Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 室町時代末期。備前国。天文年間は五郎左衛門尉清光の活躍期に該当す。長さに比して反りを深く付けるのはこの時期の備前刀に散見する特徴的姿。銘文中、字配りを間違えて光の文字が窮屈になっている点から刀工自身の手になる自身銘であろうか。この時��期には時折このような銘の作を見る。


Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1532-1572頃
刀剣大鑑 上位21%
現在7点販売中
清光を本録に据える一口は、天文二十三年(一五五四)紀の刀で、「備前国住長船清光作之」[[c:1]]と長銘に切り、平成二十六年に特別重要刀剣に上げられた、身幅広く反りの深い打刀である。俗名はないが、説明書はその「銘振りよりして、五郎左衛門尉と鑑せられる」[[c:2]]とする。清光は室町時代末期の長船鍛冶、汎称して末備前と呼ばれる工房群とその作を代表する名の一つで、この数多い名の中にあって本工はほぼ余すところなく知られる。本録の作はいずれも生ぶ茎に長銘と年紀を有し、その大半が天文年間(一五三二〜一五五五)に集中する。説明書はこの期に清光を名乗る刀工を早見出では十人もの数に掲げ、五郎左衛門尉・孫右衛門尉・与三左衛門尉・彦兵衛・孫兵衛の俗名を挙げて、中でも五郎左衛門尉と孫右衛門尉を上工とする。本録を満たすのは天文年紀のその五郎左衛門尉であり、説明書は彼を一線の頭に置き、同名の二代が永禄・天正年間に続くとする。
本工の評価はまず直刃にある。説明書は本工を忠光と並ぶ末備前の直刃の名手とし(「忠光と並んで直刃の名手」[[c:3]])、その広直刃を清光家の看板そのものとする(「清光家の看板であるところの広直刃」[[c:4]])。典型の刀は身幅広く重ね厚く、鎬高く、先反りのつく頑健な打刀で、中鋒やや延びごころとなり、これに小互の目・小丁子を交えた広直刃を焼く。刃中に足・葉よく入り、説明書が本工の典型の見どころとする葉が盛んに働き、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える。頑健な姿にこの手を焼き、刃の働きよく匂口の冴えたものを、説明書は「直刃を得意とする清光の真骨頂」[[c:5]]と評する。
その刃を支える地鉄もまた、本工の見どころの一半をなす。よくつんだ板目・小板目に杢を交え、地沸微塵につき、地景入り、淡く映りが立つ。説明書は本工の地鉄を、忠光や与三左衛門尉祐定の作に比してやや肌立つ傾向のもの、杢の交じる板目とし、常の作では三者のうちやや肌の開いた一人とする。例外がかえって常態を語る。最上手の作、特別重要刀剣の刀などでは、同じ説明書がその地鉄を常の作に比して肌のつんだ精良な肌合と評し、地鉄の出来がこれらの一口を他から抜きん出させている。帽子は小丸に掃きかけ、直刃の作では直ぐに小丸となり、処々先尖り、あるいは裏が二重刃風となる。
この静かな作域に対し、本工はより華やかな二つの手を焼き、説明書はこれを逸脱ではなく本工の典型として扱う。第一は互の目乱れで、その見どころは腰の開いた互の目、小丁子・小互の目を交えて中直刃を基調に足・葉よく入り砂流しかかるもので、説明書はこれをもって与三左衛門尉祐定に近いものとする(「与三左衛門尉祐定に近い」[[c:6]])。第二は皆焼で、焼を高く取り、丁子乱れに互の目・小丁子を交え、飛焼が入り棟焼が盛んにかかって総体に皆焼状となり、沸強くつき砂流しかかる。ここで説明書は造込みの見どころを挙げる。末備前は概して重ね厚いが、「皆焼を焼いた場合は必ず重ねが薄くなる」[[c:7]]のであり、その削いだ造込みそのものが見どころで、同派にまま経眼する丸棟を伴う場合もある。同じ華やかさは菖蒲造の一口や幅広の短刀にも現れ、造込みは変わっても手は一定である。
末備前の中で五郎左衛門尉を際立たせるものは、対比によってではなく本工自身の作によって読まれる。葉のよく入る明るい広直刃は説明書が本工の名に結びつける手であり、三作域中もっとも静かなもので、一方の腰の開いた互の目と飛焼・棟焼の皆焼は、その作域を祐定の方へ、また末備前の華やかな好みの方へと広げる。忠光は直刃を共にするが皆焼を共にせず、祐定は互の目を共にするが幅いっぱいに保った直刃を共にしない。本工の作には在りし日を時と所に定める注文者銘を帯びるものが幾口かあり、播州龍野の城下で鍛えた一口は説明書が本工の動向を知る資料として貴重とし、注文者政秀は浦上一門の武将であった。戦乱の世のために打たれた幅広で反りの深い姿そのものが読みの一部であり、説明書は幅広の両刃造短刀について「戦国時代の気風が姿にもよくあらわれて」[[c:8]]いると記す。
その名に負う指定の重みは、広大ではないが堅実である。一口が特別重要刀剣に達し、十八口が重要刀剣であって、国宝・重要文化財の域に及ぶものはなく、指定の頂ではなくその中上層に築かれた記録である。刀工大鑑は本工を長船の名工の中位に値付ける。来歴は、知られる限りでは重き家を経る。一口は「忍の松平家伝来」であり、また一口は刀剣の学者でもある正秀の手に渡った。確かな在銘・年紀の五郎左衛門尉清光の作は末備前の名としては相応の数が遺り、説明書がその手の傑出した作とする生ぶ茎在銘の一口は、待つ収集家にとって末備前の大家の中ではなお出会い得る側にある。重要刀剣の域は折にふれて現れ、ただ一口の特別重要刀剣は、現れればそれが一つの画期となる。
清光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在24点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 室町時代末期。備前国。天文年間は五郎左衛門尉清光の活躍期に該当す。長さに比して反りを深く付けるのはこの時期の備前刀に散見する特徴的姿。銘文中、字配りを間違えて光の文字が窮屈になっている点から刀工自身の手になる自身銘であろうか。この時��期には時折このような銘の作を見る。


Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1532-1572頃
刀剣大鑑 上位21%
現在7点販売中
清光を本録に据える一口は、天文二十三年(一五五四)紀の刀で、「備前国住長船清光作之」[[c:1]]と長銘に切り、平成二十六年に特別重要刀剣に上げられた、身幅広く反りの深い打刀である。俗名はないが、説明書はその「銘振りよりして、五郎左衛門尉と鑑せられる」[[c:2]]とする。清光は室町時代末期の長船鍛冶、汎称して末備前と呼ばれる工房群とその作を代表する名の一つで、この数多い名の中にあって本工はほぼ余すところなく知られる。本録の作はいずれも生ぶ茎に長銘と年紀を有し、その大半が天文年間(一五三二〜一五五五)に集中する。説明書はこの期に清光を名乗る刀工を早見出では十人もの数に掲げ、五郎左衛門尉・孫右衛門尉・与三左衛門尉・彦兵衛・孫兵衛の俗名を挙げて、中でも五郎左衛門尉と孫右衛門尉を上工とする。本録を満たすのは天文年紀のその五郎左衛門尉であり、説明書は彼を一線の頭に置き、同名の二代が永禄・天正年間に続くとする。
本工の評価はまず直刃にある。説明書は本工を忠光と並ぶ末備前の直刃の名手とし(「忠光と並んで直刃の名手」[[c:3]])、その広直刃を清光家の看板そのものとする(「清光家の看板であるところの広直刃」[[c:4]])。典型の刀は身幅広く重ね厚く、鎬高く、先反りのつく頑健な打刀で、中鋒やや延びごころとなり、これに小互の目・小丁子を交えた広直刃を焼く。刃中に足・葉よく入り、説明書が本工の典型の見どころとする葉が盛んに働き、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える。頑健な姿にこの手を焼き、刃の働きよく匂口の冴えたものを、説明書は「直刃を得意とする清光の真骨頂」[[c:5]]と評する。
その刃を支える地鉄もまた、本工の見どころの一半をなす。よくつんだ板目・小板目に杢を交え、地沸微塵につき、地景入り、淡く映りが立つ。説明書は本工の地鉄を、忠光や与三左衛門尉祐定の作に比してやや肌立つ傾向のもの、杢の交じる板目とし、常の作では三者のうちやや肌の開いた一人とする。例外がかえって常態を語る。最上手の作、特別重要刀剣の刀などでは、同じ説明書がその地鉄を常の作に比して肌のつんだ精良な肌合と評し、地鉄の出来がこれらの一口を他から抜きん出させている。帽子は小丸に掃きかけ、直刃の作では直ぐに小丸となり、処々先尖り、あるいは裏が二重刃風となる。
この静かな作域に対し、本工はより華やかな二つの手を焼き、説明書はこれを逸脱ではなく本工の典型として扱う。第一は互の目乱れで、その見どころは腰の開いた互の目、小丁子・小互の目を交えて中直刃を基調に足・葉よく入り砂流しかかるもので、説明書はこれをもって与三左衛門尉祐定に近いものとする(「与三左衛門尉祐定に近い」[[c:6]])。第二は皆焼で、焼を高く取り、丁子乱れに互の目・小丁子を交え、飛焼が入り棟焼が盛んにかかって総体に皆焼状となり、沸強くつき砂流しかかる。ここで説明書は造込みの見どころを挙げる。末備前は概して重ね厚いが、「皆焼を焼いた場合は必ず重ねが薄くなる」[[c:7]]のであり、その削いだ造込みそのものが見どころで、同派にまま経眼する丸棟を伴う場合もある。同じ華やかさは菖蒲造の一口や幅広の短刀にも現れ、造込みは変わっても手は一定である。
末備前の中で五郎左衛門尉を際立たせるものは、対比によってではなく本工自身の作によって読まれる。葉のよく入る明るい広直刃は説明書が本工の名に結びつける手であり、三作域中もっとも静かなもので、一方の腰の開いた互の目と飛焼・棟焼の皆焼は、その作域を祐定の方へ、また末備前の華やかな好みの方へと広げる。忠光は直刃を共にするが皆焼を共にせず、祐定は互の目を共にするが幅いっぱいに保った直刃を共にしない。本工の作には在りし日を時と所に定める注文者銘を帯びるものが幾口かあり、播州龍野の城下で鍛えた一口は説明書が本工の動向を知る資料として貴重とし、注文者政秀は浦上一門の武将であった。戦乱の世のために打たれた幅広で反りの深い姿そのものが読みの一部であり、説明書は幅広の両刃造短刀について「戦国時代の気風が姿にもよくあらわれて」[[c:8]]いると記す。
その名に負う指定の重みは、広大ではないが堅実である。一口が特別重要刀剣に達し、十八口が重要刀剣であって、国宝・重要文化財の域に及ぶものはなく、指定の頂ではなくその中上層に築かれた記録である。刀工大鑑は本工を長船の名工の中位に値付ける。来歴は、知られる限りでは重き家を経る。一口は「忍の松平家伝来」であり、また一口は刀剣の学者でもある正秀の手に渡った。確かな在銘・年紀の五郎左衛門尉清光の作は末備前の名としては相応の数が遺り、説明書がその手の傑出した作とする生ぶ茎在銘の一口は、待つ収集家にとって末備前の大家の中ではなお出会い得る側にある。重要刀剣の域は折にふれて現れ、ただ一口の特別重要刀剣は、現れればそれが一つの画期となる。
清光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在24点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。