後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
平安時代後期、正國なる刀工が大和から薩摩国谷山郡波平の地に来往して波平派の祖となると伝え、その子を行安と言い、以後、その流れは幕末新々刀期に迄及んでいる。 同派の中でも南北朝期を降らぬ刀工及びその作刀を総称して古波平と言い、その作風は大和気質が強く窺えるものであるが、鍛えがねっとりとして軟らか味を帯び、刃文は匂口が潤みごころで、はばき元を焼き落とすなどの諸点に特色がある。 この小太刀は踏ん張りついて浅目の反りに、鎬高く、小切先に結んだ優雅な体配を誇っており、地鉄は小板目が総体的に流れて柾が顕著に見れ、白気映りが立ち、地沸微塵に付いて地景よく入り、刃文は焼きの低い穏やかな直刃を主体として、刃縁には解れや二重刃がかる箇所が見られ、刃中には足が入り、鋩子は佩表乱れ、裏は直ぐに先小丸に返っています。 特筆すべき瑕疵も無く、古波平の特徴をよく表したうぶ茎の大変貴重な小太刀ですので、願わくばはばきも新調し、研磨も最高のものを施して御愛蔵頂きたく思います。
Certificate reading — 無銘(古波平)








脇物 · 薩摩 · 1206-1207頃
現在5点販売中
脇物 · 薩摩
時期区分: 古波平· 987–1393
現在13点販売中
薩摩国谷山郡波平の地に拠った波平派のうち、南北朝期を降らぬ刀工とその作刀を総称して古波平という。説示によれば、平安時代後期に正国なる刀工が大和より同地に来住してその祖となったと伝え、その子を行安と称し、以後門流は幕末新々刀期にまで連綿と及んでいる。嫡流は代々行安の名跡を襲い、「行」あるいは「安」の字を用いる工が多く、安次・安行・安光・友安・近安らもこの系に連なる。九州における最も古い鍛冶の一として平安末以降の作刀を残し、後代に量産化して作風の崩れた末波平に対し、この区分はなお大和伝の古調を色濃く伝える初期層をなす。 作風は総じて大和気質の強く窺えるもので、地鉄は板目に流れ肌の交じる鍛えを基調とし、地沸がつき、太めの地景が随処に入り、刃寄りに柾がかって白け映りの立つものが見られる。説示が繰り返し説くとおり、鍛えにはねっとりとした軟らか味があり、これが波平を大和物本流から分かつ要となっている。刃文は精美な細直刃を主調とし、下半に小乱れや小のたれを交え、匂勝ちに小沸がつき、刃中には二重刃風の筋状の働き、金筋・砂流しが断続的にかかる。匂口はうるみごころを帯び、元あるいは腰元を焼き落とす点が顕著で、帽子は直ぐに焼詰めとなることが多い。姿は腰反り高く踏張りのついた古様を呈し、時代が降って南北朝に至れば身幅広く元先の幅差の目立たぬ雄渾な体配へと移る。後代の末波平が古風を墨守しつつ地刃の冴えを減じてゆくのに対し、この初期層は微細な地刃の働きと鍛えの締まりにおいて勝る。 鑑定にあたっては、ねっとりとした地鉄の軟らか味、うるみごころの匂口、元を焼き落とす刃取りの三点が古波平を見極める要諦となる。作風が年代によって大きく変化せず古典を長く守るため時代の判別は難しいが、姿恰好と銘振りを手がかりに鎌倉から南北朝に位置づけられる。主要工としては嫡流の行安を筆頭に、その門と伝える安次らが挙げられ、説示はこの作風が豊後行平や三池光世ら九州古典派の作にも相通じることを指摘する。行安の遺品では猿投神社に伝わる太刀、島津家一門の樺山家に伝来した号「笹貫」の太刀が古例として知られ、在銘の遺例が乏しいことから現存する各作はいずれも資料的価値が高い。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。

平安時代後期、正國なる刀工が大和から薩摩国谷山郡波平の地に来往して波平派の祖となると伝え、その子を行安と言い、以後、その流れは幕末新々刀期に迄及んでいる。 同派の中でも南北朝期を降らぬ刀工及びその作刀を総称して古波平と言い、その作風は大和気質が強く窺えるものであるが、鍛えがねっとりとして軟らか味を帯び、刃文は匂口が潤みごころで、はばき元を焼き落とすなどの諸点に特色がある。 この小太刀は踏ん張りついて浅目の反りに、鎬高く、小切先に結んだ優雅な体配を誇っており、地鉄は小板目が総体的に流れて柾が顕著に見れ、白気映りが立ち、地沸微塵に付いて地景よく入り、刃文は焼きの低い穏やかな直刃を主体として、刃縁には解れや二重刃がかる箇所が見られ、刃中には足が入り、鋩子は佩表乱れ、裏は直ぐに先小丸に返っています。 特筆すべき瑕疵も無く、古波平の特徴をよく表したうぶ茎の大変貴重な小太刀ですので、願わくばはばきも新調し、研磨も最高のものを施して御愛蔵頂きたく思います。
Certificate reading — 無銘(古波平)








脇物 · 薩摩 · 1206-1207頃
現在5点販売中
脇物 · 薩摩
時期区分: 古波平· 987–1393
現在13点販売中
薩摩国谷山郡波平の地に拠った波平派のうち、南北朝期を降らぬ刀工とその作刀を総称して古波平という。説示によれば、平安時代後期に正国なる刀工が大和より同地に来住してその祖となったと伝え、その子を行安と称し、以後門流は幕末新々刀期にまで連綿と及んでいる。嫡流は代々行安の名跡を襲い、「行」あるいは「安」の字を用いる工が多く、安次・安行・安光・友安・近安らもこの系に連なる。九州における最も古い鍛冶の一として平安末以降の作刀を残し、後代に量産化して作風の崩れた末波平に対し、この区分はなお大和伝の古調を色濃く伝える初期層をなす。 作風は総じて大和気質の強く窺えるもので、地鉄は板目に流れ肌の交じる鍛えを基調とし、地沸がつき、太めの地景が随処に入り、刃寄りに柾がかって白け映りの立つものが見られる。説示が繰り返し説くとおり、鍛えにはねっとりとした軟らか味があり、これが波平を大和物本流から分かつ要となっている。刃文は精美な細直刃を主調とし、下半に小乱れや小のたれを交え、匂勝ちに小沸がつき、刃中には二重刃風の筋状の働き、金筋・砂流しが断続的にかかる。匂口はうるみごころを帯び、元あるいは腰元を焼き落とす点が顕著で、帽子は直ぐに焼詰めとなることが多い。姿は腰反り高く踏張りのついた古様を呈し、時代が降って南北朝に至れば身幅広く元先の幅差の目立たぬ雄渾な体配へと移る。後代の末波平が古風を墨守しつつ地刃の冴えを減じてゆくのに対し、この初期層は微細な地刃の働きと鍛えの締まりにおいて勝る。 鑑定にあたっては、ねっとりとした地鉄の軟らか味、うるみごころの匂口、元を焼き落とす刃取りの三点が古波平を見極める要諦となる。作風が年代によって大きく変化せず古典を長く守るため時代の判別は難しいが、姿恰好と銘振りを手がかりに鎌倉から南北朝に位置づけられる。主要工としては嫡流の行安を筆頭に、その門と伝える安次らが挙げられ、説示はこの作風が豊後行平や三池光世ら九州古典派の作にも相通じることを指摘する。行安の遺品では猿投神社に伝わる太刀、島津家一門の樺山家に伝来した号「笹貫」の太刀が古例として知られ、在銘の遺例が乏しいことから現存する各作はいずれも資料的価値が高い。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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