説明

Stock number:KA-030425Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Juyo ToukenCountry・period:Higo・ Late Kamakura period about 1331~~Blade length(Cutting edge): 74.2cmCurve(SORI): 2.5cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.20cmThickness at the Moto-Kasane: 0.70cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.20cmThickness at the Saki-Kasane: 0.60cmHabaki: One part, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Katte sagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Jigane(Hada): ,Temper patterns(Hamon):Temper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Kyoto【Additional Information】【重要刀剣図譜より】形状鎬造、庵棟、身幅尋常、元先の幅差つき、重ね厚め、反り深く、 中反りつき、中鋒詰まる。鍛小板目に板目・杢交じり、総じてやや 肌立ちごころとなり、地沸つき、地景入り、極く淡く白け風の映り立つ。刃文中直刃、指裏に喰違刃交じり、裏僅かに葉入り、匂口締ま りごころ、小沸つき、表中程二重刃かかる。帽子直ぐ、先小さく掃きかけ、大丸風。彫物表は長い腰樋と添樋を掻き通し、裏は棒樋を掻き流す。茎大磨上、先切り、鑢目勝手下がり、目釘孔一、無銘。説明肥後国延寿派は、山城の来国行の外孫と伝える太郎国村を始祖として、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて同国菊池郡隈府の地に大いに繁栄した。その門葉には国吉・国時・国泰・国友・国資・国信・国綱など多くの上手が輩出している。一派の作風は、それぞれに際立った個性が少なく、概ね山城の来派に類似するが、鍛えに柾ごころが目立ち、かねが白け、刃文は匂口が幾分沈みごころで、刃中の働きが穏やかとなり、また帽子は先の丸みがやや大きく、しかも返りを浅く焼くなどの点に相違がみられ、同派の見どころとして挙げられる。延寿国時は同派を代表する刀工の一人で、国村の子とも弟子とも伝え、同名の継承が室町時代に及んでいる。彼の作は比較的現存するものが多く、作柄の平均点も高い。この刀は、大磨上なれども輪反りがついて均整のとれた姿のよいものであり、地鉄は幾分肌立っているものの、緩みがなく細かな地景も入って総じてよく錬れた肌合を示している。また刃文は殆ど破綻のない端正な直刃を焼いて出来よろしく凜然たるものである。中反りの姿形からは来派の、また喰違刃や二重刃の働きからは大和気質が見て取れ、大丸帽子並びに指裏の両チリの棒樋などと併せて同派と観るべきものであるが、総体の地刃の作位の高さから国時の極めが首肯しうる一口である。

Katana[Mumei Enju Kunitoki (O-wazamono)][N.B.T.H.K] Juyo Token
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売却済

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仕様

長さ

74.2 cm

反り

2.5 cm

元幅

3.2 cm

先幅

2.2 cm

作者について

Enju Kunitoki國時

1 重要文化財1 重要美術品6 特別重要刀剣24 重要刀剣

国時は肥後延寿派を代表する上手で、延寿は山城の来の作風を九州に移した一派である。説明書は同派の祖を太郎国村とし、通説に山城来国行の外孫(娘を通じての孫)と伝え、国時を一門を代表する著名工の一人として、国村の子とも弟子とも記す。作は鎌倉時代末葉から南北朝期、肥後菊池郡隈府の地に亘り、年紀ある遺例は南朝年号を有し、正平七年(一三五二)銘の太刀があって、晩年の手を十四世紀半ばに置く。一派は際立った個性が少なく概ね来に類似するため、延寿の作はほぼ一様の手として読める。その中で国時が際立つ理由は二つある。説明書は「比較的現存するものが多く、作柄の平均点も高い」とし、且つその手は一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせた。 その特色は、尋常に留まらぬ中直刃・細直刃である。説明書が「一派の多くは働きに乏しい直刃を焼いている」と記すのに対し、国時は直刃を小互の目で連れて崩し、時に小丁子・尖りごころの刃を交え、小足・葉よく入り、刃縁に小沸つき、細かに砂流し・金筋がかかる。佳作では、来に比して幾分沈みごころの匂口が明るく冴える。一派の性が逆へ引くがゆえに、賑やかな一口はかえって例外として映る。ある太刀を説明書は「国時のみならず延寿物としても珍しい乱れ主調の焼刃」と評し、二重刃・金筋強く帽子が乱れて盛んに掃きかける磨上の刀を「同工のみならず同派の中でも最も働きのある刃取り」と記す。一口が珍しいとも最も働くとも評されるのは、一派が常々いかに静かに、国時がそれをいかに押し広げたかの証である。 鍛えは一派の遺産をよく示す。板目あるいはつんだ小板目に、総体に流れて刃寄りに柾ごころを帯び、地沸微塵によくつき地景細かに入り、一派の白け映りが地に立つ。この白け映りは説明書が延寿を来から分かつ第一点に挙げるもので、来の京の精良を保ちつつ流れた九州鉄を帯びた地鉄の上に立つ。帽子は多く直ぐに小丸へ結び、先に掃きかけを伴い、時に丸味大きく浅い大丸風に返る。銘は在銘の場合大振りの二字銘で、説明書は一つの書風を繰り返し挙げる。すなわち「国」の字のクニ構えの中右半分を耳形にきるのが、他派にまぎれぬ一門共通の見どころである。 遺例は二様に分かれる。第一は在銘の生ぶで、腰反り深く踏張りある長寸の太刀と、身幅広く寸延びごころで重ね厚い平造の短刀があり、茎先近くに大振りの二字銘を切る。鏨が常より太く力強いものもある。太刀は棒樋を伴い、短刀は刀樋・腰樋を掻く。年紀のある晩年作は「菊池住国時」と延元・正平の年紀を添えた長銘を切り、説明書はこの長銘を時代の下った同名作に当てる。第二は大磨上無銘の刀で、延寿国時と極められ後世の鑑定銘を伴うものが多い。輪反りや京風が一見来を想わせるが、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、総体の作位の高さより国時に絞られる。本阿弥光遜の金象嵌銘・金粉銘で同工を極め、その名と花押を金にきった一口がある。 国時の位置は両隣に照らして最もよく読める。母体の来に対し相違は定まる。説明書は柾ごころ・白け映り・幾分沈みごころの匂口を延寿が山城来派から分かれる点とし、一派を来に比して地刃やや弱しとする。されどその近しさは深く、屈指の短刀の一口を説明書は「来国光に比肩する出来映え」と評し、延寿の見どころは熟覧して初めて窺える。祖国村に対する相違は国時独自のもので、その直刃は祖の尋常な直刃より遥かに自在に小互の目・小乱れに崩れ、帽子は祖の大丸より直ぐに小丸へ多く結ぶ。一門に個性が少ないがゆえに国時はその代表工かつ最も遺例の多い工とされ、逆に尋常な来の直刃は一見延寿に紛れる。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作はその歴史を南朝年号に刻む。 国時の声望は厚い指定の記録に伴う。特別重要刀剣・重要刀剣の級に三十口、うち特別重要六口を数え、さらに重要文化財に一口を戴き、『刀工大鑑』にも高い評価を得る。延寿一門の中でも公の記録に最も多く名を遺す工の一人である。その作に録された来歴は幕末の高家に及ぶ。水戸徳川家伝来の太刀、紀州徳川家伝来の太刀、湊川神社蔵の短刀があり、また閑院宮家を経て、幕末の和宮、すなわち「静寛院宮の遺物」として著名な短刀がある。一口は重要文化財の級に永く封ぜられて取引されることはない。残りは、一派の静かな直刃と国時の遺例の比較的多きゆえ、その特別重要・重要の作が篤志の蒐集家の眼前に時に現れる。最も稀な鎌倉の大家よりは見出しやすいが、市販の在庫ではなく指定された文化財としてである。在銘生ぶの太刀や身幅広き在銘の短刀は、市に現れれば一個の画期であり、録された伝来の多くは蔵せられて取引されることはない。

刀剣商

銀座誠友堂

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