骨董日本刀 脇差 濃州兼房(天正頃) NTHK鑑定書付 【解説】 本作はNTHK(日本刀剣保存会)の鑑定により、天正年間(1573-1592)頃の「濃州兼房」と極められた一振りです。「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県)の別称であり、本作が同地で打たれたことを示しています。兼房の名は室町時代を通じて数代にわたり継承されましたが、本作はその作風から室町後期(16世紀初頭〜中葉)の下限に近い兼房の手によるものと推察されます。 初代兼房は室町中期の永享年間(1429-1441)に活動し、関の善定派に属する兼重の子として知られています。美濃国において関は最も栄えた作刀地であり、初代兼房は「兼房乱れ」と呼ばれる独特の丁子乱れの刃文を考案したことでその名を馳せました。 美濃の刀工たちは、不屈の精神と卓越した技術をもって「美濃伝」という独自の伝法を確立しました。美濃伝は、直刃調に尖り刃が交じるものや、白く霧がかったような「映り」が立つ乱れ刃を特徴とします。鎌倉時代末期(1280-1330)の大和伝を源流とし、南北朝から室町時代(1333-1573)にかけて隆盛を極め、その伝統は江戸時代まで脈々と受け継がれました。美濃伝の進化と永続性は、当時の刀工たちの高い芸術性と技量の証左と言えるでしょう。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから空前の繁栄を見せました。美濃国は地理的にも、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接しており、これら戦国大名やその家臣団から多大な需要がありました。また、関東と京を結ぶ要所に位置していたため、軍事的な利便性からも美濃伝の刀剣は重宝されました。実用本位の造り込みと鋭い切れ味を誇る美濃刀は、多くの武将たちに愛用されたのです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(肌割れ)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):34.2 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる中心(なかご)部分 日本の刀工は、柄内での赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残します。この経年による茎の色調の変化(朽ち込み)は、専門家が作刀年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。本作の縁頭は黒漆塗りの意匠となっています。 柄・目貫(Tsuka / Menuki):柄は刀を握る部位、目貫はその装飾です。 本作の目貫には二種類の家紋が施されています。 一方の目貫には「丸に矢尻付き違い矢」紋。二本の矢が円の中で交差する意匠です。 もう一方には「丸に二つ弓」紋が施されています。
























美濃伝 · 美濃 · 1558-1570頃
刀剣大鑑 上位26%
現在3点販売中
兼房は室町時代中期から新刀期にかけて美濃国で活躍した刀工である。銘鑑によれば、初代は濃州赤坂住とされ、嘉吉頃の重房を初代とする。同名が数代、数工存在し、作風も多岐にわたる。居住地は赤坂から関へと移ったことが知られ、長銘には「濃州関住」と切るものが多い。同時代の刀工との関係では、作風から氏房との類似性が指摘されることもある。
兼房の作風は、板目肌に柾ごころの肌が交じり、地沸がつく地鉄に特徴がある。刃文は「兼房乱れ」と称される頭の丸い互の目乱れを最も得意とするが、互の目丁子、矢筈風の刃、尖り刃、箱がかった刃など変化に富んだ作風を示す。のたれ調の刃文や、兼元風の三本杉を焼くなど作域は広い。匂口は締まりごころに小沸つき、砂流しかかり、飛焼、棟焼を交えるものもある。姿は身幅広く、大鋒で豪壮なものが多く、肉置き豊かな体配を示す。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目鷹の羽、または檜垣が多い。
重要刀剣の説示においては、「兼房乱れ」と称される特徴的な刃文が高く評価されている。また、地刃の出来が良く健全であること、幅広・大鋒の姿態が豪壮であること、年紀のある作は貴重であることなどが指摘される。截断銘のある作は資料的価値が高い。総じて、末古刀期の美濃物を代表する刀工として、その作風の多様性と出来の良さが認められている。
兼房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在144点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
骨董日本刀 脇差 濃州兼房(天正頃) NTHK鑑定書付 【解説】 本作はNTHK(日本刀剣保存会)の鑑定により、天正年間(1573-1592)頃の「濃州兼房」と極められた一振りです。「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県)の別称であり、本作が同地で打たれたことを示しています。兼房の名は室町時代を通じて数代にわたり継承されましたが、本作はその作風から室町後期(16世紀初頭〜中葉)の下限に近い兼房の手によるものと推察されます。 初代兼房は室町中期の永享年間(1429-1441)に活動し、関の善定派に属する兼重の子として知られています。美濃国において関は最も栄えた作刀地であり、初代兼房は「兼房乱れ」と呼ばれる独特の丁子乱れの刃文を考案したことでその名を馳せました。 美濃の刀工たちは、不屈の精神と卓越した技術をもって「美濃伝」という独自の伝法を確立しました。美濃伝は、直刃調に尖り刃が交じるものや、白く霧がかったような「映り」が立つ乱れ刃を特徴とします。鎌倉時代末期(1280-1330)の大和伝を源流とし、南北朝から室町時代(1333-1573)にかけて隆盛を極め、その伝統は江戸時代まで脈々と受け継がれました。美濃伝の進化と永続性は、当時の刀工たちの高い芸術性と技量の証左と言えるでしょう。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから空前の繁栄を見せました。美濃国は地理的にも、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接しており、これら戦国大名やその家臣団から多大な需要がありました。また、関東と京を結ぶ要所に位置していたため、軍事的な利便性からも美濃伝の刀剣は重宝されました。実用本位の造り込みと鋭い切れ味を誇る美濃刀は、多くの武将たちに愛用されたのです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(肌割れ)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):34.2 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる中心(なかご)部分 日本の刀工は、柄内での赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残します。この経年による茎の色調の変化(朽ち込み)は、専門家が作刀年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。本作の縁頭は黒漆塗りの意匠となっています。 柄・目貫(Tsuka / Menuki):柄は刀を握る部位、目貫はその装飾です。 本作の目貫には二種類の家紋が施されています。 一方の目貫には「丸に矢尻付き違い矢」紋。二本の矢が円の中で交差する意匠です。 もう一方には「丸に二つ弓」紋が施されています。
























美濃伝 · 美濃 · 1558-1570頃
刀剣大鑑 上位26%
現在3点販売中
兼房は室町時代中期から新刀期にかけて美濃国で活躍した刀工である。銘鑑によれば、初代は濃州赤坂住とされ、嘉吉頃の重房を初代とする。同名が数代、数工存在し、作風も多岐にわたる。居住地は赤坂から関へと移ったことが知られ、長銘には「濃州関住」と切るものが多い。同時代の刀工との関係では、作風から氏房との類似性が指摘されることもある。
兼房の作風は、板目肌に柾ごころの肌が交じり、地沸がつく地鉄に特徴がある。刃文は「兼房乱れ」と称される頭の丸い互の目乱れを最も得意とするが、互の目丁子、矢筈風の刃、尖り刃、箱がかった刃など変化に富んだ作風を示す。のたれ調の刃文や、兼元風の三本杉を焼くなど作域は広い。匂口は締まりごころに小沸つき、砂流しかかり、飛焼、棟焼を交えるものもある。姿は身幅広く、大鋒で豪壮なものが多く、肉置き豊かな体配を示す。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目鷹の羽、または檜垣が多い。
重要刀剣の説示においては、「兼房乱れ」と称される特徴的な刃文が高く評価されている。また、地刃の出来が良く健全であること、幅広・大鋒の姿態が豪壮であること、年紀のある作は貴重であることなどが指摘される。截断銘のある作は資料的価値が高い。総じて、末古刀期の美濃物を代表する刀工として、その作風の多様性と出来の良さが認められている。
兼房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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美濃伝 · 美濃
現在144点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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