説明

Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 小舟の舳先で篝火を焚き�、鵜を使って鮎漁をする鵜飼漁は夏の風物詩。仄明るい四分一地に高彫で近景の篝火、小舟、鵜、芦を、遠景は毛彫に色絵の技法で表現している。波も同様に高彫、毛彫を巧みに配し奥行きと流れの緩急を演出している。夜空の夏の風物詩といえば、年に一度、晴れた七夕の夜に天の川での逢瀬が叶う牽牛・織女の七夕伝説であろう。新暦の七月七日は梅雨真っ盛りだが旧暦であれば晴れた日が多い。それでも雨が降ってしまった時は、鵲が互いの翼を繋げて橋を造り二人の逢瀬を助けるのだという。日本ではあまり馴染みのない話であろう。働きづめの二人に対する憐みの気持ちから生まれた中国の民間伝承である。本作では、沸き起こる雲の間に懸けられた橋上の番の鵲が牽牛・織女を表しているのであろう。四分一地に浮かび上がる赤銅地高彫は際端が引き絞られて立体的。羽毛は細かい毛彫、目は金の露象嵌で愛らしい様子をしている。堀江興成は、浜野政隨家、大森家に学び、また、交友のあった尾崎直政から後藤家の彫法を学んだ。独立後、阿波蜂須賀家の抱工となった優工である。

七夕(鵜飼・鵲橋)図縁頭 銘 堀江興成花押
売切れ
Tokuho売切れ

七夕(鵜飼・鵲橋)図縁頭 銘 堀江興成花押

縁頭

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

作者について

Omori Horie Okinari堀江興成

7 重要刀剣

堀江興成は、はじめ浜野政隨に学び、益隨と称したが、明和六年、二十歳代の時に師政隨の死にあい、その後、改めて大森英秀の門に入った。そして師家の一字を許されて英俊と改めたが、後藤系の尾崎直政の弟子分ともなり、独立後は興成と名乗ったという。後に阿波蜂須賀家の抱え工となり、一門の子弟を多く養成している。活動期は江戸時代中期から後期にかけてと見られる。 作風は、赤銅魚子地を高彫、色絵、象嵌で飾る作が多い。総じて後藤風の格調高い作風を基調とするが、町彫の斬新さも加味されている点が特徴である。金無垢を用いた目貫も手掛けており、容彫で意匠を凝らした作例が見られる。また、金と赤銅の魚子地を割継ぎにするなど、洒落た造形を見せる作もある。大小鐔においては、赤銅磨地に高彫色絵、象嵌の彫法で濃艷細緻に物語の一場面を表現している。 堀江興成の作は、後藤風の格調高さに加え、浜野派や石黒派の技法も取り入れ、その全能力を傾けたものが認められる。高彫色絵裏哺金の彫法を駆使し、図取り、肉置きに斬新さが加味された作は、調和の中に雅びな趣が湛えられていると評される。晩年の作では、後藤家の作風を模しながらも、その技量には見るべきものがあるとされる。阿波蜂須賀家の抱え工として、一門の子弟を多く養成した点も特筆される。

刀剣商

銀座長州屋

ginza.choshuya.co.jp

売切れ