説明

Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Signed Tendai sanroku SonobeYoshihide (Kao) Musashi province Edo Shitaya Okachi-machi 園部芳英は芳継の子で文化三年の生まれ。精巧緻密な高彫表現を得意とした。この鐔は、春の暖かい風を切り裂いて飛翔する燕を彫り描くことで、どこまでも青く清らかに澄む空気を表現した鐔。涼やかに流れる小川と、そのほとりに咲く蒲公英、土筆、遠く広がって天に溶け込む大地も、総てが空気のありようを演出する素材。陽の光を大地に届けてくれるのが空気。円周状に打ち施した魚子地も燕や草原に生命感を与えている。赤銅の黒、銀の白、目玉の金、頬の素銅とわずかの色金ながら、写実的高彫描写された燕は細部まで精密。小川の流れは高彫で、切羽台のみ銀の平象嵌。総ての彫刻技法が優れて美しい。

飛燕図鐔 銘 天台山麓園部芳英(花押)
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飛燕図鐔 銘 天台山麓園部芳英(花押)

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作者について

Goto Yoshihide芳英

5 重要刀剣

園部芳英は、園部家初代芳継の子で同家二代目を継いだ。初代芳継は後藤系の金工である田中芳章に学び、後藤流の彫法を得意としており、園部家も後藤宗家に出入りを許されていた。芳英は宗家十六代の光晃に指導を受けたと推測される。名を伝五郎といい、後に父芳継の通称である伝蔵を襲名した。実子に芳忠と芳興がいる。作風は先代と同様、品格のある精巧な彫技をもって活躍し、元治元年に五十九歳で歿した。天保六年(1835年)には「天台山麓」に居住していたことが銘文から知られる。 芳英の作風は、師家筋にあたる田中芳章ゆずりの家彫方式に、精巧な彫技を加えた園部家の作風が遺憾なく発揮されている。赤銅魚子地を得意とし、金紋、高彫色絵を施す作が多い。金無垢地に赤銅置金工法といった様々な手法を駆使する。大小拵の金具類においては、芳英には珍しい片切彫金平象嵌の技法も見られる。漆黒の赤銅磨地に雲龍図を華麗に描くなど、注文に応えての入念作と思われる作例も存在する。小柄笄の裏哺金鑢仕立をはじめ、濃藍色糸双撮菱巻の柄巻や黒蠟色塗一分刻の鞘塗も洗練味が高い。 芳英の作は、緻密さの中に格調の高さを秘めていると評される。色どり華やかにして且つ上品な作風は大名道具にも見られ、上級武家が儀典に指す式正にかかった小さ刀拵にもその作が認められる。製作が入念であり、保存状態も良いことから、同時代の金工の中でも高い評価を得ていることが窺える。

刀剣商

銀座長州屋

ginza.choshuya.co.jp

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