二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
Swordsmith Kunimori is regarded as the founder of the Bizen Ômiya School, active circa 1260 during the mid-Kamakura period. The majority of swords we find today from this school are unsigned and attributed either to a specific smith or simply to the Ômiya tradition. Morikage, Morishige and Morokage are among the most prominent smiths of the lineage. The NBTHK has attributed this katana to the Ômiya school, while the sayagaki by the late Hon’ami Nisshu – former Living National Treasure – went a step further and attributed the blade directly to Ômiya Morikage, who worked during the warring Nambokuchô period in the Enbun era (1356~1361). His swords have reached Jûyô status as well as the prestigious designations of Jûyô Bunkazai and Jûyô Bijitsuhin. This powerhouse katana reflects its near 700-year-old origins with authority. It is wide and thick with a full-length bô-hi(groove) running through the nakago in a style called kaki-ôtoshi, and an imposing ô-kissaki measuring 4.3cm that would have meant business on the battlefield. The jihada is a well-forged mix of nagare-hada, itame and mokume with glinting ji-nie and dark swirling chikei throughout. The hamon is a rhythmic koshibiraki that flows symmetrically down the steel, with a faint midare-utsuri drifting above it in classic Bizen tradition. The nakago is ô-suriage – greatly shortened, the original signature lost – but cleanly executed and gently filed. An outstanding custom koshirae was commissioned for the sword, built around a precious 3-piece matching set of menuki, kôgai and kozuka in a crawling dragon theme, attributed to the Kyô-Kinkô school of Edo-period metal smiths working in Kyôto. The three pieces are intricately carved from shakudô and carry their own NBTHK Tokubetsu Hozon certification. The multi-lobed shakudo-nanako tsuba depicts a cloud dragon in raised gold and dates to the middle-Edo period, circa 1700~1780, with NTHK-NPO Kanteisho authentication. The fuchi-kashira features ears of rice in gold, also authenticated by NTHK-NPO Kanteisho. The saya is lacquered in glossy black with blurred red accents – kuro-ro ni aka bokashi-nuri. Morikage is ranked by Fujishiro as jô-saku (superior smith) and rated ryô-wazamono for the enviably sharp reputation his blades enjoyed.

販売店の記載のまま
(翻訳なし)
Bizen Osafune Ōmiya group (Sōden-Bizen) · 備前 · 1356-1390頃
藤代 上々作 · 刀剣大鑑 上位18%
現在2点販売中
盛景は南北朝時代の盛期、備前長船にあって、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり太刀・薙刀・短刀に「備州長船盛景」などと年紀入りの長銘を切った。備前大宮派の中心をなす工で、説明書は一派を、鎌倉時代に山城国猪熊大宮より備前に移住したと伝える遠祖国盛に遡らせる。初期大宮の国盛・助盛の作刀は稀有で、南北朝の同派中、群を抜いて多くの作を遺し最も評価が高いのが盛景である。日本美術刀剣保存協会の説明書はこれを端的に「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と記す。藤代の極めは上々作である。
本工の典型の手は、長船本流の丁子ではなく小のたれを基とした相伝備前の刃である。その湾れに互の目・角ばる刃・尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。説明書はその刃を明らかに盛景独自のものと読む。特別重要刀剣の薙刀直しでは、のたれが兼光の如くおおどかにならずその裾野が短く頭がやや角ばる風が見て取れるとし、これらが盛景の特徴をよく明示すると評する。静かな見どころが作中に繰り返し現れる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃ではなく、沈みごころに傾くのである。
その作域の底に終始変わらぬのが地鉄である。肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に、地沸細かにつき、地景細かに入り、地斑を交え、備前の乱れ映りが在銘・無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点こそ、本工における相伝備前の証と判ぜられる。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、さらに最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。
説明書がとりわけ強調するのは、その作域の広さである。のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる変化のある華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、青江風の直刃にまで及ぶと記す。年紀のある在銘作はこの全体像の背骨であり、応安以降の特定の年に本工の手を結びつけ、直刃の作域はその静かな極にある。永和二年紀の在銘太刀について説明書は、一見すると「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]をあらわすとし、これを屈指の出来とし、作域の多彩を理解させる一口とする。名そのものをめぐる近年の学問上の問いもある。作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、この長銘の盛景がむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないか、とする説がほぼ確実視されつつあると説明書は記し、なお研究に委ねられている。
現存の記録のより大きな面は、本工と極められた大磨上無銘の刀である。身幅広く、反浅く鋒の延びた南北朝の典型的姿で、刃文は小のたれに互の目を交え、処々小丁子を交える。説明書はこれを紛れもない相伝備前としつつ、対照によって盛景を位置づける。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広い兼光の刃から本工を分かち、長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近さは確かに認められる。大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたある特別重要刀剣の刀の説明書は、はっきりと「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記す。要するに本工は南北朝相伝備前の第一線に属し、その極めは一つの華やかな特徴ではなく、時代と一派とこれら慎重な区別に拠る工なのである。
収集の観点では、盛景は南北朝の大家のうちにあって手の届く名であり、なお相応の忍耐を要する。国宝はない。指定の記録は重要文化財二口、特別重要刀剣三口、長い重要刀剣の列を通じ、特別重要刀剣・重要刀剣の級で計九十口に及び、加えて戦前の重要美術品一口がある。来歴は大名家のそれで、その作は肥前鍋島家、上杉家、伊達家、久松松平家に伝わり、一口は皇室の御物として記録される。説明書は個々の作を最も強い言葉で称え、ある薙刀直しを「同作薙刀中出色の一口」[[c:4]]とする。多くの指定刀が旧家に伝わるため、在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られ、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、大宮派の中心に立つ作域広く上手なその手を確かに伝える証である。
盛景の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在6点販売中
大宮派は、備前国長船の地に働きながら、その出自を京都山城に持つ点において他の備前鍛冶と趣を異にする一派である。説明書はこの一門を、もと山城国猪熊大宮の住人であった遠祖国盛に遡らせ、これが鎌倉時代の文応の頃に備前へ移り住んだと伝える。すなわち京の大宮の血が備前の地に根を下ろし、山城の精美な地鉄と備前の華やかな丁子乱れとを併せ呑んだところに、この一派の本質がある。初期の国盛・助盛の作は稀有で、一門が最も栄えるのは南北朝時代に入ってからであり、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり「備州長船盛景」などと長銘を切った盛景がその中心に立つ。説明書は「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と端的に記し、盛重がこれに続いて南北朝から室町へと一派を伝えた。 この一派を貫く手は、長船本流の丁子そのものではなく、山城の地を帯びた相伝備前の刃である。地鉄は肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に地沸細かにつき、地景入り地斑を交えて、その上に備前の乱れ映りが在銘無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点が、本派における相伝備前の証と判ぜられる。刃文は小のたれを基とし、これに互の目、角ばる刃、尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、匂を主調に小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃に対して、やや沈みごころに傾くところに一派の気質があらわれる。なかでも尖りごころの刃は作域を越えて繰り返し現れ、長船本流の丁子主調と大宮の手とを分かつ静かな看どころとなる。作域は広く、のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、さらに青江風の直刃にまで及び、説明書は永和二年紀の盛景の太刀を「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]と評してその多彩を示す。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。盛重に至っては大宮派の特色が薄れ、末備前の長船と異ならぬ作も見え、これは一派が次第に長船派へ併呑されていったことを示すと読まれている。 鑑定の勘所は、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に長船嫡流との別を分かつことにある。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広くおおどかな兼光の刃から本派を分かち、その近さの一方で長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近接は確かで、ある特別重要刀剣の刀の説明書は大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたうえで「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記し、薙刀直しののたれが兼光ほどおおどかにならず裾野短く頭やや角ばる点をもって盛景の手を明示するとする。主要工の格は盛景を筆頭とし、藤代はこれを上々作に位置づけ、現存に最も時代の溯る鎌倉末期の在銘太刀は同名作と地刃を異にして資料的に頗る貴重とされる。なお近年、作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、長銘の盛景はむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないかとする説が説明書に記され、一派の名そのものがなお研究に委ねられている。伝来は大名家のそれで、肥前鍋島家、上杉家、伊達家、松山藩久松松平家などに伝わり、一口は本間による御物台帳に所載される。在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られるが、現れればそれは、京の大宮の精美を備前の地に移し、相伝備前の第一線に身を置いたこの一派の手を、確かに伝える証である。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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