Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 late Edo period / Edo city, Musashi province 異国情緒を漂わせる蘇鉄は、江戸時代には庭園を彩る自然の添景として人気があった。古くは足利義政による室町殿にまで遡る。この鐔では大きく成長した蘇鉄を大胆に捉え、高彫色絵象嵌を駆使して丸みのある幹を写実描写している。上質の赤銅地に岩は朧銀地高彫金色絵、葉は微妙に色を違えた金色絵、刺状の皮質を鮮明にする太い幹の描写も鏨が揃って美しい。英政は大森家に学んだ徳野家の工。技術が優れて大森の姓を許されている。

大森派
江戸
武蔵
在銘
特別保存 (NBTHK)
町彫 · Edo
現在16点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 late Edo period / Edo city, Musashi province 異国情緒を漂わせる蘇鉄は、江戸時代には庭園を彩る自然の添景として人気があった。古くは足利義政による室町殿にまで遡る。この鐔では大きく成長した蘇鉄を大胆に捉え、高彫色絵象嵌を駆使して丸みのある幹を写実描写している。上質の赤銅地に岩は朧銀地高彫金色絵、葉は微妙に色を違えた金色絵、刺状の皮質を鮮明にする太い幹の描写も鏨が揃って美しい。英政は大森家に学んだ徳野家の工。技術が優れて大森の姓を許されている。

大森派
江戸
武蔵
在銘
特別保存 (NBTHK)
町彫 · Edo
現在16点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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