大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
番号:25227 脇差:白鞘、拵え付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(手掻包俊) 中古刀:和泉守:上作:大和 当社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は無銘(手掻包俊)と極められた作品の中で、上々作にランクされる逸品です。 ハバキ:金箔一重ハバキ 長さ:54.6 cm (1尺8寸0分) 反り:1.2 cm (3分9厘) 目釘穴:2個 元幅:2.59 cm 先幅:1.89 cm 重ね:0.60 cm 刀身重量:475 g 形状:大磨上無銘。身幅、重ね共に標準的で、棒樋を掻き通し、大切っ先となる。 地鉄:地沸よくつき、地景入り、精良で明るく冴えた地鉄となる。 刃文:匂口の締まった直刃調に小足が入り、二重刃がかるなど働きが豊富。 帽子:掃き掛けとなる。 大和伝の特色がよく表れた、美しく緻密な鍛えの一振りです。 特徴:手掻包俊は大和手掻派の刀工で、手掻包広の門人と伝わります。 初代は南北朝時代の永徳頃(1381〜1384年頃)に活躍したとされています。 拵: 鍔:変形鉄地鍔に、紗綾形模様を金象嵌で施す。銘:良久。 縁:銀地に龍と波の図を高彫りする。銘:藤井義敬。 頭:角。 鞘:黒呂色塗鞘に斜め刻みを施す。 目貫:赤銅魚子地に桐紋を金色長金で表す。 葵美術正真鑑定書:室町時代中期(1452年頃) 地鉄が非常に精緻で、見事な鍛えを見せております。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 葵美術評価鑑定書:全身押し形 ※価格に送料は含まれません。 販売価格:750,000円 注文フォーム 関連商品: 脇差:奥大和守平朝臣元平 寛政十二年申秋(NBTHK)







Tegai (Yamato) · 大和 · 1381-1384頃
現在1点販売中
指表に喰違いの櫃中、倶利迦羅を浮彫にし、裏に護摩箸を切る短刀一口が仙台伊達家に伝来し、剣槍の秘録たる『剣槍秘録』に所載される。これが包俊の二字銘を切る四口の在銘作のうち最もよく来歴の知られるものである。包俊は大和手掻派の刀工で、説明書は手掻派を東大寺に従属していた鍛冶集団とし、大和五派の中でも最も規模の大きな流派とする。その祖は年代を鎌倉時代後期の正応頃と伝える包永であり、以後南北朝時代、さらに室町時代に亘って栄えた。銘鑑は包俊の名を初代包永の初銘という弘安頃のものを筆頭に挙げ、以降南北朝・室町期に亘ってその名跡が継承されたとする。現存の在銘作はいずれも小ぶりの短刀で、応永を下らぬものと読まれ、説明書はその佳作を包俊の特色をよくあらわす作とする。
本工の手はまず地鉄が柾がかるところにある。鍛えは板目、しばしばつんだ小板目で、流れて柾がかり、地沸細かに厚くつき、棟寄りに淡く白け映りが立つ。説明書はこの白気こそ、この時代の手掻を鎌倉時代の大和の作と分ける見どころとする。その地の上におだやかで浅い直刃を焼き、決して無地のまま残さない。刃縁にほつれ、小足入り、小沸つき、砂流し細かにかかり、匂口明るく冴えて、やや沈みごころとなる。説明書はこれを「沈みごころの匂口など手掻派の見どころ」[[c:1]]と記す。帽子は直ぐに小丸、返りやや長く、先掃きかけるものもある。姿は三ッ棟・内反りの尋常な平造短刀で、重ねやや厚い。
地鉄こそより雄弁な半ばである。重要六十二回の短刀は小板目つみ、地沸微塵に厚くつき地景細かに入り、鉄色明るくよく錬れ、棟寄りに白け状の映りが立ち、刃寄りに直ぐ状となる。説明書はこれを「地刃に応永頃の手掻派の典型的作風を現わしている」[[c:2]]とする。ここに淡く立つ映りは備前の意図された映りではなく、流れて柾がかる大和の地鉄の自然の反映であり、小ぶりの作には明瞭な帯ではなく白け状の地合いとして現れる。この地に対して直刃は規律を保つが、働きが決してそれを鎮めない。重要十一回の短刀は広直刃調が浅く濡れて小沸・砂流しを交え、重要五十三回の作は物打辺より二重刃風となって下半に小足入り、匂口明るく冴え、説明書はこれを「包俊の特色をよくあらわして、出来がよい」[[c:3]]とする。
四口の短刀は応永頃の手掻の一手を二つの register に分かつ。いずれにも通じる背骨は、柾がかる板目に焼いた細直刃、白け映り、ほつれ、そして小丸の帽子という、この派の読まれ方である。うち二口は、おだやかな直刃に収まらない働きを焼刃に持つ。重要五十三回の短刀は物打辺に二重刃ごころを示し、彫物に喰違いの菖蒲樋と素剣を切り、重要六十二回の作は区際より焼出して直刃調に小互の目を交え、刃縁処々ほつれ、帽子は乱れ込んで表やや角がかり裏は先尖りごころとなり、指表に倶利迦羅の浮彫を伴う。説明書は包俊の有銘作が少ないことを「有銘は少い」と記し、室町中期以後の同名の工はより匂がちとなり地鉄に映りの立つものなどがあるとして、これら応永頃の明るく冴えた直刃の作を、この名のより佳き、より上る作域とする。
本工を位置づけるものは、その作刀によく示される。重要十回の説明はこれらの短刀をいわゆる山城物写しと見、寸法がやや延びること、地がねの白けること、互の目が処々に交ること、帽子の返りがやや品位に乏しいことの四点を、鎌倉時代の作と異なる点とする。これらこそ、応永頃の手掻の短刀を古い大和の作から分かつ目印である。柾がかる地に白け映り、ほつれと折々の二重刃を交えた直刃、返りの長い小丸帽子という本工自身の見どころが、借りた対比によらずその作を手掻の系譜の中に据える。説明書は本工を他派ではなく自派の標準で量り、手掻物でこの時代にこれだけ出来の優れた短刀は稀であるとして、「手搔物で、これだけ出来の優れたこの時代の短刀は稀である」[[c:4]]とし、その健やかな一口を「手搔物研究上の好参考品である」[[c:5]]と賞する。
包俊は最上位ではなく重要刀剣の位に全て収まる。記録は重要四口を数え、国宝・重要文化財はなく、指定の度合いは古刀の名の中で中程である。四口はいずれも生ぶで二字銘を切り、これほど記録の薄い工にとってはそれ自体が値であって、説明書も有銘作の少なさを記す。仙台伊達家伝来で『剣槍秘録』に所載される重要六十二回の短刀を、説明書は「地刃共に頗る健全で、表裏の彫物も見事である」[[c:6]]とし、重要十一回の作を「健全で出来がよい」[[c:7]]とする。記録の作にこのほかの大名家伝来はなく、現所蔵の機関も記録になく、大美術館ではなく私蔵と指定の手に伝わる工と見るのが正直なところである。蒐集家にとってこれは、在銘の手掻包俊が古い大和の短刀の中でも出会いの稀な部類であることを意味する。指定の四口は時を待ってのみ折々に現れ、いずれも規模ではなく、最も規模の大きな大和の一派の応永頃の作域を知る基準点として貴ばれる。
包俊の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
時期区分: 古手掻· 1200–1394
現在36点販売中
古手掻は、大和五派の一つ手掻派の初期にあたる作風期であり、その時代は鎌倉時代後期から南北朝期に及ぶ。手掻は転害とも書き、東大寺の西の正面である転害門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があると伝える。同派は東大寺に隷属していたものと推察され、大和鍛冶と寺院との密接な関係を背景に栄えた、大和五派中でも最も規模の大きな流派である。その祖は包永で、銘鑑では年代を鎌倉時代後期の正応頃と伝えるが、包永二代の子あるいは弟子と伝える包清に嘉暦四年紀の作が存することや、作風・造込みからして、さらに時代の遡るものとも考えられる。包永の在銘の太刀は大和物の中では比較的多く現存するが、その多くは茎先に二字銘を遺す磨上の状態のものである。以降同銘数代が継承し、子と伝える包次には文保元年や暦応三年などの年紀作があり、ほかに包清・包眞・包俊といった工が名を連ねる。作例は南北朝期から室町期に至るまで及んでいる。 作風は大和伝の本領をよく示す。地鉄は板目に杢を交え、総体に流れて柾がかり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入り、かねが冴える。刃文は直刃を主調とし、極く浅くのたれごころを帯びて、小互の目・小丁子・小のたれなどを交え、小足が入り、匂深く小沸がよく厚くつく。刃縁にはほつれ・打のけ・二重刃・喰違刃・湯走りなどが現われ、金筋・砂流しが頻りにかかる。帽子は直ぐに掃きかけて焼詰めるものが多く、ままのたれ込んで小丸となるものもある。姿は鎬造、庵棟に、鎬幅が広く鎬が高い大和物特有の造込みを呈し、初期には腰反り高く中鋒の凜然たる太刀姿を見せ、南北朝期には元先の幅差が開かず中鋒の延びた、肌立ちの強い造込みへと移る。とりわけ古手掻、なかでも包永の作は、大和物の中で最も沸が強く、つぶらで輝きのある美しい荒めの沸を随処に交え、匂口明るく地刃ともによく冴えるところに特色がある。 包永は大和手掻派の筆頭と位置づけられ、その地刃の明るさと沸の美しさは相州上工に匹敵するとまで評される。名物「児手柏包永」に代表されるごとく、表裏の刃文を異にする変化のある作のあることも特筆される。無銘の優品については、通常の手掻極め以上に直刃の刃取りに出入りと変化が目立ち、一際光美しい荒めの刃沸が零れて明るく冴え渡るところより、特に包永の個銘極めが妥当と判断されてきた。伝来の点でも、徳川将軍家より酒井家・水野家などへ拝領された品が伝わり、本多忠刻(忠為)の金象嵌所持銘を遺す一口も知られるなど、武家の重宝として尊ばれた。古手掻は、大和の柾がかった板目と渋味ある沸出来の直刃のうちに格調の高さを湛え、後代へとその作風を伝えた、手掻派の典型を成す作風期である。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
番号:25227 脇差:白鞘、拵え付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(手掻包俊) 中古刀:和泉守:上作:大和 当社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は無銘(手掻包俊)と極められた作品の中で、上々作にランクされる逸品です。 ハバキ:金箔一重ハバキ 長さ:54.6 cm (1尺8寸0分) 反り:1.2 cm (3分9厘) 目釘穴:2個 元幅:2.59 cm 先幅:1.89 cm 重ね:0.60 cm 刀身重量:475 g 形状:大磨上無銘。身幅、重ね共に標準的で、棒樋を掻き通し、大切っ先となる。 地鉄:地沸よくつき、地景入り、精良で明るく冴えた地鉄となる。 刃文:匂口の締まった直刃調に小足が入り、二重刃がかるなど働きが豊富。 帽子:掃き掛けとなる。 大和伝の特色がよく表れた、美しく緻密な鍛えの一振りです。 特徴:手掻包俊は大和手掻派の刀工で、手掻包広の門人と伝わります。 初代は南北朝時代の永徳頃(1381〜1384年頃)に活躍したとされています。 拵: 鍔:変形鉄地鍔に、紗綾形模様を金象嵌で施す。銘:良久。 縁:銀地に龍と波の図を高彫りする。銘:藤井義敬。 頭:角。 鞘:黒呂色塗鞘に斜め刻みを施す。 目貫:赤銅魚子地に桐紋を金色長金で表す。 葵美術正真鑑定書:室町時代中期(1452年頃) 地鉄が非常に精緻で、見事な鍛えを見せております。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 葵美術評価鑑定書:全身押し形 ※価格に送料は含まれません。 販売価格:750,000円 注文フォーム 関連商品: 脇差:奥大和守平朝臣元平 寛政十二年申秋(NBTHK)







Tegai (Yamato) · 大和 · 1381-1384頃
現在1点販売中
指表に喰違いの櫃中、倶利迦羅を浮彫にし、裏に護摩箸を切る短刀一口が仙台伊達家に伝来し、剣槍の秘録たる『剣槍秘録』に所載される。これが包俊の二字銘を切る四口の在銘作のうち最もよく来歴の知られるものである。包俊は大和手掻派の刀工で、説明書は手掻派を東大寺に従属していた鍛冶集団とし、大和五派の中でも最も規模の大きな流派とする。その祖は年代を鎌倉時代後期の正応頃と伝える包永であり、以後南北朝時代、さらに室町時代に亘って栄えた。銘鑑は包俊の名を初代包永の初銘という弘安頃のものを筆頭に挙げ、以降南北朝・室町期に亘ってその名跡が継承されたとする。現存の在銘作はいずれも小ぶりの短刀で、応永を下らぬものと読まれ、説明書はその佳作を包俊の特色をよくあらわす作とする。
本工の手はまず地鉄が柾がかるところにある。鍛えは板目、しばしばつんだ小板目で、流れて柾がかり、地沸細かに厚くつき、棟寄りに淡く白け映りが立つ。説明書はこの白気こそ、この時代の手掻を鎌倉時代の大和の作と分ける見どころとする。その地の上におだやかで浅い直刃を焼き、決して無地のまま残さない。刃縁にほつれ、小足入り、小沸つき、砂流し細かにかかり、匂口明るく冴えて、やや沈みごころとなる。説明書はこれを「沈みごころの匂口など手掻派の見どころ」[[c:1]]と記す。帽子は直ぐに小丸、返りやや長く、先掃きかけるものもある。姿は三ッ棟・内反りの尋常な平造短刀で、重ねやや厚い。
地鉄こそより雄弁な半ばである。重要六十二回の短刀は小板目つみ、地沸微塵に厚くつき地景細かに入り、鉄色明るくよく錬れ、棟寄りに白け状の映りが立ち、刃寄りに直ぐ状となる。説明書はこれを「地刃に応永頃の手掻派の典型的作風を現わしている」[[c:2]]とする。ここに淡く立つ映りは備前の意図された映りではなく、流れて柾がかる大和の地鉄の自然の反映であり、小ぶりの作には明瞭な帯ではなく白け状の地合いとして現れる。この地に対して直刃は規律を保つが、働きが決してそれを鎮めない。重要十一回の短刀は広直刃調が浅く濡れて小沸・砂流しを交え、重要五十三回の作は物打辺より二重刃風となって下半に小足入り、匂口明るく冴え、説明書はこれを「包俊の特色をよくあらわして、出来がよい」[[c:3]]とする。
四口の短刀は応永頃の手掻の一手を二つの register に分かつ。いずれにも通じる背骨は、柾がかる板目に焼いた細直刃、白け映り、ほつれ、そして小丸の帽子という、この派の読まれ方である。うち二口は、おだやかな直刃に収まらない働きを焼刃に持つ。重要五十三回の短刀は物打辺に二重刃ごころを示し、彫物に喰違いの菖蒲樋と素剣を切り、重要六十二回の作は区際より焼出して直刃調に小互の目を交え、刃縁処々ほつれ、帽子は乱れ込んで表やや角がかり裏は先尖りごころとなり、指表に倶利迦羅の浮彫を伴う。説明書は包俊の有銘作が少ないことを「有銘は少い」と記し、室町中期以後の同名の工はより匂がちとなり地鉄に映りの立つものなどがあるとして、これら応永頃の明るく冴えた直刃の作を、この名のより佳き、より上る作域とする。
本工を位置づけるものは、その作刀によく示される。重要十回の説明はこれらの短刀をいわゆる山城物写しと見、寸法がやや延びること、地がねの白けること、互の目が処々に交ること、帽子の返りがやや品位に乏しいことの四点を、鎌倉時代の作と異なる点とする。これらこそ、応永頃の手掻の短刀を古い大和の作から分かつ目印である。柾がかる地に白け映り、ほつれと折々の二重刃を交えた直刃、返りの長い小丸帽子という本工自身の見どころが、借りた対比によらずその作を手掻の系譜の中に据える。説明書は本工を他派ではなく自派の標準で量り、手掻物でこの時代にこれだけ出来の優れた短刀は稀であるとして、「手搔物で、これだけ出来の優れたこの時代の短刀は稀である」[[c:4]]とし、その健やかな一口を「手搔物研究上の好参考品である」[[c:5]]と賞する。
包俊は最上位ではなく重要刀剣の位に全て収まる。記録は重要四口を数え、国宝・重要文化財はなく、指定の度合いは古刀の名の中で中程である。四口はいずれも生ぶで二字銘を切り、これほど記録の薄い工にとってはそれ自体が値であって、説明書も有銘作の少なさを記す。仙台伊達家伝来で『剣槍秘録』に所載される重要六十二回の短刀を、説明書は「地刃共に頗る健全で、表裏の彫物も見事である」[[c:6]]とし、重要十一回の作を「健全で出来がよい」[[c:7]]とする。記録の作にこのほかの大名家伝来はなく、現所蔵の機関も記録になく、大美術館ではなく私蔵と指定の手に伝わる工と見るのが正直なところである。蒐集家にとってこれは、在銘の手掻包俊が古い大和の短刀の中でも出会いの稀な部類であることを意味する。指定の四口は時を待ってのみ折々に現れ、いずれも規模ではなく、最も規模の大きな大和の一派の応永頃の作域を知る基準点として貴ばれる。
包俊の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
時期区分: 古手掻· 1200–1394
現在36点販売中
古手掻は、大和五派の一つ手掻派の初期にあたる作風期であり、その時代は鎌倉時代後期から南北朝期に及ぶ。手掻は転害とも書き、東大寺の西の正面である転害門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があると伝える。同派は東大寺に隷属していたものと推察され、大和鍛冶と寺院との密接な関係を背景に栄えた、大和五派中でも最も規模の大きな流派である。その祖は包永で、銘鑑では年代を鎌倉時代後期の正応頃と伝えるが、包永二代の子あるいは弟子と伝える包清に嘉暦四年紀の作が存することや、作風・造込みからして、さらに時代の遡るものとも考えられる。包永の在銘の太刀は大和物の中では比較的多く現存するが、その多くは茎先に二字銘を遺す磨上の状態のものである。以降同銘数代が継承し、子と伝える包次には文保元年や暦応三年などの年紀作があり、ほかに包清・包眞・包俊といった工が名を連ねる。作例は南北朝期から室町期に至るまで及んでいる。 作風は大和伝の本領をよく示す。地鉄は板目に杢を交え、総体に流れて柾がかり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入り、かねが冴える。刃文は直刃を主調とし、極く浅くのたれごころを帯びて、小互の目・小丁子・小のたれなどを交え、小足が入り、匂深く小沸がよく厚くつく。刃縁にはほつれ・打のけ・二重刃・喰違刃・湯走りなどが現われ、金筋・砂流しが頻りにかかる。帽子は直ぐに掃きかけて焼詰めるものが多く、ままのたれ込んで小丸となるものもある。姿は鎬造、庵棟に、鎬幅が広く鎬が高い大和物特有の造込みを呈し、初期には腰反り高く中鋒の凜然たる太刀姿を見せ、南北朝期には元先の幅差が開かず中鋒の延びた、肌立ちの強い造込みへと移る。とりわけ古手掻、なかでも包永の作は、大和物の中で最も沸が強く、つぶらで輝きのある美しい荒めの沸を随処に交え、匂口明るく地刃ともによく冴えるところに特色がある。 包永は大和手掻派の筆頭と位置づけられ、その地刃の明るさと沸の美しさは相州上工に匹敵するとまで評される。名物「児手柏包永」に代表されるごとく、表裏の刃文を異にする変化のある作のあることも特筆される。無銘の優品については、通常の手掻極め以上に直刃の刃取りに出入りと変化が目立ち、一際光美しい荒めの刃沸が零れて明るく冴え渡るところより、特に包永の個銘極めが妥当と判断されてきた。伝来の点でも、徳川将軍家より酒井家・水野家などへ拝領された品が伝わり、本多忠刻(忠為)の金象嵌所持銘を遺す一口も知られるなど、武家の重宝として尊ばれた。古手掻は、大和の柾がかった板目と渋味ある沸出来の直刃のうちに格調の高さを湛え、後代へとその作風を伝えた、手掻派の典型を成す作風期である。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。