説明

鞘書: 越中松倉郷義弘 大磨上無銘而同工作ト傳フ細身・小鋒ノ姿態ヲ見セ反猶高ク地沸厚ク地景入ル肌合ニ直刃小乱ヲ焼キ沸厚ク煌メキ金筋頻リニ絡ミ砂流・湯走カゝリ相州傳上工ノ特味ヲ顕現シ就中地刃ノ冴エヤ一枚帽子ヲ勘案スレバ同工ノ所傳ハ首肯サレル優品也 刃⻑壹尺七寸八分半惟時乙⺒暦弥生探山識「花押」 越中松倉郷義弘 本作は、大磨上無銘ながら郷義弘の作と伝承される一振りです。 身幅細く小鋒となる優美な姿態を見せ、反りなお高く、地肌は地沸厚くつき地景が入り、精緻な肌合を呈します。 刃文は直刃に小乱れを焼き、沸厚く煌めき、金筋しきりに絡んで砂流し、湯走りかかるなど、相州伝上工の特色を顕著に示しています。 とりわけ地刃の冴えや一枚帽子となる点などを勘案すれば、同工との伝承も首肯される優品といえます。 刃長:一尺七寸八分半(約54.1cm) 乙巳(令和七年)三月 探山(田野辺道宏)識 + 花押

Go Yoshihiro wakizashi
Tokuho

Go Yoshihiro wakizashi

脇差

価格はお問い合わせ

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

54.1 cm

作者について

Gō Yoshihiro義弘

2 国宝6 重要文化財5 重要美術品14 特別重要刀剣28 重要刀剣

郷とは越中国松倉郷に住した義弘のことで、「正宗十哲の一人として名高い」。貞宗同様に在銘の確実作を遺さず、現存するものは悉く大磨上無銘の極めであり、その作風と、これを蔵した大名家を通してのみ知られる工である。時代は鎌倉時代最末期から南北朝時代初期にあたり、正宗が大成した相州伝が越中へ西漸した頃に位置づけられる。姿は身幅尋常ないし広め、元先の幅差さまで開かず、反り浅く、中鋒延びごころに結ぶものが多く、大磨上無銘ながら堂々たる体配を示す。 鍛えは板目に杢・流れ肌を交えて肌立ちごころとなり、処々強く柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って、かねは明るく冴える。刃文はおおどかなのたれを主調に小のたれ・互の目を交え、足・葉入り、匂深く沸厚くつき、物打辺りで一段と刃中の働きを見せ、金筋・砂流しがさかんにかかって、匂口明るく冴える。正宗・則重に比べると地景・金筋はむしろ穏やかであるが、刃中に沸足がよく働き、「地刃が一段と明るく冴え」、肌合に柾ごころを交えるところに同工の見どころがある。 帽子こそ郷の最も郷たる所で、日刀保はこれをこの工の大きな特徴と明記する。すなわち「帽子を一枚風に深く焼くのも大きな特徴とされる」。ある特別重要刀剣の刀は「帽子焼深く一枚となり、総体に沸崩れ風となって掃きかける」と記し、焼きが深く一枚風に締まって掃きかけ、返るところは穏やかな小丸となって、返りの長く流れるものもある。掃きかけと一枚風の深い焼きこそが見どころであって、小丸のみを以てこの工とするのは誤りである。鑑別の要は地刃の冴えにあり、その明るさが正宗その人とも、また肌立って松皮肌の勝る則重とも分かつ。藤代は最上作に列し、相州の諸工中でも至高に位置づけられる。 在銘なく遺品も少ないため、郷は最も得難い名の一つである。大久保江・兜切り江をはじめとする名物は大名家の歴史を伝え、大久保江は本阿弥の金象嵌極めを帯びて小田原大久保家に伝わり、兜切り江は水野家の旧蔵である。宇和島伊達家には台徳院(徳川秀忠)より初代藩主に下賜された一口が重宝として伝わり、ほかに前田家などの諸家を歴とする。第一級の極めに値すると判じられた一刀に接すること、それが郷に接するということである。

刀剣商

Nihon Art

nihonart.com

価格はお問い合わせ

Nihon Artで見る