Ordering number:F26200Kozuka: Kake-mamori(NBTHK Hozon Tosogu)Signature:Horie Okinari(written seal mark) 堀江興成(花押)Gyonen Rokuju-san sai 行年六十三才 (age of 63)Dimension: 21.3 cm × 1.16 cm (8.39 in × 0.46 in)Era: the Edo periodFeatures:The design depicts a kake-mamori in high relief on a shakudō nanako ground. A kake-mamori was an amulet worn around the neck by noblewomen and children during the Heian and Kamakura periods.Horie Okishige was a late Edo-period metalsmith who studied under the 2nd-generation Hamano Masayuki and Ōmori Teruhide, and served as an official craftsman to the Hachisuka family. This work is distinguished by its elegant design and the superb quality of its delicately executed carving.In Kiri BoxNBTHK Hozon CertificateAoi Art estimation paperPrice: 250,000 JPY-Order FormRelated Items:Kogai:Mumei(Unsigned)(Ko-goto)(22th Juyo Tosogu)Kogai : Mumei(Unsigned)Kogai: Mumei(Unsigned)Kogai: Mumei(Unsigned)Kogai: Hohoshi Yoshitoshi Koku (Kin-in)(Consignment Sale)
Certificate reading — 銘 堀江興成(花押) 行年六十三才
在銘 · act. Meiwa–Tenmei (c. 1770s-80s)


堀江興成
act. Meiwa–Tenmei (c. 1770s-80s)
在銘
保存 (NBTHK)
町彫
現在1点販売中
堀江興成は、はじめ浜野政隨に学び、益隨と称したが、明和六年、二十歳代の時に師政隨の死にあい、その後、改めて大森英秀の門に入った。そして師家の一字を許されて英俊と改めたが、後藤系の尾崎直政の弟子分ともなり、独立後は興成と名乗ったという。後に阿波蜂須賀家の抱え工となり、一門の子弟を多く養成している。活動期は江戸時代中期から後期にかけてと見られる。
作風は、赤銅魚子地を高彫、色絵、象嵌で飾る作が多い。総じて後藤風の格調高い作風を基調とするが、町彫の斬新さも加味されている点が特徴である。金無垢を用いた目貫も手掛けており、容彫で意匠を凝らした作例が見られる。また、金と赤銅の魚子地を割継ぎにするなど、洒落た造形を見せる作もある。大小鐔においては、赤銅磨地に高彫色絵、象嵌の彫法で濃艷細緻に物語の一場面を表現している。
堀江興成の作は、後藤風の格調高さに加え、浜野派や石黒派の技法も取り入れ、その全能力を傾けたものが認められる。高彫色絵裏哺金の彫法を駆使し、図取り、肉置きに斬新さが加味された作は、調和の中に雅びな趣が湛えられていると評される。晩年の作では、後藤家の作風を模しながらも、その技量には見るべきものがあるとされる。阿波蜂須賀家の抱え工として、一門の子弟を多く養成した点も特筆される。
堀江興成の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在16点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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Ordering number:F26200Kozuka: Kake-mamori(NBTHK Hozon Tosogu)Signature:Horie Okinari(written seal mark) 堀江興成(花押)Gyonen Rokuju-san sai 行年六十三才 (age of 63)Dimension: 21.3 cm × 1.16 cm (8.39 in × 0.46 in)Era: the Edo periodFeatures:The design depicts a kake-mamori in high relief on a shakudō nanako ground. A kake-mamori was an amulet worn around the neck by noblewomen and children during the Heian and Kamakura periods.Horie Okishige was a late Edo-period metalsmith who studied under the 2nd-generation Hamano Masayuki and Ōmori Teruhide, and served as an official craftsman to the Hachisuka family. This work is distinguished by its elegant design and the superb quality of its delicately executed carving.In Kiri BoxNBTHK Hozon CertificateAoi Art estimation paperPrice: 250,000 JPY-Order FormRelated Items:Kogai:Mumei(Unsigned)(Ko-goto)(22th Juyo Tosogu)Kogai : Mumei(Unsigned)Kogai: Mumei(Unsigned)Kogai: Mumei(Unsigned)Kogai: Hohoshi Yoshitoshi Koku (Kin-in)(Consignment Sale)
Certificate reading — 銘 堀江興成(花押) 行年六十三才
在銘 · act. Meiwa–Tenmei (c. 1770s-80s)


堀江興成
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在銘
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町彫
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堀江興成は、はじめ浜野政隨に学び、益隨と称したが、明和六年、二十歳代の時に師政隨の死にあい、その後、改めて大森英秀の門に入った。そして師家の一字を許されて英俊と改めたが、後藤系の尾崎直政の弟子分ともなり、独立後は興成と名乗ったという。後に阿波蜂須賀家の抱え工となり、一門の子弟を多く養成している。活動期は江戸時代中期から後期にかけてと見られる。
作風は、赤銅魚子地を高彫、色絵、象嵌で飾る作が多い。総じて後藤風の格調高い作風を基調とするが、町彫の斬新さも加味されている点が特徴である。金無垢を用いた目貫も手掛けており、容彫で意匠を凝らした作例が見られる。また、金と赤銅の魚子地を割継ぎにするなど、洒落た造形を見せる作もある。大小鐔においては、赤銅磨地に高彫色絵、象嵌の彫法で濃艷細緻に物語の一場面を表現している。
堀江興成の作は、後藤風の格調高さに加え、浜野派や石黒派の技法も取り入れ、その全能力を傾けたものが認められる。高彫色絵裏哺金の彫法を駆使し、図取り、肉置きに斬新さが加味された作は、調和の中に雅びな趣が湛えられていると評される。晩年の作では、後藤家の作風を模しながらも、その技量には見るべきものがあるとされる。阿波蜂須賀家の抱え工として、一門の子弟を多く養成した点も特筆される。
堀江興成の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
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大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。