Stock number:KWA-080122Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)・Era(Jidai):Edo(Tokyo)・Middle Edo period about 1677~[Katana]Blade length(Cutting edge): 71.2cmCurve(SORI): 1.3cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.02cmThickness at the Moto-Kasane: 0.70cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 99cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): Itame with mokumeTemper patterns(Hamon): Gunome and Togari-gunome, Choji-midareTemper patterns in the point(Bohshi): Slightly Midare then Ko-Maru round tipRegistration Card: Tokyo[Wakizashi]Blade length(Cutting edge): 54.2cmCurve(SORI): 1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.86cmThickness at the Moto-Kasane: 0.63cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kiri file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 77cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada):Itame with KomokumeTemper patterns(Hamon): Gunome and Togariba ,Choji, KomidarebaTemper patterns in the point(Bohshi): Slightly Midare then Ko-Maru round tipRegistration Card: Hyogo【Additional Information】長曽祢興正は庄兵衛といい、長曽祢虎徹興里の門人で後に養子となり虎徹二代を襲名しました。初代虎徹興里の助手を務めており、師 興里の高い技術を多く受け継いだ刀工です。作風は板目肌に数珠刃風互の目乱れや変化に富んだ互の目乱れ、また広直刃などを焼きます。元禄7年に死去するまでに鍛刀した遺作は決して多くはありません。姿が痩せず健全で、刃の乱れ調子が良いものは現存更に少なく、今回ご紹介する作品は誠に貴重な大小の秀作です。本作品は、両刀共に身幅、重ねは尋常に反り浅く、中切っ先が伸びて鋭利で力感のある体配を示します。大刀の地鉄は、板目肌に杢目を交えて地沸付き、肌目に沿って地景が強く入ります。脇差は板目肌に小杢目を交え、地沸微塵に付き、地景が入ります。刃文はどちらも総体焼き高く、切っ先に向けて徐々に焼きを高めて覇気があります。小沸出来で、荒沸付き匂口極めて深く、小沸ムラなく付いて誠によく冴えます。大刀は互の目を基調に尖り互の目、丁子を交えます。刃中には金筋、砂流しが長く入り、他様々な働きが入って派手やかな出来です。小刀の刃文は一見すると大刀と比べて静穏に見えますが、仔細に観察すると大刀を凌駕する多様な景色が見えてきます。大刀と同様に互の目を基調として尖り刃、丁子を交えます。また小互の目、小丁子刃などから成る小乱れ風の刃が交じります。刃中には、足長く入り、細かな金線がかかって働きます。大小どちらも焼刃の腰を浅く焼く手癖が処々見え、初代虎徹に似た作風の印象を受けます。特に焼きの所作については、師の虎徹にも劣らず、江戸新刀の上工た
在銘 · 寛文 · 長さ 71.2cm · 反り 1.3cm










Nagasone Kotetsu school (Edo, Shinto) · 武蔵 · 1661-1690頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
本間が経眼した長曽祢興正の作のうち、ある元禄の刀は同作中の第一とされ、説明書はその刀を「経眼した同作中の第一というべきもので虎徹の佳作に迫る程である」[[c:1]]と評する。興正は虎徹一門の継承者である。説明書は、彼が長曽祢虎徹興里に学び、後に養子となって二代目虎徹を継承し、その技量は師についで上手であったと記す。さらに進んで、虎徹銘の刀の中にもおそらく興正の代作、すなわち師に代わって作った作が含まれていようとし、両者の手は必ずしも分かちがたいとする。経眼する年紀は寛文十三年から元禄三年に亘り、姿は終始、身幅広く反り浅く中鋒に結ぶ寛文新刀体配である。江戸にあって、亡き師の名が市中で最も求められた頃に活躍した工である。
その典型は虎徹ゆずりの数珠刃、すなわち頭の丸い互の目が珠数を連ねたように刃縁に連なる作柄である。説明書はこれを本工の本領とし、師より受けた手と読む。これを写しでなく本工自身のものとするのは二点で、説明書もともに挙げる。第一は互の目が二つずつ連れる刃取りで、刃中に繰り返し現れる。第二は沸の質で、虎徹よりやや荒めにつき、ばさけごころにむらづく。説明書はこれを疵とせず、「技術は師についで上手であり」[[c:2]]と評しつつ、まさに興正と看取される見どころとする。ある脇指について説明書は「沸がやや荒目につき、砂流しがさかんにかかっているところなどに興正の特色がよく表示されている」[[c:3]]と記す。
地鉄はこの刃を載せる地である。よくつんだ小板目に杢を交え、時に肌立って板目となり、地沸を微塵に厚く敷き、地景を入れて、かねは明るく冴える。その上に刃文は元に直刃調の焼出しを見せ、のたれを基調に数珠刃へと立ち上がる。足太く葉入り、匂深く、小沸つき、金筋と長い砂流しがかかり、匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸となり先掃きかける。数口は棒樋を掻き通し、また多くは裏に金象嵌の截断銘を帯びて、その截断の利を伝える。
説明書は興正を年代別に分けがたいと率直に記す。銘振りは多様で、年紀を刻したものは少なく、正の字の楷書体は延宝四年紀の作にのみ見られるという。その作のうちに説明書は二つの作域を引く。一つは右の数珠刃の本領で、最上の作では会心の出来に達し、覇気がある。いま一つはやや離れて立つ。焼幅を広げて浅い大のたれとし、荒めの沸が強くむらに走り、湯走り風と飛焼を交え、幅広・重ね厚く反りの深い頑健な姿に仕上げる。ある刀について説明書はこれを「野趣に溢れた作柄」[[c:4]]と称し豪壮とし、なお明るい匂口と二つずつ連れる互の目に同じ手が窺えるとする。この一脈を説明書は和泉守兼重の作柄に通じるものとし、兼重と長曽祢一門との関係を察知させるとする。
興正を分かつものは、師に対して、また一門の内にあって測られる。説明書は彼の刀をまさに虎徹宛らの出来としつつ、焼幅の広さ、二つずつ連れる互の目、荒めでばさけがちな沸を、虎徹の穏やかで冴えた刃と分かつところとして繰り返し挙げる。彼は一門の開かれた表の顔である。二代目虎徹として銘を切り表に立ち、米国より戻ったある合作の刀は、興久・興直が陰で彼を支えた様子を銘文に留める。虎徹興正と切る銘は継承を茎の上に明示し、ある長銘の刀を説明書は、師風を継ぎながら独自性を追った一口として挙げる。
収集の観点では、最上の在銘刀が師虎徹に迫るとされる新刀屈指の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は重要刀剣の級を通じ、同級に二十五口、加えて昭和十七年に認定された重要美術品の刀が一口あり、これが本間の「経眼した同作中の第一というべきもの」[[c:5]]とした作である。来歴の記録は乏しく、伊藤家の刀と、かつて和田虎雄が蔵した一口が知られるのみで、現存の館蔵者は記録にない。されば在銘の興正は、世に出るよりも蔵されることが多く、数珠刃の作域の刀で、体配健全に刃明るい一口が私蔵の収集家のもとに現れるのは折にふれてのことであり、虎徹一門の二代目がこれを継いだ時を語る一証である。
興正の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:KWA-080122Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)・Era(Jidai):Edo(Tokyo)・Middle Edo period about 1677~[Katana]Blade length(Cutting edge): 71.2cmCurve(SORI): 1.3cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.02cmThickness at the Moto-Kasane: 0.70cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 99cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada): Itame with mokumeTemper patterns(Hamon): Gunome and Togari-gunome, Choji-midareTemper patterns in the point(Bohshi): Slightly Midare then Ko-Maru round tipRegistration Card: Tokyo[Wakizashi]Blade length(Cutting edge): 54.2cmCurve(SORI): 1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.86cmThickness at the Moto-Kasane: 0.63cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kiri file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 77cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiJigane(Hada):Itame with KomokumeTemper patterns(Hamon): Gunome and Togariba ,Choji, KomidarebaTemper patterns in the point(Bohshi): Slightly Midare then Ko-Maru round tipRegistration Card: Hyogo【Additional Information】長曽祢興正は庄兵衛といい、長曽祢虎徹興里の門人で後に養子となり虎徹二代を襲名しました。初代虎徹興里の助手を務めており、師 興里の高い技術を多く受け継いだ刀工です。作風は板目肌に数珠刃風互の目乱れや変化に富んだ互の目乱れ、また広直刃などを焼きます。元禄7年に死去するまでに鍛刀した遺作は決して多くはありません。姿が痩せず健全で、刃の乱れ調子が良いものは現存更に少なく、今回ご紹介する作品は誠に貴重な大小の秀作です。本作品は、両刀共に身幅、重ねは尋常に反り浅く、中切っ先が伸びて鋭利で力感のある体配を示します。大刀の地鉄は、板目肌に杢目を交えて地沸付き、肌目に沿って地景が強く入ります。脇差は板目肌に小杢目を交え、地沸微塵に付き、地景が入ります。刃文はどちらも総体焼き高く、切っ先に向けて徐々に焼きを高めて覇気があります。小沸出来で、荒沸付き匂口極めて深く、小沸ムラなく付いて誠によく冴えます。大刀は互の目を基調に尖り互の目、丁子を交えます。刃中には金筋、砂流しが長く入り、他様々な働きが入って派手やかな出来です。小刀の刃文は一見すると大刀と比べて静穏に見えますが、仔細に観察すると大刀を凌駕する多様な景色が見えてきます。大刀と同様に互の目を基調として尖り刃、丁子を交えます。また小互の目、小丁子刃などから成る小乱れ風の刃が交じります。刃中には、足長く入り、細かな金線がかかって働きます。大小どちらも焼刃の腰を浅く焼く手癖が処々見え、初代虎徹に似た作風の印象を受けます。特に焼きの所作については、師の虎徹にも劣らず、江戸新刀の上工た
在銘 · 寛文 · 長さ 71.2cm · 反り 1.3cm










Nagasone Kotetsu school (Edo, Shinto) · 武蔵 · 1661-1690頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
本間が経眼した長曽祢興正の作のうち、ある元禄の刀は同作中の第一とされ、説明書はその刀を「経眼した同作中の第一というべきもので虎徹の佳作に迫る程である」[[c:1]]と評する。興正は虎徹一門の継承者である。説明書は、彼が長曽祢虎徹興里に学び、後に養子となって二代目虎徹を継承し、その技量は師についで上手であったと記す。さらに進んで、虎徹銘の刀の中にもおそらく興正の代作、すなわち師に代わって作った作が含まれていようとし、両者の手は必ずしも分かちがたいとする。経眼する年紀は寛文十三年から元禄三年に亘り、姿は終始、身幅広く反り浅く中鋒に結ぶ寛文新刀体配である。江戸にあって、亡き師の名が市中で最も求められた頃に活躍した工である。
その典型は虎徹ゆずりの数珠刃、すなわち頭の丸い互の目が珠数を連ねたように刃縁に連なる作柄である。説明書はこれを本工の本領とし、師より受けた手と読む。これを写しでなく本工自身のものとするのは二点で、説明書もともに挙げる。第一は互の目が二つずつ連れる刃取りで、刃中に繰り返し現れる。第二は沸の質で、虎徹よりやや荒めにつき、ばさけごころにむらづく。説明書はこれを疵とせず、「技術は師についで上手であり」[[c:2]]と評しつつ、まさに興正と看取される見どころとする。ある脇指について説明書は「沸がやや荒目につき、砂流しがさかんにかかっているところなどに興正の特色がよく表示されている」[[c:3]]と記す。
地鉄はこの刃を載せる地である。よくつんだ小板目に杢を交え、時に肌立って板目となり、地沸を微塵に厚く敷き、地景を入れて、かねは明るく冴える。その上に刃文は元に直刃調の焼出しを見せ、のたれを基調に数珠刃へと立ち上がる。足太く葉入り、匂深く、小沸つき、金筋と長い砂流しがかかり、匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸となり先掃きかける。数口は棒樋を掻き通し、また多くは裏に金象嵌の截断銘を帯びて、その截断の利を伝える。
説明書は興正を年代別に分けがたいと率直に記す。銘振りは多様で、年紀を刻したものは少なく、正の字の楷書体は延宝四年紀の作にのみ見られるという。その作のうちに説明書は二つの作域を引く。一つは右の数珠刃の本領で、最上の作では会心の出来に達し、覇気がある。いま一つはやや離れて立つ。焼幅を広げて浅い大のたれとし、荒めの沸が強くむらに走り、湯走り風と飛焼を交え、幅広・重ね厚く反りの深い頑健な姿に仕上げる。ある刀について説明書はこれを「野趣に溢れた作柄」[[c:4]]と称し豪壮とし、なお明るい匂口と二つずつ連れる互の目に同じ手が窺えるとする。この一脈を説明書は和泉守兼重の作柄に通じるものとし、兼重と長曽祢一門との関係を察知させるとする。
興正を分かつものは、師に対して、また一門の内にあって測られる。説明書は彼の刀をまさに虎徹宛らの出来としつつ、焼幅の広さ、二つずつ連れる互の目、荒めでばさけがちな沸を、虎徹の穏やかで冴えた刃と分かつところとして繰り返し挙げる。彼は一門の開かれた表の顔である。二代目虎徹として銘を切り表に立ち、米国より戻ったある合作の刀は、興久・興直が陰で彼を支えた様子を銘文に留める。虎徹興正と切る銘は継承を茎の上に明示し、ある長銘の刀を説明書は、師風を継ぎながら独自性を追った一口として挙げる。
収集の観点では、最上の在銘刀が師虎徹に迫るとされる新刀屈指の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は重要刀剣の級を通じ、同級に二十五口、加えて昭和十七年に認定された重要美術品の刀が一口あり、これが本間の「経眼した同作中の第一というべきもの」[[c:5]]とした作である。来歴の記録は乏しく、伊藤家の刀と、かつて和田虎雄が蔵した一口が知られるのみで、現存の館蔵者は記録にない。されば在銘の興正は、世に出るよりも蔵されることが多く、数珠刃の作域の刀で、体配健全に刃明るい一口が私蔵の収集家のもとに現れるのは折にふれてのことであり、虎徹一門の二代目がこれを継いだ時を語る一証である。
興正の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).