赤坂忠重は、江戸時代中期に活躍した赤坂鐔工である。四代忠時の晩年に入門し、事実上の師は五代忠時とされる。赤坂鐔は、江戸時代初頭に京から江戸赤坂へ移住した一派であり、初代忠正、二代忠正、三代忠虎のいわゆる上三代には在銘作が確認されていない。元禄頃の四代忠時になって初めて在銘作が現れ、以後九代まで嫡流は忠時を名乗った。忠重は晩年まで作鐔を続け、「行年八十四才・忠重作」銘が知られる長寿の刀工であり、四代から九代にわたる赤坂鐔工中屈指の上手と称賛されている。
忠重の作風は、赤坂鐔の特色である肉置きが中高となる造り込みを踏襲し、透かしの繊ぎが耳際で広くなって安定感があり、耳は丸耳となるのが通例である。鉄の鍛えは上々で、一種の艶がある錆色が冴える。画題には自然の風物や故事などを凝らした意匠を以て表したものが多く、尾形光琳の文様意匠を採り入れるなど進取の気性に富む。構図は斬新であり、肥後の勘四郎を手本としつつも、さらに新味を加えた独自の意匠を創出した。彫口はするどく、その技術の高さが窺える。
忠重の鐔は、大振りで堂々とした造り込みが特徴であり、ふっくらとした肉感がよく表されている。特に意匠に優れており、その出来栄えは出色のものとして評価が高い。晩年の作には、銘の書風から嫡男・忠好の代作代銘手と鑑せられるものもある。赤坂鐔の見どころの一つである構図の斬新さを体現し、同作中の代表作と称される大作も存在する。肥後鐔にも見られない独創的な意匠を示すなど、赤坂鐔の伝統に新たな境地を開いた刀工として位置づけられる。