参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
刃長60.5センチ 反り1.13センチ 元幅28.0ミリ 元重ね6.5ミリ 物打幅23.0ミリ 物打重ね5.3ミリ 横手位置幅20.5ミリ 松葉先重ね4.9ミリ 裸身重量604グラム。 拵に納めて鞘を払った重量925グラム。 江戸前期 The early period of Edo era 平成30年10月18日 兵庫県登録 附属 保存刀装具鑑定書、素銅はばき、黒蝋塗鞘半太刀拵 元先の幅差さほど開かず中切先やや延びる。地鉄は小板目柾流れ、刃文は匂口沈んだ直刃で、鋩子は直ぐに先丸く返っているようです。 兵庫県下の旧家からまとめて出てきました刀剣類の中の一振で、戦後のGHQからの刀狩りから刀剣類を守るため、刀身にニスのような物を塗り、防錆していたため、現状ではその染みが目立ちますが、地刃の鑑賞は可能です。 当然のことながら興正銘は首肯できるものではありませんので、無銘の短寸刀(長寸脇指)としてお求め下さい。 附属の半太刀拵は金具が多く、切羽は菊花の金着せで、本刀を帯びていた武士の本刀への愛着を感じさせます。 鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く使い勝手の良さも考えられていることに気づきます。柄にがたつきはありませんが、経年劣化による柄糸の締めが弱くなっている分、故意に左右に振ると柄に揺れを感じますが、こちらは将来柄糸を巻き直すことで自然と直ります。 拵が立派なので、当店にて拵に保存刀装鑑定を受審し、その後研磨を施してから販売するか悩み、数年間在庫として寝かせておりましたが、一旦現状のままご紹介する次第で、研磨は特別に10万円(税込)にて承りますのでお気軽にご用命下さい。 ※どこからどう見ても半太刀拵なのに、打刀拵と鑑定書に記載されている点には些か疑問を感じずには居られません。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。








































新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長60.5センチ 反り1.13センチ 元幅28.0ミリ 元重ね6.5ミリ 物打幅23.0ミリ 物打重ね5.3ミリ 横手位置幅20.5ミリ 松葉先重ね4.9ミリ 裸身重量604グラム。 拵に納めて鞘を払った重量925グラム。 江戸前期 The early period of Edo era 平成30年10月18日 兵庫県登録 附属 保存刀装具鑑定書、素銅はばき、黒蝋塗鞘半太刀拵 元先の幅差さほど開かず中切先やや延びる。地鉄は小板目柾流れ、刃文は匂口沈んだ直刃で、鋩子は直ぐに先丸く返っているようです。 兵庫県下の旧家からまとめて出てきました刀剣類の中の一振で、戦後のGHQからの刀狩りから刀剣類を守るため、刀身にニスのような物を塗り、防錆していたため、現状ではその染みが目立ちますが、地刃の鑑賞は可能です。 当然のことながら興正銘は首肯できるものではありませんので、無銘の短寸刀(長寸脇指)としてお求め下さい。 附属の半太刀拵は金具が多く、切羽は菊花の金着せで、本刀を帯びていた武士の本刀への愛着を感じさせます。 鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く使い勝手の良さも考えられていることに気づきます。柄にがたつきはありませんが、経年劣化による柄糸の締めが弱くなっている分、故意に左右に振ると柄に揺れを感じますが、こちらは将来柄糸を巻き直すことで自然と直ります。 拵が立派なので、当店にて拵に保存刀装鑑定を受審し、その後研磨を施してから販売するか悩み、数年間在庫として寝かせておりましたが、一旦現状のままご紹介する次第で、研磨は特別に10万円(税込)にて承りますのでお気軽にご用命下さい。 ※どこからどう見ても半太刀拵なのに、打刀拵と鑑定書に記載されている点には些か疑問を感じずには居られません。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。








































新刀 · 武蔵
現在4点販売中
長曽祢虎徹興里は元々越前の甲冑師であり、明暦二年頃、五十歳ばかりの頃に江戸へ出て刀鍛冶へ転じたと伝える。通称を三之丞と称し、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」、さらに寛文四年八月からは「乕徹」「馬徹」の字を使用している。年紀のある作では明暦二年が最初期、延宝五年がその下限とされ、武蔵国江戸の東叡山忍岡辺に住したことが住居地銘にうかがえる。その系では、通説に虎徹の門に学んで後に養子となり二代目を継承したと伝える長曽祢興正があり、経眼される年紀は寛文十三年から元禄三年に及ぶ。興正の技倆は師に次いで巧みで、虎徹晩年の作のうちには興正の代作が含まれていると考えられている。江戸中期、寛文を中心とする新刀の只中に立ち、甲冑師の出という異色の経歴から鍛刀の名門が興った。 作風は地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのを特色とし、作刀の多くに焼出しを伴う。鍛えは小板目肌がよくつんで杢を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、腰元には梃子鉄と称する大肌や地斑状の肌合を交えることがあり、かねが冴える。刃文は前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がって出入りのある乱れを焼き、後期には焼の出入りに変化の少ない、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼く。これに伴い銘も前期の「はね虎」から寛文四年に「はこ虎」へ改まり、作域の推移と対応する。足が太く頻りに入り、匂深く小沸が厚くつき、金筋・砂流しのかかるものが多い。帽子は直ぐに小丸とし、横手を互の目で跨ぐいわゆる乕徹帽子を見せるのが見分けの要となる。姿は元先の幅差がつき反り浅く中鋒のつまる寛文新刀の体配で、手持ちの重い頑健なものが多く、梵字・三鈷剣・倶利迦羅などの彫物を自身彫として添えた作も知られる。興正は師ゆずりの数珠刃を継ぎつつ、匂深く沸の覇気ある刃を焼き、互の目丁子を交えるなど独自を追った持ち味を示す。 虎徹が収集家に重んじられるのは、地刃の冴えと数珠刃の見どころに加え、記録された截断の評による。寛文五年三月の貳ツ胴切落、同年十一月の両車切落、寛文元年の三ツ胴截断など、山野勘十郎久英・山野加右衛門永久らによる金象嵌截断銘が遺り、その切れ味の高さを今に伝える。截断は必ずしも直ちに象嵌されたものではなく、後日まとめて施された例もこれらの銘から知られる。伝来の確かな作も尊ばれ、肥前国鍋島家に伝わって佐藤寒山博士の鞘書に鍋島虎徹の異名を記すものがある。鑑定の要点は、明るく冴える地刃、前期の瓢箪刃と後期の数珠刃という時期による作域の違い、乕徹帽子の所作、銘振りの推移にあり、年紀を欠く作でも銘と作域から制作期を推し量ることができる。短刀は作例が極めて少なく、相州伝の趣を強く感じさせるものが知られる。甲冑師から転じて一代で名を成し、後継の興正へと技を伝えたこの系は、江戸新刀を代表する一門として確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。