耆たるゆえにいよいよ野趣がある。鍛えは板目が肌立ち、時に流れ、地沸よくつき、地斑を交えて、かねが黒みがかった鉄色をみせる。これは説明書が同時代の古備前物に紛れやすいとする類の地で、立った肌、黒みがかる色、その上の柔らかくうるんだ刃によって分かたれる。出来のよい作で鍛えがつまれば淡い乱れ映りが立ち、磨上の刀一口では柾ごころ交じりの約まった小板目がかわりに白け映りを呈する。終始その手は古調と読まれ、「古香の高い」もの、鎌倉初期を下らぬものとされる。
その僅かな記録は二つの面に分かれる。本流の面は在銘・磨上の太刀の多くに通い、いま述べた古伯耆の野趣ある手、すなわち肌立った板目、黒みがかる地鉄、砂流し・金筋に満ちたうるむ直刃調の小乱れである。第二の面は数口の出来のよい在銘太刀で、うち二口が特別重要刀剣に列し、鍛えがつまって地景の入る小板目となり、刃文は小丁子に明るく転じ、上半が二重刃・三重刃に刃を重ねる。この刃の重なりこそ説明書が「同派の貞綱をおもわせる」[[c:4]]として挙げる見どころで、伯耆国宗を安綱一派に結ぶ最も明らかな内的な標である。いずれの面にも、茎尻寄りに太鏨で大振りの二字銘を切り、極めはその鏨を「銘が備前の国宗より丸味があり」[[c:5]]運びがやや異なるとし、より長い伯耆国国宗と銘したものはないとする。
したがって本工を分かつのは、まさに備前との対比が引き出すところである。現存の在銘太刀は「三郎国宗の風はみられず」[[c:8]]より古調であり、ゆえに伯耆の手に帰される。沸の刃、砂流しと金筋、最上の作の二重刃・三重刃こそが積極的な根拠であって、借り物の備前の華やかさではない。説明書は本工の作を、「古伯耆物に共通する作風」[[c:6]]を呈する伯耆刀の群に数え、その場合の一派の及ぶ時代を永仁頃にまで見る。要するに本工は、安綱の遺産を継いで運ぶ静かな古調の伯耆の手であり、際立った一徳というよりは、その一派について語るところによって貴ばれる。
収集の観点では、薄いながらも確かな記録をもつ稀な初期の名である。国宝はなく、重要文化財もない。その位置は指定の級に拠り、五口が特別重要刀剣・重要刀剣の級に入り、うち二口がより高い級にある。磨上の刀一口は「伯州国宗」の金象嵌銘を負い、戦前の太刀一口は重要美術品に認定され「日本刀大鑑」に所載される。来歴は、記されている限りでは博物館よりも旧家を通じ、山名家・池田家に伝わった一口があり、説明書が名を挙げる有名な作には、かつて「久能山東照宮」や井伊家に蔵されたものがある。現存するものは少なく、説明書はこれを現存稀な同工の資料として貴重とする。在銘の伯耆国宗が世に出ることは多くなく、所在の知られた一口が手を変えるとき、それは収集家にとって注目すべきもの、安綱の流れが鎌倉の世へ続いたことを語る証である。
國宗の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 伯耆
時期区分: 古伯耆· 966–1334
現在6点販売中
古伯耆は伯耆派の初発をなす最古層であり、直刀から湾刀へと日本刀の姿が移りゆく時期、すなわち平安時代後期より鎌倉時代初期にかけての一群を指す。その頭領が安綱である。銘鑑はその活躍を大同頃と伝えるが、現存する在銘作の作風から推せば年代はそれより降り、三条宗近らとほぼ同時代の平安後期の作者とみるのが穏当である。湾刀成立の黎明にあってこれだけの手練が伯耆の地に立ったこと自体が一派の重みを物語り、名物童子切安綱の作者という一事をもってその名は伝説の域に近づく。安綱を中心に据え、その子と伝える真守、ならびに大原の地に拠った一門の有綱・貞綱・安家・真景らがこれに連なって大原一派をなし、さらに時代を降って一派の流れを汲むとみられる伯耆国宗が鎌倉初期に現れる。古さの度合からすれば在銘作の比較的多く遺ることは特筆され、なかでも安綱には在銘の太刀がいくつか伝わって、一派研究の基軸をなしている。 作風の本領は地鉄にある。鍛えは板目に大板目・杢を交えて大模様に肌立ち、流れごころを帯び、地沸が厚くつき、地景が入り、地斑を交えて地斑映りあるいは乱れ映りが立ち、鉄色は総じて黒みがかる。その黒む地の上に、直刃を基調として浅くのたれた沸厚い小乱れを焼き、小互の目・小丁子・小のたれを交え、足・葉がよく入り、金筋・砂流しが頻りに織りなして刃中の働きに富み、匂口はうるみまた沈みごころとなる。区上で焼を落とす焼落しを示す作も少なくなく、帽子は直ぐに小丸または焼詰めとなって掃きかけることが多い。太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ古調の体配をとどめ、先へ行っての伏しごころが古備前物ほどには目立たないところに古伯耆の姿の特色がある。整って冴える後代の末伯耆に対し、古伯耆の地刃はより強く肌立って個性的であり、黒む鉄と頻りの働きをもって一段と野趣に富み、古雅の趣を色濃く残す。 鑑定の勘所は、まずこの一派を古備前および大和と別つところにある。小乱れ主調の刃文は同時代の古備前に通うが、仔細に鑑れば、肌立った大模様の板目、黒みがかる地鉄、地景・地斑、うるみ沈む匂口、頻りの金筋・砂流しによって、古備前の明るくつまる鉄と冴えた線から自ずと分かたれ、地方的な野趣をもって読み戻される。前田家伝来の無銘の安綱が一脈の大和ごころを帯びると伝えるように、大和との縁もまた鑑識の上に意識される。代表する手は安綱・真守を双璧とし、童子切安綱をはじめ古伯耆を象徴する太刀がその名に集まる。生ぶ在銘の太刀は極めて少なく、無銘古作の極めは自然と安綱の手へと読み戻されてゆく。伝来もまた重く、出羽久保田藩の佐竹家、徳川将軍家、久松松平家、前田家といった家々を経て今に伝わり、伯耆の鉄が日本刀の黎明にあって果たした位置を静かに語り継いでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。