Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 NBTHK certificate: Tokubetsuhozon tosogu 鬱蒼とした杉木立。手前に倒れ伏した馬と貴人。上手より歩み来る傘をさして灯火を持った人物。謡曲「蟻通」(*)に題を得た赤坂忠重の手になる透鐔である。鍛えよく、精良にして艶のある肉厚の鉄地は耳際でやや肉を落とし自然な柔らか味を醸し出す。鋸歯状に刻みだされた杉の木は先端鋭く、微細にして確かな描写の毛彫も味わい深い。赤坂鐔において人物を登場させて情景描写をする作は極めて少ない。赤坂歴代工のなかで、四代忠時以降最も優れた工人と評される忠重の貴重な一枚である。 (*)紀貫之は、和歌の神を祀る紀伊国玉津島明神に詣でる途中、突然の豪雨に見舞われる。乗っていた馬も倒れ、全く動かない。途方に暮れていると宮守が現れ、蟻通明神の社地を下馬せずに通ろうとした咎めであると言う。貫之が歌人であることを知ると宮守は、和歌を奉じて詫びると良いと勧める。貫之が「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻通しとも思うべきかは」と即興で歌を詠むと宮守は感心し、和歌の徳によって神は宥められ馬は再び立ち上がる。宮守は神楽を舞��って貫之を寿ぎ、自分は蟻通明神であると告げて姿を消す。夜が明けると貫之は玉津島神社に向け旅立っていく。



鐔工 · 武蔵 · 1730-1816頃
赤坂忠重は、江戸時代中期に活躍した赤坂鐔工である。四代忠時の晩年に入門し、事実上の師は五代忠時とされる。赤坂鐔は、江戸時代初頭に京から江戸赤坂へ移住した一派であり、初代忠正、二代忠正、三代忠虎のいわゆる上三代には在銘作が確認されていない。元禄頃の四代忠時になって初めて在銘作が現れ、以後九代まで嫡流は忠時を名乗った。忠重は晩年まで作鐔を続け、「行年八十四才・忠重作」[[c:2]]銘が知られる長寿の刀工であり、四代から九代にわたる赤坂鐔工中屈指の上手と称賛されている。
忠重の作風は、赤坂鐔の特色である肉置きが中高となる造り込みを踏襲し、透かしの繊ぎが耳際で広くなって安定感があり、耳は丸耳となるのが通例である。鉄の鍛えは上々で、一種の艶がある錆色が冴える。画題には自然の風物や故事などを凝らした意匠を以て表したものが多く、尾形光琳の文様意匠を採り入れるなど進取の気性に富む。構図は斬新であり、肥後の勘四郎を手本としつつも、さらに新味を加えた独自の意匠を創出した。彫口はするどく、その技術の高さが窺える。
忠重の鐔は、大振りで堂々とした造り込みが特徴であり、ふっくらとした肉感がよく表されている。特に意匠に優れており、その出来栄えは出色のものとして評価が高い。晩年の作には、銘の書風から嫡男・忠好の代作代銘手と鑑せられるものもある。赤坂鐔の見どころの一つである構図の斬新さを体現し、同作中の代表作と称される大作も存在する。肥後鐔にも見られない独創的な意匠を示すなど、赤坂鐔の伝統に新たな境地を開いた刀工として位置づけられる。
忠重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · Edo
時期区分: 赤坂· 1688–1860
現在79点販売中
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 NBTHK certificate: Tokubetsuhozon tosogu 鬱蒼とした杉木立。手前に倒れ伏した馬と貴人。上手より歩み来る傘をさして灯火を持った人物。謡曲「蟻通」(*)に題を得た赤坂忠重の手になる透鐔である。鍛えよく、精良にして艶のある肉厚の鉄地は耳際でやや肉を落とし自然な柔らか味を醸し出す。鋸歯状に刻みだされた杉の木は先端鋭く、微細にして確かな描写の毛彫も味わい深い。赤坂鐔において人物を登場させて情景描写をする作は極めて少ない。赤坂歴代工のなかで、四代忠時以降最も優れた工人と評される忠重の貴重な一枚である。 (*)紀貫之は、和歌の神を祀る紀伊国玉津島明神に詣でる途中、突然の豪雨に見舞われる。乗っていた馬も倒れ、全く動かない。途方に暮れていると宮守が現れ、蟻通明神の社地を下馬せずに通ろうとした咎めであると言う。貫之が歌人であることを知ると宮守は、和歌を奉じて詫びると良いと勧める。貫之が「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻通しとも思うべきかは」と即興で歌を詠むと宮守は感心し、和歌の徳によって神は宥められ馬は再び立ち上がる。宮守は神楽を舞��って貫之を寿ぎ、自分は蟻通明神であると告げて姿を消す。夜が明けると貫之は玉津島神社に向け旅立っていく。



鐔工 · 武蔵 · 1730-1816頃
赤坂忠重は、江戸時代中期に活躍した赤坂鐔工である。四代忠時の晩年に入門し、事実上の師は五代忠時とされる。赤坂鐔は、江戸時代初頭に京から江戸赤坂へ移住した一派であり、初代忠正、二代忠正、三代忠虎のいわゆる上三代には在銘作が確認されていない。元禄頃の四代忠時になって初めて在銘作が現れ、以後九代まで嫡流は忠時を名乗った。忠重は晩年まで作鐔を続け、「行年八十四才・忠重作」[[c:2]]銘が知られる長寿の刀工であり、四代から九代にわたる赤坂鐔工中屈指の上手と称賛されている。
忠重の作風は、赤坂鐔の特色である肉置きが中高となる造り込みを踏襲し、透かしの繊ぎが耳際で広くなって安定感があり、耳は丸耳となるのが通例である。鉄の鍛えは上々で、一種の艶がある錆色が冴える。画題には自然の風物や故事などを凝らした意匠を以て表したものが多く、尾形光琳の文様意匠を採り入れるなど進取の気性に富む。構図は斬新であり、肥後の勘四郎を手本としつつも、さらに新味を加えた独自の意匠を創出した。彫口はするどく、その技術の高さが窺える。
忠重の鐔は、大振りで堂々とした造り込みが特徴であり、ふっくらとした肉感がよく表されている。特に意匠に優れており、その出来栄えは出色のものとして評価が高い。晩年の作には、銘の書風から嫡男・忠好の代作代銘手と鑑せられるものもある。赤坂鐔の見どころの一つである構図の斬新さを体現し、同作中の代表作と称される大作も存在する。肥後鐔にも見られない独創的な意匠を示すなど、赤坂鐔の伝統に新たな境地を開いた刀工として位置づけられる。
忠重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · Edo
時期区分: 赤坂· 1688–1860
現在79点販売中
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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