鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
管理番号:KA-080725 鑑定書:重要美術品(日本美術刀剣保存協会認定) 国/時代:備前(岡山県)/鎌倉時代後期(正応頃・1288年〜) 長さ:70.9cm(二尺三寸四分) 反り:1.8cm 元幅:cm 元重:cm 先幅:cm 先重:cm ハバキ:金着二重ハバキ 茎:大磨上、目釘孔3個 体配:鎬造、庵棟、小切先 彫物:表裏に棒樋 地鉄:板目肌よく詰み、地沸つき、映り立つ 刃文:小沸出来、直刃調に小乱れ交じり、足・葉よく入る 帽子: 登録証:神奈川県 【解説】 【日本刀重要美術品全集 第三巻より抜粋】 古備前景安は義憲の門といわれ、銘を長銘に切っている。この一振りは磨上げながら、この工の常の如く、細身小切先で姿よく、鍛え板目よく約み、地沸つき、映りごころある。刃文小沸出来の直刃調の小乱に足、葉よく入り、同作中でも出来がよい。






Ko-Bizen (Bizen) · 備前 · 1222-1224頃
刀剣大鑑 上位8%
景安は銘鑑に「備前 元暦頃」とあり、古備前系に属する鎌倉時代初期の刀工である。その在銘作には、「備前国景安」と小振りの長銘に切る希少な一群と、太鏨大振りの二字銘の比較的多い一群との両様がある。『古今銘尽』は景安を長船派とし、景秀の子と記すが、説明書は作刀そのものに拠ってこれを退ける。すなわち地刃の出来や映りの様子は古備前調であって長船説は当たらず、古備前か初期一文字かは明白でないにしても、鎌倉時代前期を降らぬ刀工と考えて大過はないとされる。一説に義憲の門ともいう。
見どころは本会が明言するところである。焼刃は「直刃調のどこかに互の目調の角ばる刃を交え」[[c:3]]、また「間遠の互の目や丁子の合間に飛焼・湯走りを見せる」[[c:4]]ものであって、特色が明らかであるという。小太刀の説明書はさらに、現存作の多くは焼刃のどこかに必ず角ばる刃が連れて交じると記し、本間順治は、華やかな出来の中にも「殆どいずこかに角張った刃文が交じる」[[c:5]]と述べる。同門の常が小乱れ主体であるのに対して景安では互の目が勝ち、丁子の目立つ点は友成・正恒・包平ら古備前諸工の中で際立っている。
太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ。長銘の一口について説明書は、小鋒に結んだ「太刀姿が美しくいかにも上品である」[[c:6]]と記す。鍛えは板目に杢・流れ肌を交えてやや肌立ちごころとなり、地沸よくつき、地景入り、乱れ映りが立ち、時に地斑を交える。刃文は小沸出来で、直刃調の小乱れ、あるいは丁子乱れに互の目を交えたものとなり、足・葉よく入り、金筋・砂流しがかかり、匂口は深いものと処々締まるものとがある。帽子は直ぐに小丸となるのが常で、下半が乱れているのに反して「帽子は兎角、大きく直ぐになるものが多い」[[c:7]]とされる。また一口の刀では映りが部分的に棒映り風に現れ、その技法的に未完成な様がかえって古拙な味わいを示し、鎌倉中期を遡るとの見方を強めるという。
長銘と二字銘の両様は、この工の研究の核心である。長銘の作は遺例少ないものの正しく古備前と認められ、両者を比べれば「長銘の方がより古調を呈しており、銘字もやや稚拙であり」[[c:8]]、それが制作年代の相違か別人かは研究を要するとされる。二字銘の中にも大振り太字銘と細鏨のものとがあって複数の同銘工の存在が考えられ、作風の上からもそれが首肯される。後代の同名は福岡一文字・吉岡一文字・長船・吉井の各系に見られる。茎尻に一の字のみを残す太刀には、貞享五年(一六八八)の本阿弥光忠による代金十三枚の折紙が付き、角張った小互の目ゆえに「入札鑑定でも、素直に景安と鑑せられる」[[c:9]]と本間は記して、この工が一文字系に連なる証としている。
その橋渡しの位置こそ、流派におけるこの工の役割である。小乱れの中に丁子の目立つ作風について、説明書はある特別重要刀剣の太刀に「やがてこの作風が古一文字に受け継がれていくように思われる」[[c:10]]と記す。これほど古い工としては作品が比較的多く現存し、重要美術品の解説も作刀は「比較的に多く、上手である」[[c:11]]と評する。さらに造込みの上でも特筆すべき一口が残る。現存する小太刀は鎌倉初期の古備前物に始まるが、景安の小太刀は恐らく一口のみで、生ぶの造込みを完存して伝える好資料とされる。
指定を受けた作は二十七口。これほど早い時代の工としては在銘が圧倒的に多く、在銘二十三口に対し無銘は四口である。重要文化財一口、皇室に伝わる一口、重要美術品八口を数え、特別重要刀剣六口・重要刀剣十一口がこれに続く。所在の知られるものは鹿島神宮・土浦市立博物館・佐野美術館、またベルリンのサムライ・アート・ミュージアムに収まる。伝来は十一口に録され、閑院宮春仁王所持の在銘特別重要刀剣の太刀、古くより仙台伊達家に伝来した短刀、米沢上杉伯爵家分家伝来の小太刀、右田毛利家伝来の太刀、寛文元年(一六六一)の古折紙を伴う柳沢家将軍家拝領の一口など、宮家・大名家の旧蔵が連なる。この時代の指定刀は長く秘蔵されるのが常であり、在銘の古備前太刀が市に現れることは稀で、現れれば一つの出来事である。
景安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在4点販売中
古備前派は、備前国に興った最も古い一群の刀工を指し、平安時代末期のいわゆる藤末鎌初から鎌倉時代初期、一部は中期にかけて活躍した。後に備前を席巻する長船・福岡一文字の母体をなす、備前伝の最も古い根である。その最初期に立つのが友成と正恒で、両工は古来この一派の双璧に数えられる。友成にはひときわ古雅な姿の良さがあり、正恒には精緻な鍛えの良さがあると伝え、いずれも一人の工というより何代かを経た名跡を指すものと解されている。これに「備前三平」の名で並び称される包平・助平・高平が加わり、わけても包平は天下の名刀『大包平』によってその名を不動のものとした。正恒の系からは恒光・利恒・遠近が、友成の系からは行秀が出たと伝えるなど、いくつかの脈が知られるが、景安・吉包・信房・成高・助包・基近・順慶らを含め、その多くは記録された系譜よりも姿と地刃の古雅さによって古備前と鑑せられる。順慶のごとく、後世長らく長船長光に擬されていた名が、作風と銘の鏨運びから初期備前の独立した手として読み直された例もある。 作風は静かで古調な備前の手にある。姿は当代の細身の太刀で、鎬造に庵棟、腰反り高く踏張りがつき、先に伏しごころとなって小鋒に結ぶのを典型とする。鍛えはよく錬れた板目に杢を交えてやや肌立ちごころとなり、地沸つき地景が細かに入り、その上に淡い乱れ映り、ないし古備前の鋼に特有の地斑映りが立つ。刃文は直刃調の小乱れを主調とし、小丁子・小互の目を交え、匂深く小沸が厚くつき、刃中に足・葉が働いて、砂流し・金筋がかかる。帽子は静かな小丸で、時に焼詰めごころとなり、元を焼き落とす古い手法もままに見る。総じて華やかに乱れるものは少なく、後世の備前が高く冴える丁子の乱れに向かうのに対し、古備前は同じ語彙を抑えた沸の働きのうちに収める。この通例のなかで初期の名工はそれぞれの個性を刻む。正恒の映りは鮮明に冴え、友成のそれは淡く、棒樋を好む正恒に対し友成は彫を見せず、包平は大包平に見る雄大な姿で抜きん出る。景安は互の目と角ばる刃が勝って一文字への橋渡しを思わせ、吉包は同門より肌立つ地鉄と沈みごころの匂口で分かれ、行秀は逆ごころの乱れと二重刃を、成高は打ちのけと二重刃をその印とする。 古備前が収集家に求められるゆえんは、まずこの一派が備前伝そのものの始発点に立つことにある。鑑定の勘所は、後の華やかな福岡一文字や整然たる長船から古備前を分かつ点にある。すなわち、立ち冴える丁子と乱れ映りに対して、古備前は抑えた小乱れと沸の働き、淡い地斑映りをもって読まれ、姿は腰反り高く先伏しごころの古調を保つ。順慶のように在銘作に映りを伴わぬ沸出来が、長船の匂出来・映りの伝統との別を決する手がかりとなる例は、その鑑別の機微をよく示す。主要刀工の格は高く、友成・正恒・包平・信房は最上作に列し、その名を負う指定の重みは比類ない。代表作には、徳川光顕を経て皇室に伝わった友成の名物『丸口』、岡山池田家の至宝として古備前随一の雄大な姿を示す『大包平』、庄内酒井家に伝来した信房の国宝、御物『十万束』があり、いずれも国宝・重要文化財・御物として文化財に伝えられ、市場の外にある。在銘で生ぶ茎を完存する作がこれほど古い工としては比較的よく遺るのも一派の特色で、それらは初期備前の作域と銘を伝える第一の資料である。古備前の在銘作、わけても初期の名工の太刀が世に現れることは、この分野で最も稀な出来事の一つであり、現れればまさに一個の事件である。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
国(政府)がその高い美術的・歴史的価値を認めて認定した刀剣で、重要刀剣に相当する格を持ちます。輸出が制限され、重要美術品は日本国内にとどめられ、国外へ持ち出されると認定を失います。
重要美術品の認定は、世界恐慌下で日本の貴重な文化財が海外へ流出するのを防ぐために制定された、昭和8年(1933年)の「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に始まります。当時はまだ民間所有品を対象とする重要文化財・国宝の制度が整っておらず、文部大臣の認定によって国宝に準ずるもの(准国宝)として国外への持ち出しを禁じました。制度の終了までに約8,300件が認定され、うち刀剣は約1,000口でした。昭和25年(1950年)の文化財保護法に引き継がれ、価値の高いものは重要文化財へ昇格し、その他は重要美術品の認定を保持しています。以後、新たな認定は行われていません。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
管理番号:KA-080725 鑑定書:重要美術品(日本美術刀剣保存協会認定) 国/時代:備前(岡山県)/鎌倉時代後期(正応頃・1288年〜) 長さ:70.9cm(二尺三寸四分) 反り:1.8cm 元幅:cm 元重:cm 先幅:cm 先重:cm ハバキ:金着二重ハバキ 茎:大磨上、目釘孔3個 体配:鎬造、庵棟、小切先 彫物:表裏に棒樋 地鉄:板目肌よく詰み、地沸つき、映り立つ 刃文:小沸出来、直刃調に小乱れ交じり、足・葉よく入る 帽子: 登録証:神奈川県 【解説】 【日本刀重要美術品全集 第三巻より抜粋】 古備前景安は義憲の門といわれ、銘を長銘に切っている。この一振りは磨上げながら、この工の常の如く、細身小切先で姿よく、鍛え板目よく約み、地沸つき、映りごころある。刃文小沸出来の直刃調の小乱に足、葉よく入り、同作中でも出来がよい。






Ko-Bizen (Bizen) · 備前 · 1222-1224頃
刀剣大鑑 上位8%
景安は銘鑑に「備前 元暦頃」とあり、古備前系に属する鎌倉時代初期の刀工である。その在銘作には、「備前国景安」と小振りの長銘に切る希少な一群と、太鏨大振りの二字銘の比較的多い一群との両様がある。『古今銘尽』は景安を長船派とし、景秀の子と記すが、説明書は作刀そのものに拠ってこれを退ける。すなわち地刃の出来や映りの様子は古備前調であって長船説は当たらず、古備前か初期一文字かは明白でないにしても、鎌倉時代前期を降らぬ刀工と考えて大過はないとされる。一説に義憲の門ともいう。
見どころは本会が明言するところである。焼刃は「直刃調のどこかに互の目調の角ばる刃を交え」[[c:3]]、また「間遠の互の目や丁子の合間に飛焼・湯走りを見せる」[[c:4]]ものであって、特色が明らかであるという。小太刀の説明書はさらに、現存作の多くは焼刃のどこかに必ず角ばる刃が連れて交じると記し、本間順治は、華やかな出来の中にも「殆どいずこかに角張った刃文が交じる」[[c:5]]と述べる。同門の常が小乱れ主体であるのに対して景安では互の目が勝ち、丁子の目立つ点は友成・正恒・包平ら古備前諸工の中で際立っている。
太刀姿は細身で腰反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ。長銘の一口について説明書は、小鋒に結んだ「太刀姿が美しくいかにも上品である」[[c:6]]と記す。鍛えは板目に杢・流れ肌を交えてやや肌立ちごころとなり、地沸よくつき、地景入り、乱れ映りが立ち、時に地斑を交える。刃文は小沸出来で、直刃調の小乱れ、あるいは丁子乱れに互の目を交えたものとなり、足・葉よく入り、金筋・砂流しがかかり、匂口は深いものと処々締まるものとがある。帽子は直ぐに小丸となるのが常で、下半が乱れているのに反して「帽子は兎角、大きく直ぐになるものが多い」[[c:7]]とされる。また一口の刀では映りが部分的に棒映り風に現れ、その技法的に未完成な様がかえって古拙な味わいを示し、鎌倉中期を遡るとの見方を強めるという。
長銘と二字銘の両様は、この工の研究の核心である。長銘の作は遺例少ないものの正しく古備前と認められ、両者を比べれば「長銘の方がより古調を呈しており、銘字もやや稚拙であり」[[c:8]]、それが制作年代の相違か別人かは研究を要するとされる。二字銘の中にも大振り太字銘と細鏨のものとがあって複数の同銘工の存在が考えられ、作風の上からもそれが首肯される。後代の同名は福岡一文字・吉岡一文字・長船・吉井の各系に見られる。茎尻に一の字のみを残す太刀には、貞享五年(一六八八)の本阿弥光忠による代金十三枚の折紙が付き、角張った小互の目ゆえに「入札鑑定でも、素直に景安と鑑せられる」[[c:9]]と本間は記して、この工が一文字系に連なる証としている。
その橋渡しの位置こそ、流派におけるこの工の役割である。小乱れの中に丁子の目立つ作風について、説明書はある特別重要刀剣の太刀に「やがてこの作風が古一文字に受け継がれていくように思われる」[[c:10]]と記す。これほど古い工としては作品が比較的多く現存し、重要美術品の解説も作刀は「比較的に多く、上手である」[[c:11]]と評する。さらに造込みの上でも特筆すべき一口が残る。現存する小太刀は鎌倉初期の古備前物に始まるが、景安の小太刀は恐らく一口のみで、生ぶの造込みを完存して伝える好資料とされる。
指定を受けた作は二十七口。これほど早い時代の工としては在銘が圧倒的に多く、在銘二十三口に対し無銘は四口である。重要文化財一口、皇室に伝わる一口、重要美術品八口を数え、特別重要刀剣六口・重要刀剣十一口がこれに続く。所在の知られるものは鹿島神宮・土浦市立博物館・佐野美術館、またベルリンのサムライ・アート・ミュージアムに収まる。伝来は十一口に録され、閑院宮春仁王所持の在銘特別重要刀剣の太刀、古くより仙台伊達家に伝来した短刀、米沢上杉伯爵家分家伝来の小太刀、右田毛利家伝来の太刀、寛文元年(一六六一)の古折紙を伴う柳沢家将軍家拝領の一口など、宮家・大名家の旧蔵が連なる。この時代の指定刀は長く秘蔵されるのが常であり、在銘の古備前太刀が市に現れることは稀で、現れれば一つの出来事である。
景安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在4点販売中
古備前派は、備前国に興った最も古い一群の刀工を指し、平安時代末期のいわゆる藤末鎌初から鎌倉時代初期、一部は中期にかけて活躍した。後に備前を席巻する長船・福岡一文字の母体をなす、備前伝の最も古い根である。その最初期に立つのが友成と正恒で、両工は古来この一派の双璧に数えられる。友成にはひときわ古雅な姿の良さがあり、正恒には精緻な鍛えの良さがあると伝え、いずれも一人の工というより何代かを経た名跡を指すものと解されている。これに「備前三平」の名で並び称される包平・助平・高平が加わり、わけても包平は天下の名刀『大包平』によってその名を不動のものとした。正恒の系からは恒光・利恒・遠近が、友成の系からは行秀が出たと伝えるなど、いくつかの脈が知られるが、景安・吉包・信房・成高・助包・基近・順慶らを含め、その多くは記録された系譜よりも姿と地刃の古雅さによって古備前と鑑せられる。順慶のごとく、後世長らく長船長光に擬されていた名が、作風と銘の鏨運びから初期備前の独立した手として読み直された例もある。 作風は静かで古調な備前の手にある。姿は当代の細身の太刀で、鎬造に庵棟、腰反り高く踏張りがつき、先に伏しごころとなって小鋒に結ぶのを典型とする。鍛えはよく錬れた板目に杢を交えてやや肌立ちごころとなり、地沸つき地景が細かに入り、その上に淡い乱れ映り、ないし古備前の鋼に特有の地斑映りが立つ。刃文は直刃調の小乱れを主調とし、小丁子・小互の目を交え、匂深く小沸が厚くつき、刃中に足・葉が働いて、砂流し・金筋がかかる。帽子は静かな小丸で、時に焼詰めごころとなり、元を焼き落とす古い手法もままに見る。総じて華やかに乱れるものは少なく、後世の備前が高く冴える丁子の乱れに向かうのに対し、古備前は同じ語彙を抑えた沸の働きのうちに収める。この通例のなかで初期の名工はそれぞれの個性を刻む。正恒の映りは鮮明に冴え、友成のそれは淡く、棒樋を好む正恒に対し友成は彫を見せず、包平は大包平に見る雄大な姿で抜きん出る。景安は互の目と角ばる刃が勝って一文字への橋渡しを思わせ、吉包は同門より肌立つ地鉄と沈みごころの匂口で分かれ、行秀は逆ごころの乱れと二重刃を、成高は打ちのけと二重刃をその印とする。 古備前が収集家に求められるゆえんは、まずこの一派が備前伝そのものの始発点に立つことにある。鑑定の勘所は、後の華やかな福岡一文字や整然たる長船から古備前を分かつ点にある。すなわち、立ち冴える丁子と乱れ映りに対して、古備前は抑えた小乱れと沸の働き、淡い地斑映りをもって読まれ、姿は腰反り高く先伏しごころの古調を保つ。順慶のように在銘作に映りを伴わぬ沸出来が、長船の匂出来・映りの伝統との別を決する手がかりとなる例は、その鑑別の機微をよく示す。主要刀工の格は高く、友成・正恒・包平・信房は最上作に列し、その名を負う指定の重みは比類ない。代表作には、徳川光顕を経て皇室に伝わった友成の名物『丸口』、岡山池田家の至宝として古備前随一の雄大な姿を示す『大包平』、庄内酒井家に伝来した信房の国宝、御物『十万束』があり、いずれも国宝・重要文化財・御物として文化財に伝えられ、市場の外にある。在銘で生ぶ茎を完存する作がこれほど古い工としては比較的よく遺るのも一派の特色で、それらは初期備前の作域と銘を伝える第一の資料である。古備前の在銘作、わけても初期の名工の太刀が世に現れることは、この分野で最も稀な出来事の一つであり、現れればまさに一個の事件である。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
国(政府)がその高い美術的・歴史的価値を認めて認定した刀剣で、重要刀剣に相当する格を持ちます。輸出が制限され、重要美術品は日本国内にとどめられ、国外へ持ち出されると認定を失います。
重要美術品の認定は、世界恐慌下で日本の貴重な文化財が海外へ流出するのを防ぐために制定された、昭和8年(1933年)の「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に始まります。当時はまだ民間所有品を対象とする重要文化財・国宝の制度が整っておらず、文部大臣の認定によって国宝に準ずるもの(准国宝)として国外への持ち出しを禁じました。制度の終了までに約8,300件が認定され、うち刀剣は約1,000口でした。昭和25年(1950年)の文化財保護法に引き継がれ、価値の高いものは重要文化財へ昇格し、その他は重要美術品の認定を保持しています。以後、新たな認定は行われていません。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).