1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
特別保存刀剣鑑定書付 銘:作陽幕下士細川正義(嘉永四年二月日) 【解説】 本作は嘉永四年(1851年)、幕末期に作陽幕下士細川正義によって打たれた一振りです。「作陽幕下士」とは美作津山藩の藩士であることを意味します。「作陽」は美作国(現在の岡山県)の別称であり、古くは備前国から分かれた地域です。正義は幕末を代表する名工の一人として知られています。 正義は天明六年(1786年)、下野国鹿沼(現在の栃木県)に細川良助正義の子として生まれました。当初は「正美」と銘じ、宇都宮藩主・戸田家の抱え工として作刀していましたが、後に江戸へ出て新々刀の祖である巨匠・水心子正秀に師事します。その後、父の名を継いで二代細川正義となり、美作津山藩松平家の御用鍛冶(お抱え鍛冶)となりました。正義は津山藩の江戸藩邸に居住して作刀に励んだため、銘に「作陽幕下士」と冠しながらも、その多くは江戸で打たれたものと伝えられています。安政五年(1858年)、73歳で没しました。 正義は非常に技量の高い工であり、初期には大坂新刀を範としましたが、後に備前伝や相州伝を極め、格調高い作風を確立しました。 本作には「誉疵(ほまれきず)」と思われる痕跡が見受けられます。誉疵とは実戦で用いられた際に付いた刀傷のことで、古来より武士の間では戦い抜いた証として、刀の歴史を物語る名誉な疵と尊ばれてきました。 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)による「特別保存刀剣」に指定されており、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作であることが証明されています。 ※刀身にはわずかに鍛え疵が見られます。詳細な状態についてはお気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):71.2 cm 反り(Sori):2.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心部分。古い茎に宿る黒錆は赤錆を防ぐ役割があり、その朽ち込み具合は製作年代を特定する重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具 本作の縁頭の意匠は「獅子牡丹(唐獅子牡丹)」です。百獣の王である獅子と、百花の王である牡丹を組み合わせたこの図案は、古来より最も格式高い吉祥文様として好まれてきました。唐獅子は唐の時代に大陸から伝わった想像上の聖獣であり、力強さの象徴です。 赤銅地に高彫を施し、金の色絵を加えた見事な意匠となっております。



























Suishinshi Masahide school, bakumatsu Shinshinto · 美作 · 1791-1860頃
現在3点販売中
細川正義は同名の二代で、その前に正義と銘した下野の細川良助の子であり、説明書が水心子正秀門の正義というときに指す手である。古作復興の祖、水心子正秀の門に入り、初め正方、さらに守秀と銘した後に正義を名乗った。作州津山藩主松平家の抱え工となり、作陽幕下士と銘して、生涯の多くを江戸に住して鍛刀した。安政五年六月六日、七十三歳で歿している。説明書は彼を幕末の正秀門の高い位置に置き、一門中の事実上の後継者にして「大慶直胤と双璧」と称し、明らかに「父に優る上手」と記して躊躇しない。
その作は備前伝と相州伝に分かれ、説明書は両者の差に異例なほど率直である。備前伝が遥かに優れて傑作を擁し、相州伝、すなわち沸出来の大乱れには「感服する程の作はなく」[[c:1]]とする。備前伝こそ彼の知られた手であり、その指定の記録の背骨である。つんだ小板目に丁子乱れを焼き、足長くさかんに入り葉を交え、匂深く小沸のよくつき、帽子は乱れ込んで小丸に結ぶ。機械的にではなく巧みに焼き、最上の作では丁子が凝って重花丁子・小丁子・互の目に密集し焼頭が押し合うまでになる。その華やかな密集を、説明書は『新刀銘集録』の語を引いて「丁子乱レ八重桜ノ如ク重リ」[[c:2]]と記す。
地鉄は、その華やかな刃を焼く制御された精錬な新々刀の地である。説明書はつんだ小板目に地沸つき、最上の作では地沸微塵に厚く地景のよく入り、時に無地風となると記す。古備前の肌立つ板目とは遠い、意図して静かによく詰んだ鉄で、地の抑制が刃中の働きを引き立てる。説明書は刃そのものにも注意深い注釈を加える――その備前伝とても古作のような完全な匂出来ではなく、他の新々刀の備前伝と同じく小沸がつくものである。古備前の映りは彼の記録にはなく、その復興は古作の写しではなく沸と匂とで焼いたものである。刃中には長い金筋・細かな砂流しがかかり、最も幅広の作では焼幅を広く取り、丁子足が刃中で左右にひらく態を、極めはこの工の手くせと読む。
記録のうち最も内容に富むのは、後期の幅広・長寸・大鋒の作である。嘉永四年の刀は長寿劔の添銘を帯び、安政二年の一口は行年七十二才を茎に刻んで注文者の名を添える。いずれも刃は最も密で、重花丁子が焼頭の押し合うまでに凝り、足長く葉を交え、匂深く小沸つき、帽子は乱れ込んで掃きかける。説明書はこれらを代表的な備前伝の作とし、長大にもかかわらず頑健にして好ましく、その大きさにあっても「地刃に破綻が見られない」[[c:3]]とする。これに対して、極めが明確に下位に置く出来の半ば、相州伝の大乱れが立つ。記録はそこに傑作を図示せずに名を挙げるのみで、その対比こそ彼の読まれ方の一部をなす。最上の作は太刀姿よく地刃ともに見事で、説明書が「同作中傑出した」会心の作と呼ぶものである。
正秀門中で彼を際立たせるのは、その備前伝の固有の性格である。師の方針はあらゆる古伝の復興にあったが、正義は備前の丁子乱れを自らのものとして同時代の多くより遠くまで進め、位において最も近い大慶直胤はより広く古作の各伝に渡った。説明書は直胤との対比を作風ではなく位の――一門の双璧という――次元に保ち、作風の賞は丁子に向ける。角ばり気味の丁子の頭、焼頭が押し合うさま、ひらく丁子足は、いずれの古作の一型を借りたものでもなく彼自身の徴として挙げられ、復興全体と共有する備前伝の大枠ではなく、これらにこそ細川正義は識別される。
彼の作は五口が重要刀剣に指定され、うち四口は彼が常用した長銘と刻印を帯びる、その知られた記録の本体である。国宝も重要文化財もなく、それは作の新しい幕末の刀工に相応で、その位は古さや伝来ではなく備前伝の質に拠る。これらの刀に大名や寺社の伝来は記録されず、多くは個人の手にあって、一茎は江戸期の注文主の名を、もう一茎は長寿劔の号を伝える。蒐集家にとって彼は一流の新々刀の名の中でも比較的手の届く側に位置する。その指定作は少数が伝わり時に市場に現れ、内容のある丁子乱れの刀は一口の出現が画期となるが、鎌倉の傑作のように手の届かぬものではない。彼が差し出すのは、ほぼその頂点に近い江戸末期の備前伝であり、説明書がその任に応えると判じ、一門の最良の傍らに置いて憚らなかった匂深い丁子である。
正義の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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新々刀 · 武蔵
現在74点販売中
水心子正秀派は、十八世紀末から十九世紀初頭の江戸に興り、刀はすべて鎌倉の昔に復すべしとする復古刀運動を中核に据えた新々刀の一門である。開祖水心子正秀は、寛延三年に出羽国赤湯に川部儀八郎として生まれ[[c:1]]、武州下原の鍛冶吉英に学んだのち山形秋元家に仕え、のちに江戸浜町に移って約五十年に及ぶ作刀生活を送り、文政八年に七十六歳で歿した。彼は新々刀の祖と称され、古作の伝法を意図して甦らせることを唱えてその理論を世に広めたが、説明書は正秀自身の才のありかをむしろ壮年までの大坂写しに見いだす。この一門の物語で最も重きをなすのは、彼が江戸に糾合し育てた門人たちであろう。復古刀論を実地に示した第一の門人大慶直胤、二代正義細川守秀がその直下に立ち、さらに直胤の門から養子となった次郎太郎直勝、直胤の女婿と伝える水心子正次、正義の嫡子正守、米沢上杉家に仕えた長運斎綱俊、水戸藩工直江助政が連なって、出羽・江戸を中心に各藩へと広がった。 この一門を貫く共通の語法は、古刀各伝の意図的な復興にある。よく約んだ無地風に近い小板目に地沸を厚くつけ、その地の上に相州伝ののたれ・互の目、あるいは備前伝の丁子・互の目を焼くのが基調で、技術論的かつ教導的な性格がこれを支える。正秀の典型は津田助広に私淑した大坂写しの濤瀾乱れと井上真改風の広直刃にあり、地へこぼれる黒味がちの荒い沸が終始の手癖をなした。これに対して門人たちは古備前への遡りをいっそう深め、新々刀には本来失われた映りを意図して甦らせた。直胤はよくつんだ小板目に乱れ映りを鮮明に立て、後期長船の逆がかりを示す丁子乱れを焼いてこれを得意とし、説明書はその丁子乱れの巧みさを新々刀第一と評する。直勝は兼光に範をとった片落ち互の目を主体に、直胤よりも豪壮な姿と低く静かな焼きで古調を醸し、正次と正守はともに直胤・正義の二伝を忠実に承けて相州伝と備前伝を均しく再現し、綱俊は丁子に互の目を交えた備前伝を主調とした。一方で正秀みずからの備前伝・相州伝は終始焼刃が浅く荒い沸を交え、説明書はその技が門人直胤に及ばないと明記する。差異は資料の支持する範囲で明瞭で、直胤の備前・相州の両伝、直勝の長船写しに見る逆がかりと大杢目、助政の真改風直刃に偏した作域がそれぞれを分かつ。 鑑定の勘所は、まずこの意図的な映りと逆がかりに置かれる。明るい乱れ映りと角互の目を伴う逆がかりの丁子は、映りも逆がかりも持たぬ一般の新々刀から備前伝を分かち、相州伝は独特の渦巻肌と叢づき縞がかる沸の働きによって示される。位列としては正秀を上々作、直胤を最上作の在銘の大名跡とし、正義に次ぐ正守、綱俊、助政らがこれに続く。この一門は在銘・有年紀の作を数多く遺したため、その鑑定の問題は極めの難ではなくむしろ系統内の位置にあり、年ごとに変化する銘がその発展を正確に辿らせる。伝来は真田家伝来の大小や皇室に伝わった御太刀の副作、各藩工としての藩命作にうかがわれ、正秀が向き直らせた江戸の作刀は直胤を介して直勝・正次らへ受け継がれ、兼光・景光をねらった長船復古として幕末の十九世紀作刀に広く及んだ。 詳しく見る →
新々刀 復古の運動
1800年前後、水心子正秀は著述をもって、鍛刀は古作の法に立ち返るべしと説いた。復古刀の運動である。最大の後継者直胤は、数百年絶えていた備前伝と相州伝を確信をもって再現した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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