大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
大和手掻(第53回重要刀剣) JT0018 第五十三回重要刀剣に指定された、正に圧巻と呼ぶに相応しい大和手掻の大磨上無銘の刀です。本作の真価は、実際に手に取ってご覧いただくことで初めて深く理解いただけるものと確信しております。 長さ:二尺二寸一分(67.0cm) 反り: 刃文は中直刃調に乱れを交え、刃沸明るく冴え、小沸、荒沸が厚く付き、砂流し、二重刃、小一重刃、金筋など、刃中の働きが極めて豊富です。 地鉄は潤いのある柾目肌に板目が交じり、小沸付き、地景入る。また、僅かに乱れた棒映りが鮮明に現れています。 研ぎの状態も新しく、金着二重裏白(二重)金箔瓦振ハバキが付属。田野辺道宏先生による「珍々重々」との揮毫を含む鞘書があり、本作の出来映えの素晴らしさと資料的価値の高さが強調されています。 ・僅かに乱れる棒映り ・板目に柾目交じり、地景入る ・小一重刃、砂流し ・小一重刃、二重刃かかる
大摺上の刀で、 手掻派の作と鑑せられるものである。大和鍛冶と寺院の関係は密接で、手搔は輾害とも書き、東大寺の西の正面である輾害 門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があるという。 手掻派の祖は包永で、年代は鎌倉時代後期の正応頃と伝え、以降同派は南北朝 期、さらに室町時代に亘って繁栄した。 この刀は、板目に流れごころの肌が交じった鍛えに、地沸が厚くつき、細かな地景が頻りに入り、刃文は直刃を焼いて、小沸がよくつき、処々 荒めの沸がむらづき、刃縁ほつれて、打のけ・湯走り・二重刃・砂流し等の景色が加わり、地刃共に明るく冴えるなど、大和気質が顕現されて おり、大和五派中でもいかにも手搔と鑑せられるものである。 地刃共に健体であることも好ましい。
















大摺上の刀で、 手掻派の作と鑑せられるものである。大和鍛冶と寺院の関係は密接で、手搔は輾害とも書き、東大寺の西の正面である輾害 門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があるという。 手掻派の祖は包永で、年代は鎌倉時代後期の正応頃と伝え、以降同派は南北朝 期、さらに室町時代に亘って繁栄した。 この刀は、板目に流れごころの肌が交じった鍛えに、地沸が厚くつき、細かな地景が頻りに入り、刃文は直刃を焼いて、小沸がよくつき、処々 荒めの沸がむらづき、刃縁ほつれて、打のけ・湯走り・二重刃・砂流し等の景色が加わり、地刃共に明るく冴えるなど、大和気質が顕現されて おり、大和五派中でもいかにも手搔と鑑せられるものである。 地刃共に健体であることも好ましい。
大和伝 · 大和
現在29点販売中
手掻派は、大和五派の一として奈良に興った刀工の一門である。東大寺の西の正門である転害門の外辺に居住し、東大寺に隷属していた鍛冶の集団と推察され、寺の門の名がそのまま一派の称となった。手掻とも転害とも書く。その祖と伝えられるのが包永で、銘鑑は活躍を鎌倉時代後期の正応頃(一二八八〜九三)とするが、初代の在銘作に年紀はなく、子とも弟子とも伝える包清に嘉暦四年(一三二九)紀の短刀が遺ること、また作域・造込みからして更に時代の遡るとの見解も繰り返し示され、活躍期は鎌倉時代中期から末期にかけてと読まれる。以後、包永の名は数代に継承され、包清・包俊・包次ら同族の工が南北朝から室町に亘って栄えた。大和五派の中で手掻は最も規模が大きく、室町期には他派を吸収したかのごとくこの派のみが存続したとされる。寺社に隷属した工房を母胎とする出自は、その実用本位の造込みと抑制された焼刃の根にあって、一門の作風を貫いている。 一派に通う語法は、まず地鉄に読まれる。鍛えは板目に杢・流れ肌を交え、刃寄りは流れて柾がかり、しばしば肌立ちごころとなって、奈良の手掻に置く構造的な見どころを示す。その上に地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、鉄がよく冴える。この柾の目立つ板目こそ、大和五派に共通する第一の標識である。焼かれる刃は直刃を基調とし、浅くのたれて小互の目・小乱れを交え、決して華やかな大模様には出ない。刃縁にはほつれ・打のけ・喰違刃・二重刃がかかり、湯走りが地にこぼれ、金筋・砂流しが走って、刃中にもまた柾が通う。帽子は先を掃きかけて返りの少ない焼詰め風となり、あるいは小丸に浅く返る。これらは大和物に共通する働きであるが、手掻が他の四派と分かれるのは沸の質においてである。包永の作は大和物の中でも最も沸の強いもので、つぶらで輝きのある美しい沸がつき、匂口は明るく地刃ともによく冴える。この明るく強い沸が、鎌倉後期の古手掻を貫く核である。代を降ると地は白けごころとなり、棟寄りに白け映りが立ち、匂口は締まって小沸ごころとなる。包清・包俊・包次らの応永頃の短刀がこの末手掻の典型を示し、なお末期に至れば、享禄頃の包清の刀のごとく直刃が大互の目の皆焼へと転じ、千子村正に近い作域を見せるに至る。古手掻の明るく強い沸から、末手掻の白けて締まった刃へ、一門の弧はこのように降る。 鑑定の勘所は、まずこの柾の目立つ地鉄と、掃きかけ・焼詰めの帽子の下に喰違刃・二重刃と働く直刃にある。同じ大和の中でも、来の詰んだ小板目に整って流れる直刃とは地が分かれ、古備前の丁子に映りを伴う乱れとも分かれる。大和の内部では、千手院・尻懸則長・当麻・保昌と並び称されるが、その分かれ目は手掻自身の特色に沿う。包永は浅くのたれる直刃調を保って小互の目が連れて連なることはなく、湯走り・打のけ・二重刃が刃縁の上に自在に働き、保昌の無地の直刃よりほつれと二重刃に富み、尻懸の連れた小互の目とも異なる。祖包永の格は一門の頂にあり、太刀姿は凛然として格調の高いものが多く、その沸は粟田口久国や相州上工に比し得るものと評されてきた。在銘の太刀は古作としては異例に多く、その殆どが茎先に二字銘を遺す磨上の状態のもので、「包」の字が竪づまりとなり、「永」の字の第二画の竪棒を極端に長く引くところが銘字の見どころとされる。伝来も深く、徳川将軍家から諸大名へ拝領された太刀があり、本多忠勝の孫忠刻の所持銘を残す一口、堀尾家を経て勢州石川家に伝来した折返銘の刀など、来歴を伝える作が多い。包清・包俊・包次ら後代の工は、大磨上無銘の極めを通じて世に伝わるものが多く、在銘・年紀の作はそれ自体が稀少にして、最も規模の大きな大和の一派の作域を知る定点として貴ばれている。 詳しく見る →
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree day, no penalty, inspection on every item. Returns must be in the same condition as shipped. Actual costs will be charged on returned items. No restocking fee. If you did not like the item is a good enough reason for return.
大和手掻(第53回重要刀剣) JT0018 第五十三回重要刀剣に指定された、正に圧巻と呼ぶに相応しい大和手掻の大磨上無銘の刀です。本作の真価は、実際に手に取ってご覧いただくことで初めて深く理解いただけるものと確信しております。 長さ:二尺二寸一分(67.0cm) 反り: 刃文は中直刃調に乱れを交え、刃沸明るく冴え、小沸、荒沸が厚く付き、砂流し、二重刃、小一重刃、金筋など、刃中の働きが極めて豊富です。 地鉄は潤いのある柾目肌に板目が交じり、小沸付き、地景入る。また、僅かに乱れた棒映りが鮮明に現れています。 研ぎの状態も新しく、金着二重裏白(二重)金箔瓦振ハバキが付属。田野辺道宏先生による「珍々重々」との揮毫を含む鞘書があり、本作の出来映えの素晴らしさと資料的価値の高さが強調されています。 ・僅かに乱れる棒映り ・板目に柾目交じり、地景入る ・小一重刃、砂流し ・小一重刃、二重刃かかる
大摺上の刀で、 手掻派の作と鑑せられるものである。大和鍛冶と寺院の関係は密接で、手搔は輾害とも書き、東大寺の西の正面である輾害 門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があるという。 手掻派の祖は包永で、年代は鎌倉時代後期の正応頃と伝え、以降同派は南北朝 期、さらに室町時代に亘って繁栄した。 この刀は、板目に流れごころの肌が交じった鍛えに、地沸が厚くつき、細かな地景が頻りに入り、刃文は直刃を焼いて、小沸がよくつき、処々 荒めの沸がむらづき、刃縁ほつれて、打のけ・湯走り・二重刃・砂流し等の景色が加わり、地刃共に明るく冴えるなど、大和気質が顕現されて おり、大和五派中でもいかにも手搔と鑑せられるものである。 地刃共に健体であることも好ましい。
















大摺上の刀で、 手掻派の作と鑑せられるものである。大和鍛冶と寺院の関係は密接で、手搔は輾害とも書き、東大寺の西の正面である輾害 門の外辺に一派が居住して鍛刀したためにこの名があるという。 手掻派の祖は包永で、年代は鎌倉時代後期の正応頃と伝え、以降同派は南北朝 期、さらに室町時代に亘って繁栄した。 この刀は、板目に流れごころの肌が交じった鍛えに、地沸が厚くつき、細かな地景が頻りに入り、刃文は直刃を焼いて、小沸がよくつき、処々 荒めの沸がむらづき、刃縁ほつれて、打のけ・湯走り・二重刃・砂流し等の景色が加わり、地刃共に明るく冴えるなど、大和気質が顕現されて おり、大和五派中でもいかにも手搔と鑑せられるものである。 地刃共に健体であることも好ましい。
大和伝 · 大和
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手掻派は、大和五派の一として奈良に興った刀工の一門である。東大寺の西の正門である転害門の外辺に居住し、東大寺に隷属していた鍛冶の集団と推察され、寺の門の名がそのまま一派の称となった。手掻とも転害とも書く。その祖と伝えられるのが包永で、銘鑑は活躍を鎌倉時代後期の正応頃(一二八八〜九三)とするが、初代の在銘作に年紀はなく、子とも弟子とも伝える包清に嘉暦四年(一三二九)紀の短刀が遺ること、また作域・造込みからして更に時代の遡るとの見解も繰り返し示され、活躍期は鎌倉時代中期から末期にかけてと読まれる。以後、包永の名は数代に継承され、包清・包俊・包次ら同族の工が南北朝から室町に亘って栄えた。大和五派の中で手掻は最も規模が大きく、室町期には他派を吸収したかのごとくこの派のみが存続したとされる。寺社に隷属した工房を母胎とする出自は、その実用本位の造込みと抑制された焼刃の根にあって、一門の作風を貫いている。 一派に通う語法は、まず地鉄に読まれる。鍛えは板目に杢・流れ肌を交え、刃寄りは流れて柾がかり、しばしば肌立ちごころとなって、奈良の手掻に置く構造的な見どころを示す。その上に地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、鉄がよく冴える。この柾の目立つ板目こそ、大和五派に共通する第一の標識である。焼かれる刃は直刃を基調とし、浅くのたれて小互の目・小乱れを交え、決して華やかな大模様には出ない。刃縁にはほつれ・打のけ・喰違刃・二重刃がかかり、湯走りが地にこぼれ、金筋・砂流しが走って、刃中にもまた柾が通う。帽子は先を掃きかけて返りの少ない焼詰め風となり、あるいは小丸に浅く返る。これらは大和物に共通する働きであるが、手掻が他の四派と分かれるのは沸の質においてである。包永の作は大和物の中でも最も沸の強いもので、つぶらで輝きのある美しい沸がつき、匂口は明るく地刃ともによく冴える。この明るく強い沸が、鎌倉後期の古手掻を貫く核である。代を降ると地は白けごころとなり、棟寄りに白け映りが立ち、匂口は締まって小沸ごころとなる。包清・包俊・包次らの応永頃の短刀がこの末手掻の典型を示し、なお末期に至れば、享禄頃の包清の刀のごとく直刃が大互の目の皆焼へと転じ、千子村正に近い作域を見せるに至る。古手掻の明るく強い沸から、末手掻の白けて締まった刃へ、一門の弧はこのように降る。 鑑定の勘所は、まずこの柾の目立つ地鉄と、掃きかけ・焼詰めの帽子の下に喰違刃・二重刃と働く直刃にある。同じ大和の中でも、来の詰んだ小板目に整って流れる直刃とは地が分かれ、古備前の丁子に映りを伴う乱れとも分かれる。大和の内部では、千手院・尻懸則長・当麻・保昌と並び称されるが、その分かれ目は手掻自身の特色に沿う。包永は浅くのたれる直刃調を保って小互の目が連れて連なることはなく、湯走り・打のけ・二重刃が刃縁の上に自在に働き、保昌の無地の直刃よりほつれと二重刃に富み、尻懸の連れた小互の目とも異なる。祖包永の格は一門の頂にあり、太刀姿は凛然として格調の高いものが多く、その沸は粟田口久国や相州上工に比し得るものと評されてきた。在銘の太刀は古作としては異例に多く、その殆どが茎先に二字銘を遺す磨上の状態のもので、「包」の字が竪づまりとなり、「永」の字の第二画の竪棒を極端に長く引くところが銘字の見どころとされる。伝来も深く、徳川将軍家から諸大名へ拝領された太刀があり、本多忠勝の孫忠刻の所持銘を残す一口、堀尾家を経て勢州石川家に伝来した折返銘の刀など、来歴を伝える作が多い。包清・包俊・包次ら後代の工は、大磨上無銘の極めを通じて世に伝わるものが多く、在銘・年紀の作はそれ自体が稀少にして、最も規模の大きな大和の一派の作域を知る定点として貴ばれている。 詳しく見る →
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree day, no penalty, inspection on every item. Returns must be in the same condition as shipped. Actual costs will be charged on returned items. No restocking fee. If you did not like the item is a good enough reason for return.