日本刀 脇差 銘 兼常(相模守政常) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、後に「相模守政常」と名を改めた名工、兼常(かねつね)の手による脇差です。兼常は、安土桃山時代(天正年間:1573-1592年)に活躍した工であり、本説明においては兼常、および政常の名を用いて解説いたします。 兼常は、天文3年(1534年:室町時代後期)、美濃国(現在の岐阜県)の著名な刀工、助右衛門兼常の次男として生まれました。父より作刀の技術を学び、永禄10年(1567年)、33歳の時に独立して「兼常」と銘じ、尾張国小牧(現在の愛知県)へと移住しました。 記録によれば、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに際し、徳川家康の命を受けて百筋の槍を鍛えたと伝えられています。文禄元年(1592年)には「相模守」を受領。また、清洲城主であった池田輝政より「政」の一字を賜り、名を「政常」へと改めました。時の権力者から名の一字を授かることは、その刀工の技術が極めて卓越していたことを示す、大変名誉な証でありました。 慶長5年(1600年)、徳川家康の四男・松平忠吉が清洲城主となると、豊臣秀吉の恩顧として知られる福島正則の勧めにより、政常は小牧から清洲城下へと移り、忠吉の御抱え鍛冶として仕えました。その後、尾張藩主が徳川義直(家康の九男)に代わっても、政常とその一族は引き続き藩に仕えています。慶長12年(1607年)に一度は隠居したものの、後継ぎであった実子の急逝により作刀を再開。後に美濃の大道派から養子を迎え、85歳という長寿を全うしました。 江戸時代初期、武芸が盛んであった尾張国において、政常の刀は上級武士の間で絶大な需要を誇りました。彼は、飛騨守氏房、伯耆守信高とともに「尾張三傑」の一人に数えられる名工です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には一部、欠け、鍛え傷、黒錆の点在が見られます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長さ):45.6 cm 反り(反り):0.9 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる中心部分。経年による錆色は、刀の製作年代を特定する重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けを防止する金具 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書(第1018949号)





















美濃伝 · 美濃 · 1573-1592頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.

日本刀 脇差 銘 兼常(相模守政常) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、後に「相模守政常」と名を改めた名工、兼常(かねつね)の手による脇差です。兼常は、安土桃山時代(天正年間:1573-1592年)に活躍した工であり、本説明においては兼常、および政常の名を用いて解説いたします。 兼常は、天文3年(1534年:室町時代後期)、美濃国(現在の岐阜県)の著名な刀工、助右衛門兼常の次男として生まれました。父より作刀の技術を学び、永禄10年(1567年)、33歳の時に独立して「兼常」と銘じ、尾張国小牧(現在の愛知県)へと移住しました。 記録によれば、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに際し、徳川家康の命を受けて百筋の槍を鍛えたと伝えられています。文禄元年(1592年)には「相模守」を受領。また、清洲城主であった池田輝政より「政」の一字を賜り、名を「政常」へと改めました。時の権力者から名の一字を授かることは、その刀工の技術が極めて卓越していたことを示す、大変名誉な証でありました。 慶長5年(1600年)、徳川家康の四男・松平忠吉が清洲城主となると、豊臣秀吉の恩顧として知られる福島正則の勧めにより、政常は小牧から清洲城下へと移り、忠吉の御抱え鍛冶として仕えました。その後、尾張藩主が徳川義直(家康の九男)に代わっても、政常とその一族は引き続き藩に仕えています。慶長12年(1607年)に一度は隠居したものの、後継ぎであった実子の急逝により作刀を再開。後に美濃の大道派から養子を迎え、85歳という長寿を全うしました。 江戸時代初期、武芸が盛んであった尾張国において、政常の刀は上級武士の間で絶大な需要を誇りました。彼は、飛騨守氏房、伯耆守信高とともに「尾張三傑」の一人に数えられる名工です。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には一部、欠け、鍛え傷、黒錆の点在が見られます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長さ):45.6 cm 反り(反り):0.9 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる中心部分。経年による錆色は、刀の製作年代を特定する重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けを防止する金具 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書(第1018949号)





















美濃伝 · 美濃 · 1573-1592頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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