二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
元来は二尺五寸程あったとみられる、古波平と極められた大磨上無銘の太刀。古波平とは南北朝以前の波平の刀工の作をいい、歴史は古く、平安後期に大和国から薩摩国谷山郡波平に来住した行國と、その子で猿投神社蔵の太刀(重要文化財)の作者行安に始まる。武将の信頼は厚く、源平合戦の一の谷で、源氏の武士猪俣則綱が平家の侍大将越中前司盛俊を討ち取った時、その手に「薩摩國浪平造の一物」(『源平盛衰記』)があったという。作風は鎬筋が高く、柾ごころの顕著な地肌は微細に詰んでねっとりとし、大きな焼き落しから始まる刃文は、喰い違いを交え、ほつれの掛かった細直刃を特色としている。 この太刀は、身幅が広く、元先の幅差少なく、重ね厚く刃肉も充分につき、腰反り高く鋒の延びた南北朝体配で、薙刀樋の際の線、添樋、屹然と立った鎬筋、棟の稜線、刃先の線が軌を一にし、表裏の梵字と共に、所持した武将の精神性の 高さを偲ばせている。板目鍛えの地鉄は刃寄りにうねる柾肌が顕著に現れ、肌目に沿って地景が入り、淡雪のような地沸が微塵に付いて沸映りが立つ。刃文は直刃(注2)がごく浅く揺れ、純白の小沸で刃縁きっぱりと 締まって明るく、微かに喰い違いを交え、小さな湯走りが掛かり、刃中に匂の霞が立ち込める。帽子はふくらに沿って小丸に返る。茎は細かな横鑢で入念に仕立てられている。後醍醐の皇子懐良を戴いて南朝の旗を掲げた薩摩武士の佩刀であろう。特別の材料を精鍛し、一切の不純物が叩き出されて地刃澄み、大和本国物に見紛う(注3)見事な出来栄え。同作極めの名品(注4)である。 注1...古鞘に「無銘 大和保昌貞宗極 大日本刀剣會鑒定」とある。 注2...延元四年十一月日紀の波平行安の太刀(『薩摩刀名作集』)は棒樋角止に細直刃で本作に通じる。 注3...大日本刀剣会は大和保昌貞宗と鑑定している。 注4...重要刀剣図譜では「総じて保存状態のよい古波平極めの優品」と称されている。波平極めの同作中でも匂口がきっぱりと冴えているところからであろう。












脇物 · 薩摩
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波平派は、平安時代後期に正国なる刀工が大和より薩摩国谷山郡波平の地に来住して開祖となったと伝えられる。その子を行安といい、以後その門流は南北朝時代を経て幕末新々刀期にまで綿々と続いた。同派の中でも南北朝期を降らぬ刀工及びその作刀群を総称して古波平と呼び、波平安次の名跡は鎌倉中期から室町期にかけて継承されている。一説に安次は行安の門とも伝えられ、在銘作は数少なく資料的に極めて貴重である。 古波平の作風は大和気質の強く窺えるものであるが、鍛えは板目に流れ肌が目立って交じり、ねっとりとして軟らか味をおびた肌合を呈し、地沸がよくつき太い地景が随処に入る。刃文は細直刃を基調として匂口がうるみごころとなり、小沸がつき、刃縁にほつれが見られ、腰元を焼き落すなどの諸点に特色がある。帽子は直ぐに焼詰め、或いは丸く浅く返る。姿は腰反りのついた古様な太刀姿を呈し、南北朝期には身幅がやや広く元先の幅差が目立たず大鋒に結ぶなど時代色が現れる。 新刀期に入ると、延宝八年生まれの一平安代が同派の代表工となる。通称を玉置小市といい、初め父安貞について学び、のちに波平本家の大和守安国の門にも学んだ。享保六年正月、同国の正清と共に八代将軍吉宗に召されて江戸で鍛刀し、その技を認められて幕府から一葉葵紋を茎に切ることを許され、さらに帰途朝廷より主馬首に任ぜられた。安代は穏やかな直刃調浅くのたれた刃取りを得意とし、匂が深く沸が厚く強くつき、荒沸を交え、金筋・沸筋・砂流しがさかんに入るなど、働き豊富な作風を示している。 詳しく見る →
南北朝時代
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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